道路橋は中小河川で2橋が流失、大井川鉄道が不通に
令和4年台風14号 静岡県の被災現場を歩く
静岡、鍵穴など6箇所で観測史上1位の1日降雨量を記録
中小河川で大きな橋梁損傷が発生
2022年9月22日から降り続いた台風14号による豪雨は、主に静岡県に大きな被害をもたらした。そのうち、本NETでは、静岡市、島田市、浜松市に焦点を当てて取材した。押しなべて河川中流部が大きく被災していた。また、道路橋の被災は、浜松市天竜区の二俣川渡河部にある嘯月橋、静岡市清水区の清水区の興津川渡河部の清水橋、和田島水管橋が流失、一部流失した。
気象庁によると、台風14号は、9月23日9時ごろに室戸岬の南約300kmで発生した。北から北東へ進路を変えながら進み、24日9時には東海道沖で温帯低気圧に変わった。
最も被害を蒙った静岡県では、沿岸に沿って発生した局地的な前線で雨雲が発達し、猛烈な雨となった。さらに、台風の動きが比較的ゆっくりであったため、同じ地域に猛烈な雨が降る状況が継続し、記録的な大雨となった。静岡県内では、記録的短時間大雨情報(1時間に110mm以上の雨)を実に16回発表している。
降り始め(9月22日5時)から24日17時までの積算降水量は、静岡県の中部、西部で500mmを超えた。総降水量は、静岡419.5mm、静岡市鍵穴410.5mm、藤枝市高根山410.0mm、森町三倉362.5mmを観測している。さらに23日18時から24日0時ごろにかけては、1時間に80mm以上の猛烈な雨となった。
日最大1時間降水量の観測史上1位を更新したのは5箇所で、静岡空港(110.0mm)、川根本町(99.5mm)、鍵穴(94.0mm)、高根山(93.5mm)、天竜(81.5mm)となっている。
また、日最大24時間降水量の観測史上1位を更新したのは6箇所で、静岡(416.5mm)、鍵穴(405.0mm)、高根山(403.0mm)、三倉(360.5mm)、浜松(280.5mm)、天竜(280.0mm)となっている。
道路橋2橋、水管橋1橋が全部、あるいは一部流失
孤立集落が生じた清水橋の流失
南東北の豪雨を取材したのは、つい1か月前である。その時に予見したように、またも日本を豪雨が襲った。静岡県では、多くの町で給水車が出動するなど大規模な断水が生じた。道路橋は2橋、水管橋は1橋しか流失しなかったが、護岸はかなりの個所で損傷を受けており、さらについ最近、全面復旧したばかりの大井川鉄道は、またも大きな崖崩れにより、再開のめどが立たないほどの大きな被災を蒙った。清水橋の流失は孤立集落を生じてしまい、住民生活に大きな影響を与えてしまった。記者らが取材した10月5日では、静岡県内において14路線20箇所の国県道で通行止めが行われていた(24日でもなお10路線13箇所で通行止めの状況が続く)。
高瀬橋で橋面まで水が上がった痕跡
和田島水管橋は崩落 宮嶋橋に臨時水管を設置
記者らは10月5日早朝に始発の新幹線で新富士に到着後、レンタカーを借りて、まず橋梁の崩落が伝えられていた静岡市清水区の清水橋と和田島水管橋に向かった。国道1号を西進し、興津付近で右折し、国道52号を北上する。清水区といっても現場は興津川の結構上流に位置する。同川右岸で県道75号清水富士宮線に左折し、左岸に渡る箇所に和田島水管橋の崩落地はあった。水管橋に隣接する宮嶋橋に臨時の水管が設置され、水を供給している。次いで清水橋に向かうがなかなか車を止めることが出来ず、さらに西進し、中河内川と興津川合流部にある高瀬橋に至った。
高瀬橋
高瀬橋(1988年9月竣工)「は、桁や高欄などに流木が引っかかっており、水が路面までに達していた形跡があった。さらに同橋の上流右岸側の護岸が損傷しており、右岸側の橋台や桁に流木が大量に引っかかっていた。一歩間違っていれば、同橋も流失していた可能性がある。県道75号から北に分岐し県道196号大向福士線を北上すると、清水区和田島付近で15m程の延長で護岸沿いの道路が一部崩落していた。さらに河内付近、大平付近でも護岸道路が一部崩落していた。
河内付近と和田島付近の道路崩落状況
大平付近の道路陥没状況
地図に掲載されていない「橋」
全流失した清水橋と和田島水管橋
さて、来た道を戻ると、中部横断自動車道と興津川、布沢川が交差する箇所に鋼トラス状の桁が見えてきた。橋脚はベント状であり、そのベント橋脚に流木や土砂が引っかかっている。地図を何度見てもその橋は存在しない。近づいてみると、桁上は無舗装の覆工板である。同地はNEXCO中日本管理である。施工時の仮橋がそのまま残置されているものなのだろうか。自治体に贈与されたものなのか、管理用道路として活用する意思があるものなのか、分からない。結構な河積阻害状況であるので、撤去したほうが良いように思えるが……。
あまり使われている形跡はない
さて、漸く清水橋の位置を特定し、撮影する。残っていた高欄には「昭和六年六月?」の文字が、「清水橋」の橋名が刻まれたコンクリート部は、河中に転がっていた。桁も橋脚もすべて流失している。現場を見ると、洗掘らしき痕跡も見られるが……。その下流には盛土と仮橋による、清地地区の孤立解消のための連絡路が施工されていた。
清地地区と対岸を結ぶ唯一の橋だった清水橋は崩落していた/昭和六年六月の文字/「清水橋」の橋名板が転がっていた
橋脚や桁は全て流失していた
清水橋流失による孤立を解消するための工事
さらに東にもどり、和田島水管橋の崩落現場を訪れる。道路橋(宮嶋橋)の上流側に沿うように架けられていたトラス形式の水管橋はぐしゃぐしゃに曲がっていた。橋脚もどこにあったかわからない状況だ。現場では重機による撤去が進められていた。
落橋した和田島水管橋
松嶋橋の上に臨時の水管が設置されていた