9)人々の物語を紡ぐ
藤沢周平さんの時代小説に「橋ものがたり」という短編集があります。江戸の橋を舞台に、市井の男女の出会いと別れを10の物語で描いたものです。話のなかで橋が登場する時間はそう長くないのですが、主人公たちの心情をあらわす上で欠かせない装置となっています。このように橋は古今東西を問わず、多くの物語の舞台となってきました。
なぜ橋なのでしょうか。考えてみると不思議だと思いませんか?
僕の恩師である齋藤潮先生は、この点について、「橋梁設計における合理性と物語性の調停8)」という興味深い論考を記しています。人間がものごとを了解する仕方には、論理的に筋道を立て合理性にもとづいて理解する仕方と、想像も交え豊かな物語として経験・記憶する仕方がある。橋は、合理性なくして成り立たない構造物であると同時に、多くの人々が紡いできたように物語を想起しやすい場所でもある。この合理性と物語性を合わせ持つ橋のデザインはどう考えれば良いのかについて論じたものです。そのなかに、橋が物語性を持つ理由を架空方式と紐づけて論じた節があります。少し長いですが、大切だと思うので引用します。
橋梁の上で、人は、彼自身をここまで導いてきたみちすじの上に立つと同時に、彼がまさに跨いでいるみちすじとの交差部に立っている。ここにあるのは、互いに異質ながら、みちすじという点で共通する二つの空間を結び合わせる経験だと言えば良いか。
だからこそ、橋梁はその中程において独特の意味をもつ。だからこそ人をそこに立ち止まらせる。歩いてきたみちすじを彼に振り返らせ、今、跨いでいるみちすじを見下ろさせ、それぞれの「来し方」、「行く末」に思いを向けさせる。これはすでに物語の次元である。
この点だけについて言えば、一般の人々にとって橋梁の構造はどうでもよろしい。1人で静かに橋上にたたずんで水面を見下ろす。親しい人と足下を通過する船舶を数え上げる。こうした物語の想起によって、人々は、自分たちの住む世界の中に橋梁をはっきりと位置づけることができる。
出典:齋藤潮:橋梁設計における合理性と物語性の調停,第13回鋼構造と橋にかんするシンポジウム論文報告集.2010.
ここでいう「みちすじ」は、たんなる空間ではなく、時間を含んだものだと思います。たしかに橋の上で川を眺めるとき、橋の上にいる自分とは異なる、もうひとつの時間の流れを感じている気がします。橋は、架空方式であるがゆえに、他の場所に比べ、時間が強く意識される場所であり、だからこそ物語が想起されやすいのかもしれません。
写真7 広島・明治橋 友人と帰った学校帰りの思い出とともに橋が記憶される
それにしても、人々が物語を紡ぐ場所を設計できる。橋梁の設計とはなんと恵まれた仕事なのでしょうか。
「渡る以外の橋の目的」で取り上げた事例は、いずれも人々が豊かな物語を紡ぐ舞台にふさわしい橋でした。そうした橋の持つ特徴はどこにあるのか、この連載のなかで、折に触れて考えていけたらと思います。
10)住民自治のきっかけ
宮崎県・上崎橋の事例~小さなことから始まる大きな自信~
つい200年ほど前までは、集落の道や水路をつくり直すのは、そこに暮らす人々の仕事でした。必要な知恵も技術も蓄積されていましたし、なにより自分たちの地域は自分たちが責任を持つという精神が根づいていました。
ところが近代になり、行政が住民の代理者として社会基盤施設をつくり維持するようになると、住民たちにとって社会基盤施設は自分ごととして捉える対象ではなくなっていきます。自分たちが直接関与できないわけですから、関心を持ちにくいのは当然ですよね。
こうした住民と行政の不幸な関係を見直す動きは、随分前から始まっています。計画・設計段階での住民参加や、長野県の下條村をはじめ多くの自治体で実施している「建設資材支給事業」や、身近な公共空間を市民が整備する横浜市の「ヨコハマ市民まち普請事業」などがその代表です。
橋でも、出島表門橋や桜城橋などでの橋ふきや、日大の岩城先生らが取り組む「橋の歯磨きプロジェクト」など、多くの取り組みがおこなわれています。
こうした取り組みの先に起こることは何でしょうか。
ここでは、それを教えてくれた宮崎県の上崎橋の事例を紹介します。このプロジェクトは、行幸通りや出雲・神門通りをはじめ日本の重要な空間の照明やベンチのデザインを手掛ける南雲勝志さんによるものです。南雲さんは、日本を代表するプロダクトデザイナーなのですが、地域のかたと一緒にプロジェクトをおこなうことにも大変長けていて、岩手県住田町での「すみた・てつくり(鉄づくり)プロジェクト(2018年グッドデザイン賞)」などのユニークな活動も行っています。
写真8 南雲さんのデザインの一例、姫路駅北広場及び大手前通り
上崎橋に話を戻しますと、以前プロジェクトで一緒だった県職員の方から「住民が思いを共にし、記憶に残る何かを付加したい」という相談を受け始まったそうです。ただ、橋本体の設計はほぼ終わっていて、できることは限られていました。しかも上崎地区は高齢者が多い上に住民は80名程度しかいません。悩んだ末に南雲さんが提案したのは、地区の皆さんが大切に育てた山の杉材を寄付していただき、その伐採から取付けまでみんなで行い、橋をつくるプロセスを一緒に共有しようというものでした。
提案はしたもののすんなり賛成とはいかず、「自分たちだけでやるのは難しい」という声が大半だったようですが、時間をかけて議論を重ね、近隣の大学や南雲さんが主催する「日本全国スギダラケ倶楽部」の協力も得て、実現に向けて動き出します。
山から木を切り出し、製材・加工し、取付ける。一連の作業をみんなで取り組み、開通式の前日、上崎橋の高欄に丸太のトップレールが取り付けられました。
開通式は、親子三代による渡り初めや餅まきなどもおこなわれ、開通式、祝賀会ともに大盛会となったそうです。その後、住民のみなさんは、年に一度、丸太のトップレールの清掃とワックスがけをおこなっています。
写真9 高欄の取付けの様子(写真提供:南雲勝志氏)
写真10 年に一度の高欄のお手入れ(写真提供:南雲勝志氏)
ここまででも素晴らしい取り組みだと思うのですが、僕が特に驚いたのはその後の出来事です。南雲さんが数年後に再訪すると、河川敷に菜の花が一面に広がっていたそうです。住民の方から、上崎橋で手すりを取り付けるまでは公共事業にかかわるなんて大それたことは想像もしたことがなかった。でも、あれをきっかけに自分たちにもできることがあると気がついた。それで、河川敷に菜の花を植えたり、橋詰広場に花を植えるようになったというのです。
写真11 地区住民による河川敷の菜の花畑(写真提供:南雲勝志氏)
南雲さんは、この取り組みを「小さなことから始まる大きな自信」というタイトルで紹介しています。市民にとって社会基盤施設は使うものではあっても、自分たちで造るものと考える人はごく少数です。でも、まちには、道路や河川、駅前広場や公園など多くの社会基盤施設があります。これらの場所を、市民が自分ごととして捉えられるようになれば、河川敷一面の菜の花のように、場所の魅力を高めることにつながるはずです。
おわりに
ここまで3回に渡り、渡る以外の橋の目的を10個、事例とともに紹介してきました。思っていた以上に、渡る以外の目的を持つ橋があるなと感じていただけたらとても嬉しいです。ただ、この10個が特に重要だということではありませんし、どの橋にもこれらの目的を満足する必要はありません。
大切なことは、橋の目的は、その場所の特徴を踏まえて、柔軟に考えることができるし、それによって橋の役割が大きく広がる可能性があるということです。
次回は、こうした思考を含めて、橋の大まかな形を計画するプロセスについて考えていきたいと思います。またご覧いただけたらうれしいです。
参考文献
1) 畑山義人,井上雅弘,菅原登志也:高橋敏五郎と木コンクリート橋,土木学会第65回年次学術講演集,2010.http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2010/65-cs/65-cs04-0013.pdf(参照2023-8-30)
2) 吉田紘一:木コンクリート橋とゴジラ,建設の施工企画Vol.680,日本建設機械化協会,2006.https://jcmanet.or.jp/bunken/kikanshi/2006/10/054.pdf(参照2023-8-30)
3) 加藤誠平,和田祐三:木コンクリート集成T桁橋に関する実験,土木学会誌Vol.36,3,1951.http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/36-03/36-3-13508.pdf(参照2023-8-30)
4) 福田武雄:木構造學,壮文社,1949.
5) 地域景観チーム(岩田圭祐):北海道で普及した「木コンクリート橋」の歴史的価値について,寒地土木研究所月報Vol.833,2022. https://thesis.ceri.go.jp/db/files/19434795662eb12234c5c2.pdf(参照2023-8-30)
6) 2015年バーデン・ビュルテンベルク州の木材建築賞 工学構造部門特別賞https://informationsdienst-holz.de/fileadmin/Publikationen/5_Holzbaupreise_Wettbewerbe/Holzbaupreise_der_Laender/Holzbaupreis_Baden-Wuerttemberg_2015.pdf(2023.Aug.30)
7) ドイツ連邦 運輸・建築・都市開発省:償還額計算条例 – ABBV https://www.gesetze-im-internet.de/abbv/BJNR085600010.html(参照2023-8-30)
8) 齋藤潮:橋梁設計における合理性と物語性の調停,第13回鋼構造と橋にかんするシンポジウム論文報告集.2010.http://library.jsce.or.jp/Image_DB/committee/steel_structure/book/57702/57702-0001.pdf(参照2023-8-30)
9) 南雲勝志:小さなことから始まる大きな自信,エンジニア・アーキテクト協会WEB機関紙,2011.HP:https://www.engineer-architect.jp/specialissue/member/南雲-勝志/825/(参照2023-8-30)
(次回は10月上旬に掲載予定です)