人・資料・組織の結実
NEXCO西日本 関西国際空港連絡橋復旧への軌跡
施工を終えて
NEXCO西日本・佐溝氏
「総力を挙げて最短と思える期間で復旧できたというのは良い経験になりました。本社、関西支社だけでなく、同橋を直接管理する阪奈高速道路事務所は対外協議も含めて非常に大変でしたが、その職責をよく果たしてくれたと思います。鉄道事業者・空港管理者など関係者との協議が非常に上手くいき、その協力・連携がスムーズに図れたのも短期間での復旧を実現した大きな要因であると考えています。NEXCOとしては緊急時の体制構築を経験するごとに一つ、次への備えが新しくできることになっていると感じます。次回災害が起こった際にも今回の経験を生かしていきます。」
IHIインフラシステム・内田氏
「個人的にも非常にやりがいがある工事でした。緊急的な工事に対応する中で課題がどんどん出てきて、即座に解決していかなくてはいけないので、大変ではありましたが、NEXCOさんはじめ、関係者の皆様が非常に協力的でした。そのため判断を素早く実行していけました。こうした力が結集されたことが短期での復旧が行えた理由だと思います。結果的に天気にも恵まれました。NEXCOさんが当社へ最初に声をかけていただけたのは非常に光栄に感じました。その期待に沿える技術を示せたのは良かったと思います。当社は緊急課題にも対処できるプロジェクトマネジメント体制を有し、様々な現場で機能していたことも、今回の復旧事業の役に立ったと考えています。」
深田サルベージ建設・梅野氏
「撤去が決まってからは時間との勝負・復旧が決まってからは天候との勝負」となりましたが、対外的な調整をIIS内田さんが施工しやすい方向で調整して頂いたおかげで、当社は準備に専念でき、また、天候が良く予定範囲内で全て終えることが出来たのは、緊急な状況下の中での折衝・采配・地元の協力があってスムーズに進行したことが、一番の要素と思います。また、社内で関空作業経験者がおり、的確なアドバイスや初期架設資料などをもらいながら、並行して人員・船舶確保等がほぼ理想的に行う事が出来ました。あらためて、資料整理の良さ・人の輪を感じた作業でした。」
松和工業・橋本氏
「緊急の仕事で、こうした急速施工を余儀なくされていくと、社内はもちろん、客先や下請け業者との連携が重要であることをひしひしと感じました。特に撤去に関してはIISさんの統率力だと思います。7日の事前打ち合わせは、指示が分かりやすく徹底されておりました。この打ち合わせでみんなが動き出したので、後は本当に、製造も施工も一体となって動き出したように感じます。」
取材後記
船が橋に当たる。こうした被災は非常に稀なものであることは言うまでもない。しかし、その直後には山口県が管理する(建設は日本道路公団)大島大橋に貨物船の上部が接触し、桁に大きな損傷を与えた。記者は東日本大震災のずっと前の2004年9月に大森大橋(北海道開発局小樽開発建設部が所管していた日本海に面する長大PC橋)の落橋(台風と満潮時が重なり波の浮力などによりPC桁が落橋した)を取材したことがある。東日本大震災級の津波はともかく、海に架かる橋は、条件によっては起こりえないことが起こるのだ。
関空連絡橋は通常は1年を優に超える工期を7~8ヵ月に短縮した。この要因は市民の関心が高い注目のインフラだったからだろうか? それもあるだろう。しかし、取材をしていると、感じたのは初動の速さだ。その初動の速さを支えているのは、人、資料、そして組織だ。IISと深サルには当時の資料が残っていた。深サルには当時の架設に携わった人間が在籍していた。NEXCO西は熊本地震、西日本豪雨などに痛めつけられながらも緊急時の対応力を磨いていた。IISは緊急時にも適応できるプロジェクトマネジメント体制を有していた。松和工業は、架設鳶会社同士の横の連帯を機能させて対応した。災害が頻発する日本の道路インフラを守るのは詰まるところ、人(組織含む)と資料なのだ、と感じた次第である。
元請・IHIインフラシステム、一次下請・高田機工(桁製作)、深田サルべージ建設、松和工業(架設)、鹿島道路(舗装)など。鋼床版研掃工はフタミ。支承製作は日本鋳造。
4月8日無事供用された