九重、天ヶ瀬温泉郷、球磨川流域を橋梁中心に取材
令和2年7月豪雨 熊本県南部と大分県西部の被災現場を歩く
2日目 人吉、球磨
2日目(12日)は、宿を7時半に出て、人吉方面へ向かう。人吉市は、7月4日3時の段階で、降り始め(3日)からの累加雨量は213mm、同6時には255mmに達した。そして水位(人吉市中城町で観測)は3時に2.93mと氾濫注意水位(3.0m)に迫り、同6時には4.15mと氾濫危険水位(3.4m)を超えた。さらに同7時半の累加雨量は311mmに達し、水位は5.01mを記録、同15時20分に人吉市中神町で堤防が決壊した。
昨夜は、熊本県北部で強い強度の雨が降り、被害が出たが、八代や人吉はほとんど雨が降らず、晴れ間すら出る蒸し暑い日中であった。八代市内の球磨川は温度差によるものか、川から靄が立ち込めていた。八代ICから九州自動車道に入り、人吉ICで降り、人吉市街地へ行くため人吉インター線を南下する。市街地に入ると水害によって被害を受けた家屋や店舗の軒先に被災ごみが高く積まれていた。
五日町の交差点を左折し、まず肥薩線の球磨川第三橋梁に向かう。球磨川を渡河する鉄道橋は、第一、第二、第四(第二、第四は後述)が流失したが、この第三橋梁だけは落橋を免れていた。尤も、桁上に残っている木々が、水面がそこまで到達したことを物語っていた。
次いでそのさらに上流、球磨川と川辺川、小さで川の合流地点に架かるくま川鉄道の球磨川第四橋梁に向かう。同橋は橋長322mの14連の鋼桁(鋼上路式プレートガーダーなど)である。
現場(右岸)に着くと、右岸側の一部の径間は脚上に桁が残っていたものの、アプローチの盛土は所々損壊し、レールが宙に浮いていた。桁に近づくにつれ、レールは下流側、桁が流される方向にそれていた。橋脚はおそらく3ないし4基が崩落し、渡河部および左岸側の桁が落橋していた。右岸より左岸の流れが激しかったとみられる。国指定の登録有形文化財であったのだが……。
第四球磨川第四橋梁右岸部/渡河部の桁は全て流失している(片山英資氏提供)
左岸側桁の脱落状況(片山英資氏提供)
右岸上流から見た第四球磨川第四橋梁 明らかに橋脚基数が少ない
桁のずり落ちの跡/右岸側アプローチ部の状況/レールが宙に浮いている
来た道を戻り、五日町の交差点を左折し水ノ手橋で球磨川を渡河し、大手橋を通過、南側からさらに大橋で球磨川を渡る。大橋は通行できるものの、中川原公園に降りる歩行者階段は、洪水により影響で上流側は半ば外れており、下流側は堆積物で通れなくなっていた。そして右岸側の高欄は上下流側とも流されており、安全のための仮設高欄が設置されていた。そして右岸側は溢水のため家屋や店舗が破壊されていた。
大橋 (左:右岸側の高欄が上下流ともに失われている、中:右岸上流から見た被害状況右:右岸下流側にある店舗が大きな被害を受けていた)
青井阿蘇神社の傍らを通過し、一部流失が伝えられている西瀬橋(174m)に向かう。同橋は多径間の鋼下路式トラス橋であるが、単純桁であることが幸いした。1径間は流失しているものの、他の径間はその影響をほとんど受けておらず、桁の通りもよく支承の変位も見られなかった。
青井阿蘇神社
西瀬橋(下流側から撮影)
西瀬橋(上流側から撮影)
西瀬橋流失部左岸側 歩道橋の外側に設置されている街灯の曲がり方が洪水の勢いを物語る
西瀬橋流失部左岸側の橋脚上(左:車道部、右:歩道部)
西瀬橋流失部右岸側の沓座(左、中)/流失を免れた部分の支承はほとんど影響が見受けられない
日本橋梁が架設した橋のようだ。1967年3月と書いてある
さらにその下流、人吉市・球磨村境のわずかに人吉側に位置する天狗橋(180m)は、昭和42年11月に架設された歩行者および自転車専用の橋梁。右岸側に鋼製の下路アーチ、左岸側が鋼製箱桁で、おそらくその形状が天狗の鼻のように見えることから命名されたのではないだろうか。
天狗橋を右岸から撮影/同橋は1967年1月に供用された。東綱橋梁の製作のようだ
天狗橋を左岸上流側から撮影 橋台背面の盛土が流失している。ここは堤防が大きく決壊した地域だ
橋の傍らにある遺構はかつての吊橋の主塔か?
天狗橋橋面上の堆積物 右岸から左岸に向かうほど、その量は多かった
同橋は、橋梁そのものは見た目には損傷を受けていない。ただし左岸側の橋台背面の盛土が流失していた。左岸側の堤防が広範囲にわたって決壊しており(人吉市中神町の堤防決壊現場がここである)、その堤防の線上にあったアプローチ部も流失した。左岸側は農地も、家屋も、広範囲にわたって水害により破壊されていた。天狗橋の桁上に残る漂流物が、洪水時の水面の高さを物語っている。
左岸側アプローチの盛土が流失していた/左岸側は広い範囲で大きな被害を蒙っていた
さらに国道219号を西進し、渡阿蘇神社の手前を左折、堤防道路沿いに右岸を下流に走ると、堤防に隣接するプラントが広範囲に損壊していた、これもかなりの高さまで水が来ていたことを示す痕跡があった。
その先にあったのが沖鶴橋(179.4m)である。昭和58年3月に供用された4径間のコンクリート橋である。橋脚は残っていたが、桁は全ての径間が落ちていた。両岸や支承の状態を見るに上昇した水位により浮き、そしてウエブに受けた水圧によって流されたのだろうか。
沖鶴橋全景(右岸上流側から写す) すべての径間で上部工が流失した
右岸側の落ちている桁
同左岸側/中央部の桁は少し下流側に流されていた
沖鶴橋の沓座状況(左:右岸側橋台、中:橋脚および左岸側橋台、右:橋脚部の沓座を拡大)
最後に訪れたのが相良橋(132m)と肥薩線第二球磨川橋梁(橋長205m)である。国道219号沿いを西進し、大きな被害を受けているJR渡駅を過ぎ、県道325号へ分岐すると、言葉を無くす光景が広がっていた。家屋は屋根まで水が来ていた。そんな痕跡があった。バスは横倒しになっている。
同地付近の渡観測所(球磨村渡)では、7月4日3時時点で水位は8.33mに達し、避難判断水位(7.6m)をはるかに超え、氾濫危険水位(8.7m)の間際まで迫っていた。同4時の水位は9.13mに達し、氾濫危険水位を超えた。さらに同6時の水位に至っては、11.62mに達していた。
昭和9年に架けられた相良橋は、重厚な作りの下路式の曲弦鋼ワーレントラスが2径間あるが、1径間が下流側右岸に転げ落ちていた。もう1径間はどこに流失したか確認できなかった。
相良橋 曲弦鋼ワーレントラス2径間はいずれも流失した/右岸側1径間は下流側に横たわっていた
昭和9年に竣工した歴史ある名橋であったのだが……
肥薩線第二球磨川橋梁(1908年完成。ピン結合式曲弦プラットトラスの上路プレートガーダー橋、上淀川橋梁などと同じくアメリカン・ブリッジが製作)は、右岸側アプローチ部の1径間を除き、トラス構造の2径間と左岸側アプローチの1径間が落橋していた。右岸側も無事であるわけではない。家屋や店舗は広範囲に損壊し、肥薩線の盛土や線路は大規模に損傷していた。右岸側アプローチの桁が流されなかったのは、流れが逸れたからに過ぎない。
第二球磨川橋梁① トラス構造の2径間と左岸側アプローチの1径間が落橋
第二球磨川橋梁② 右岸側橋台および橋脚の沓座
同橋以降、国道219号のさらなる西進は、復旧関係者しか入ることを許されず、球磨村中心部の取材はできなかった。
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記者は頻繁に水害の取材を行っている。2009年夏に佐用など兵庫県を襲った台風9号水害、11年夏の福島会津地方から新潟県までを襲った水害、耶馬渓や菊地、阿蘇、滝室坂などを襲った12年7月の九州北部水害、北海道を襲った16年夏の台風10号による水害、17年7月に福岡県の朝倉やうきは、大分県の日田などを襲った九州北部豪雨、18年7月に西日本全域を襲った豪雨(①、②)、19年は夏から秋にかけて、全国で台風や豪雨などの被害が生じた(当NETでは10月の台風19号災害について、長野県の千曲川沿いと栃木県南部を取材した)。
台風や線状降水帯などを原因とした豪雨による水害は、常態化しているのだ。既に2012年7月の水害で九州大学の塚原健一教授などは、有明海の海面温度の上昇などから、これらの豪雨や災害の危険性が常態化することを話されていた。数十年とか100年に1度の害では最早ないのだ。現実を見なくてはいけない。現実を見た上で何を為すべきか、考えなくてはいけない。
2011年は被害が生じた地区のうち只見川の水害を取材したが、短時間豪雨により考えられない高さまで水位が上昇し、JR只見線の橋梁群や比較的高いクリアランスがある位置に架かったアーチ橋など(例えば二本木橋)を流失させた(これは水だけでなく、上流のダム湖に係留されていた船が漂流し、激突した可能性もあったが)。
球磨川沿いでも流れなかった橋はある。葉木橋は左岸側橋台が、堤防を越えた一段高い位置にあり、上下流の左岸が大きな被害を蒙っていたにも関わらず無事であった。右岸側も堤防橋台であるが、上流側より少し高い位置に架けられている(それでも同橋の下流側右岸部では鋼矢板に守られた道路が無残に陥没していたため一歩間違えれば落橋していた可能性がある)。中小河川をあまり回れなかったため、小河川に架かる橋梁の状況が見られなかったのが心残りだが、感じたのは河積阻害率の高い、クリアランスの低い橋は架け替えるべきだ、ということである。とりわけ古い鉄道橋は手を入れるべきだ。第二野上川橋梁の流失はクリアランスが低く、河積阻害率が高く、無筋コンクリートのまま補強を施していなかったことから損壊したと思われるからだ。花月川橋梁の教訓は生かせなかったのか?
平成29年7月豪雨でのJR日田彦山線の花月川橋梁の被災状況。橋脚が全て倒壊した
(洗堀の影響はまだわからないが)河川内下部工の基礎形式は耐震だけでなく水害を考慮した設計を施し、既設橋は基礎や下部工に補強を為すべきではないかとも思う。葉木橋が無事でなければ、調査も避難ももっと遅れたことだろう。
杭があれば踏ん張れることも(写真は平成28年台風10号により被災した国道38号芽室橋背面のボックスカルバート直下の杭)
河川の改修(拡幅や河床掘削)や維持管理(浚渫など)も含めて予算のいることではある。しかし、早く手を付けねば市民の貴重な財産は守れない。為政者は即断を迫られる状況にまで来ていることを認識すべきではないのだろうか。危機感が募る。(2020年7月15日掲載)