人・資料・組織の結実
NEXCO西日本 関西国際空港連絡橋復旧への軌跡
応急復旧・立案・撤去準備(9月5深夜~7日)
調査完了後、5日21時から対面通行工事に着手した。5日夕方(17時頃)には、対面工事の着手時期が決まっておらず、IISの協力業者である松和工業は、機材類は整えていたものの、職人を別の現場に送っていた。そこに20時に「今夜からやるぞ!」という連絡である。「慌てました。当社のすぐに動かせる人員では足りていなかったので、すぐにIISから当社も友好関係にある架設鳶会社さんに連絡して頂き、人を応援してもらい、資機材は私が運びました」(橋本貴司社長)。施工範囲はトラス桁直上の中央分離帯の防護柵約200mの撤去。これを一夜間で施工し、その他の工事を経て、9月7日にはマイカー、レンタカーを除く車両の対面通行を開始した。
並行して撤去の具体的な検討も走っていた。5日の内には、大型FC船を用いた撤去方針も決まった。鋼重や現地条件から「FC船を用いた撤去以外考えられなかった」(佐溝氏)ためである。3700t吊FC船『武蔵』が空いていたのも僥倖だった。サルベージ会社の立ち上がりは早い。同船を使うことを前提に人員を全国から集め、すぐに協力会社含めて95人の体制を組み上げた。さらに「偶々、今回の損傷した桁の架設時に携わった岡本貢一営業部長が本社に在籍しており、人員配置などを助言してくれた」(深サル・梅野吾郎氏)。
また、図面が残っていたのも大きかった。製作・架設時の図面は、IIS、深サル両社とも残しており、それがあったため最小限の舗装撤去で補強が施された吊点を確保し、吊金具を溶接により取り付けて吊撤去することができるようになった。舗装や付属物の追加重量も同資料により概ね把握できたため、確度の高い吊り上げ重量を推定できた。重要構造物の資料は残すものである。
残っていた! 図面(NEXCO西日本提供、拡大してご覧ください)
図面があったこともあり、舗装の部分撤去は最小限にすみ、吊り金具を取り付けることができた
7日午前中からの撤去方法の会議は「協議ではなく伝達」(深サル・松和)の場であった。実際に内田PMの様子は「鬼気迫る」ものがあった、という。「指示が明確だったためやりやすく、スムーズに作業することができた。当社としても遅れを取るわけにはいかないので会議後、15時には人員を確保し、資機材も4セット分(台船上2セット、桁上2セット)を確保して、翌朝6時から第一便を行かせました」(松和)。
最初の仕事は鉄道側にずれて不安定な桁が落橋しないように橋脚上からの支持により安定化を図るH鋼の架台組立である。次いで鉄道桁へ噛み込んでいる部分のガス切断とレバーブロックによる落下防止対策や、A1、P1、P2ジョイントの撤去(P1およびP2は、ボルト撤去+ガス切断)を3日間、14人ずつの2交代体制(現場10人、供給基地の地蔵浜4人)で施工した。並行して起重機船の係留設備(陸上部)の設置、撤去時の桁の振れ止め設備なども施工した。
鋼製高欄・地覆の撤去工
桁安定化対策/鉄道桁ブラケット落下防止対策
伸縮装置の撤去
桁撤去はA1-P1(支間長89.8m、撤去重量1,040t)から始めることにした。「P1-P2(同97.8m、1,120t)は橋軸直角方向にも斜めになり、(上下的にも)噛み込んでいたこともあり、健全なP2-P3桁への影響を考えると、A1-P1を撤去して広くしてから施工したほうがいい」(深サル)判断からだ。損傷した桁の吊り上げに際して、桁の変形や歪みが影響しなかったのか。「噛み合った箇所に関しては、事前にできるだけ分離し、落下の恐れのある部材はレバーブロックで固縛しました。また、下フランジとウェブが破断している損傷があり、断面の抵抗性能は架設時より下がっています。そのためどれだけの溶接量が残っているのかを推察しながら、より安全側に検証して計画を立てました。幸いなことに、破断のような大きな損傷は桁端部に寄っていましたので、断面抵抗性能が低下しているものの吊り上げに問題はないと判断しました」(IIS)。