呉市
平成30年7月豪雨 被災現場を巡る②
安浦町地区の取材を終えて、国道185号、県道248号を通って戸浜川沿いの戸浜橋(川尻町才野谷)に向かう。そこは巨岩が点在し、どこに川があったのか、橋があったのか、分からない状態であった。
戸浜橋(川尻町)① どこに川があり、道があったのか?
戸浜橋(川尻町)② 道か護岸か?/はるか上のほうまで岩が散乱している
戸浜橋(川尻町)③ 呉市水道局の職員が現状視察に来ていた。ここでも真砂土が印象に残った
次いで戸浜川下流の仁方町字名川越新開では、呉線が水で本土と隔たられていた。ここはカルバートで渡してあったらしいが、それがどこなのか、想像することは難しかった。
呉線の陸側が沼と化していた(戸浜川下流の仁方町字名川越新開)
戸浜川最下流は真砂土と巨岩と流木で覆われていた。右の写真の手前がカルバートだろうか
次いで向かったのが広地区の3橋である。広三芦1丁目の芦冠川に架かる下芦冠橋は、閉塞していた橋梁の土砂を撤去していた。上流から土砂が大量に流れ込みとりわけ巨大な岩が家屋を損壊させていた。
損壊した家屋/閉塞状況にあった下芦冠橋を復旧している
広大広2丁目地区の黒瀬川に架かる真光寺橋は端部の数径間を残して桁が流され、橋脚も倒壊していた。同橋は、橋長107.5mの木製橋梁で、江戸時代末期に架けられて修復や架け替えを繰り返しており、最近では2016年3月に修復を果たしたばかりであった。
崩落した真光寺橋①
下部工は中央から右岸にかけて崩落していた。左岸側の一部は無事だった。
右岸側はアバット上の桁もなくなっていた
同橋の下流にある大広橋には、真光寺橋の桁が引っ掛かっていた。一部のパイルベント橋脚が流れ方向に折れ曲がっていた。桁の流失は幸いにして無かった。
大広橋には真光寺橋の桁が引っかかっていた
真光寺橋のパイルベント橋脚の損傷
次いで向かったのが、広町の国道375号の二級峡トンネル手前にある神段原橋である。とても高い所から山が崩れ、橋梁が崩落していた。
神段原橋付近の崩落(両写真とも計測リサーチコンサルタント・岡本卓慈社長提供)
神段原橋付近の復旧作業
最後に取材したのは、郷原町の大積川橋である。東広島呉道路を北上し、郷原ICで降りて、県道66号、国道375号を伝い、大積橋で右折、山間部に入る。途中でがけ崩れがあったため、徒歩で現場に向かうと、同橋は完全に上部工を流失していた。付近の農地を耕す方に聞くと、同橋が閉塞したことによって、土砂や水が溢れ農地に損害をもたらしたということ。「水田に水を供給するポンプを早く設置しなければ」と焦っていた。
大積川橋にいたる道は多くの地滑りを起こしていた①
大積川橋にいたる道は多くの地滑りを起こしていた②
大積川橋は崩落していた
現場を歩くと、国道や県道の橋はほとんどが生きていた。損傷を被っていたのは、押し並べて径間が多い、またはクリアランスの少ない基礎自治体の橋梁だ。繰り返すが、今後はほぼ毎年、各地でこうした洪水が繰り返される可能性が高い。そして河積阻害率の高い橋梁は、洪水の被害を助長する。必要な橋は架けかえる、不必要な橋は落とす。ハザードマップと視覚効果の高い3Dシミュレーションなどを使って該当地域の住民に説明し、橋梁のトリアージを行なわねば、今回と同じように、橋梁が頑張ることにより溢水を招き、最終的に橋梁自体も流されるということが各地で繰り返されるだろう。もはやこれは既知の事実である。これに対応しなければ、不作為を問われても致し方ない状況まで来ている。国は強力な予算措置を行い、全国的に市町村が保有する橋梁のトリアージと架け替えを進めるべきである。(2018年8月7日掲載)