鉄道橋2橋が崩落、道路橋は中小河川で被災
令和4年8月豪雨 福島・山形・新潟の被災現場を歩く
山形県米沢市、飯豊町高峰などで観測史上1位の1日降雨量を記録
中小河川で大きな橋梁損傷が発生
2022年8月3日から降り続いた豪雨は、東北・北陸・北海道に大きな被害をもたらした。そのうち、本NETでは、最初期に被害を蒙った福島県喜多方市、山形県飯豊町および小国町、新潟県関川村、胎内市、村上市などに焦点を当てて取材した。押しなべて大河川はそれほど大きな被災を生じていなかったが、大河川に注ぐ中小規模の河川が大きく被災していた。また、道路橋の被災は、大きなものは大巻橋のみで、鉄道橋はJR東日本米坂線の小白川を渡河する橋梁で桁が流失し、さらに同磐越西線の濁川橋梁で橋梁洗掘により2径間が落下していた。
気象庁によると、8月3日の豪雨によって、福島県喜多方市で198mm、山形県米沢市で239mm、同県小国町で287mm、同県飯豊町高峰で292mm、新潟県関川村下関では4日に380mmが降り注ぎ、いずれも観測史上最大の降水量となった。また、胎内市中条では4日には1日降雨量で観測史上3位の158mm、日最大10分間降水量で観測史上2位の23.5mm、日1時間降雨量で同1位の92mmを記録した。そうした地域では、特に河川流量がもともと少ない、中小河川で大きな損傷が見られている。
令和2年7月豪雨や平成23年新潟・福島豪雨の復興が進むなかで再び起きた豪雨災害
南東北や新潟で水害が起きる2日前、記者は球磨川にいた。八代復興事務所が着々と進める道路の復旧や仮橋の設置、河川計画や河積阻害を考慮し、少しでも損傷しにくく、それでいて地域に長年架かっていた橋梁のイメージを崩さないように架替橋梁の形式を選定している状況に頭が下がる思いだった。東北・新潟を豪雨が襲ったのは、その僅か2日後である。頭をよぎったのは震災の直後に生じた新潟・福島豪雨である。東日本大震災において福島県内で比較的被害が軽微だった会津は2011年7月26日から30日にかけて生じた未曽有の豪雨により、10橋近くの道路橋が流失し、JR只見線も橋梁が流失するなど大きな損傷を受け、廃線の危機に陥った。しかし、承知の通り、奥会津地方は復興を遂げ、只見線も間もなく復旧する。その矢先である。会津や新潟は大丈夫か? と思った。
そして入ったのがJR磐越西線濁川橋梁の洗堀による一部径間落橋の報道である。またか、の感は否めなかった。古い鉄道橋はどうしても径間長が短く、基礎も現行の基準ではないため、押しなべて豪雨災害に弱い。さらに橋脚も無筋のものがあり、只見線、肥薩線、日田彦山線が頭によぎった。
JR磐越西線濁川橋梁 下部工洗掘により桁2径間が崩落
濁川橋梁付近の道路橋は損傷が見られず
8月4日に帰京後、すぐに取材日程を決め、8月7、8の両日に現地に入ることにした。7日の始発で東京を出て新幹線で郡山に行き、郡山からレンタカーで会津若松を経て喜多方市内を目指す、最初の目的地は磐越西線の濁川橋梁である。濁川橋梁は1910年1月に建設された橋長252mの11径間の単線上路プレートガーダー橋で下部工は切石積構造である。同橋はちょうど河川中央部にある橋脚が上流側に洗堀し、その影響で2径間の桁が落ちていた。さらにすぐ右岸側の橋脚も多少洗掘されていたが、傾きなどは生じていなかった。左岸側の橋台には昭和40年に仙建工業が手を入れた記録が残っている。橋脚の洗堀対策として根巻コンクリートや木工沈床などの対策を何度か施していたが、写真のように左岸上流側に斜めに傾いてしまっていた。これは、川の流れが遠景写真で分かる通り、橋脚に向かって右岸側から斜に橋脚に当たる形となってしまったため。橋脚は基本的に川の流れ方と直角になるよう配置しているが、今回の豪雨により流れ方が変化してしまったため、こうした橋脚の洗掘になってしまったと思われる。今後は、杭の増設などより洗掘に強い豪雨対策が必要となるであろう。
JR磐越西線濁川橋梁の洗掘被害遠景
右岸側から見た橋脚洗掘状況と桁の落下状況
支承が桁から外れている/洗掘して傾いた橋脚に隣接する左右両岸の橋脚も変位は生じていないものの洗掘が進んでいた
桁と左岸側橋台の補修履歴?
右岸側から見た洗掘および桁の落下状況と右岸側の隣接橋脚の洗掘状況
濁川橋梁の蛇行状況 洗掘した橋脚は前というより左岸側に少し傾いた形で倒れている
道路橋の損傷もあるのではないか? と濁川を北上したが、そうした損傷はなく、支流の押切川に架かる古い橋梁も流木などが絡んではいたが、溢水まで至るような増水の形跡や下部工および基礎の損傷は見受けられなかった。濁川橋梁だけがなぜやられてしまったのか、基礎形式や流心なども含め調査した上で適切な補修を行う必要がある。また、濁川橋梁は建設から110年以上が経っており架け替えも選択肢ではないだろうか。
支流の押切川に架かる古い橋梁(吉志田橋)は損傷が見られなかった
さて、次に向かったのは国道459号の同市山都町白子付近の現場である。がけ崩れや大きな護岸損傷の情報があったためだ。昼食後、喜多方駅前の市街地から西に向かう。山都町相川地内に入ると、道路の両側で土砂崩れが起きている。さらに進むと一ノ戸川を渡河する白子橋付近で大きく護岸が損傷しており、田圃が被害を蒙っている。土砂の中には車も埋まっていた。おそらく水があふれ、国道を超えて反対側の田圃まで到達したことをうかがわせる。さらに進んで県道から少し東側に入った山都町木場(北家ノ上甲)では、道路の半分が崩れていた。これも川の水の影響だろうか? 農業用水の影響だろうか? それとも豪雨による地盤の緩みであろうか?
国道459号の損傷状況
白子付近の損害状況
白子橋の橋脚にも灌木などが引っかかっていた/流された車両
山都町木場(北家ノ上甲)では、道路の半分が崩れていた
JR米坂線小白川渡河橋 橋台背面の土砂が流出 桁が崩落
山形県道10号大巻橋 桁が完全に崩落し、両岸の盛土部も大きく損傷
来た道を戻り米沢に向かう。通常は国道121号の大峠道路を使うところであるが、山形県側の大峠道路を超えたところで道路が流失しているため使えない。そのため国道459号を東に向かい、さらに福島・山形県道2号(米沢猪苗代線)を北上して米沢市内に到達した。次の目的地は山形県道10号の大巻橋とJR米坂線小白川渡河部の橋梁(小白川橋りょう)の落橋現場である。上杉神社近くの交差点を曲がり、山形県道323、152号、国道287号を経て、県道8、250号を行くも通行止め、さらに北側のルートで左折して国道113号に出て、県道10号に右折した。
まずJR米坂線の小白川橋りょうである。その上流は右岸側をえぐるように流れが変わっており、橋台も背面の土砂が流失している。桁が落橋しているが、少し落ち方に違和感がある。桁の長さと橋脚と橋台の間の距離感が違うのだ。被災前の写真を見てその理由が分かる。河川内に橋脚が1基あったのだ。しかし今は跡形もない。置賜白川と合流する地点はどこが元の堤防だったのか全く分からない状態で、豪雨による被災の大きさを物語っている。
小白川橋りょうの被災状況
小白川橋りょうの上流は右岸の護岸を大きく削っていた/下流の置賜白川との合流地点はもはや元の形が分からない
大巻橋は桁が完全に落ちていた。それだけでなく両岸の盛土部も大きく損傷を受けていた。左岸側の建物も杭が露出している。置賜白川を渡河する付近の人道橋「外記川原橋」は無事であったが、同川左岸側の道路や田畑には大木が横たわり、水害の激しさを物語っていた。
外記川原橋は無事だった(上段左、下段中の赤い部分)ものの置賜白川左岸側は大きな被害を蒙っていた
飯豊町萩生の弥五郎橋では両橋台背面が完全に流出
国道113号を東に戻り、小白川橋を渡って白川左岸側に渡り、県道10号を北に向かう。次の目的地は、被害の大きさが報じられている萩生川(飯豊町萩生)である。ついてみると萩生川は両側の護岸とも大きく損傷していた。橋梁も橋台背面の土砂が流失していたり(諏訪橋)、高欄や橋面上まで土砂や流木が堆積していた形跡があったり、桁下がほぼ閉塞している橋梁(二反田橋)もあった。一番ひどかったのは、上流に位置する弥五郎橋で同橋は両橋台とも背面のアプローチが完全に流失していた。同橋は水道も担っていたので、一時的に付近の断水も起こっていたが、記者が訪れた時には既に応急処置をしており、断水は解消されていた。同橋を確認後、記者らは南陽市に投宿した。
萩生川の氾濫による被災状況
萩生川を渡河する諏訪橋橋台背面の被災状況と萩生川上流の堤防損傷状況
二反田橋の被害状況
弥五郎橋は左右両岸とも背面の盛土が流失していた