大分県日田市・中津市、福岡県朝倉市・東峰村など
九州北部豪雨で生じた道路被災の現場を歩く
2.福岡
福岡には20日夜に入り、取材に備えた。8時半ごろに博多駅付近で片山氏と合流、高速に乗り、水城ICで降りて国道3、386、322号などを伝い、太刀洗町役場から県道14号を東に進むと長田川に架かる長田橋(朝倉市下長田付近)流失していた。両側が大きく損壊していて、災害前を想定するのはとても難しいが、グーグルマップを見るとそれほど川幅は広くなく、橋そのものも極めて小規模かもしくはカルバートであった可能性もある。
長田橋があった箇所
桂川沿いは総じて田圃の被害が大きい、河川からの溢水だけでなく、用水溝が溢れて稲やビニルハウスに被害を与えたことが推定される箇所も多数あった。ほぼ同じ地域で被害を受けていない田圃もあったが、この差が何に起因するのかは分からない。
桂川沿いの田圃の被害
同じく桂川の同市坂井付近に架かる坂井橋はパイルベント橋脚ではあるが、クリアランスが高いためか無事であった。20mほど離れた下流側には橋脚、橋台が建設されているが、橋台の位置には少し疑問が残る。
坂井橋/下流側に建設中の橋梁下部工
さらに桂川沿いを東へ。桂川と支流の荷原川との合流部では、溢水の際の衝撃で舗装が大きく壊れていた(同市田島)。その後県道508号を北に走り、大分自動車沿いに東へ、同市入地に架かる宮崎橋は、手前の護岸がやられていたものの、橋自体は無事であった。しかし、大分道の橋脚は僅かではあるが洗掘が見られている。
宮崎橋/大分自動車道高架橋脚の洗掘
また、北側の田圃はほぼ壊滅状態の態だ。さらに東進、同市宮野の大分道北隣の桂川渡河部に架かる廻利橋は1984年3月にJHが架けた単純PC桁だが、ビクともしていない。クリアランスがあり、河川内に橋脚が無いとそうは落ちないのだ。
廻利橋
一方でその上流にある星野原橋(昭和33年8月に建設、県道80号と同市立比良松中学校を結ぶ橋梁)は両岸橋台背面のアプローチ部が完全に流失、左岸側のアバットは洗掘により傾斜しており、桁もご覧の通りの状況になっていた。桁の高欄に流木があることから、おそらくは路面にまで水が到達していたのだろう。閉塞が原因でアプローチの土砂が流されたのかどうかは分からない。上流の護岸も大きな被害を受けているからだ。ただ、その上流の建造物の状況を見ると、特に中小河川に隣接している橋梁や建築物の基礎は杭基礎にすべきなのかもしれない、比良松中の体育館や北海道水害の際の芽室橋(いずれも杭基礎のため崩落しなかった)を見るとそう思う。
星野原橋① (左)南側から撮影/(右)北側から撮影
星野原橋② 左岸至近から橋台を撮影。明らかに傾斜している。/ピア上でもハッキリと分かる
右岸側の比良松中学校の建築物。基礎形式の差が明暗を分けた
さらに比良松の交差点を東に向かい、桂川に沿って上流を巡る。比良松団地付近にかかるもやい橋は無事だったが、左岸側護岸は大きく損傷していた。下流側にある川崎橋は工事用に占用されていた。同橋から上流側を見ると両岸とも大きな損傷を受けていた。
もやい橋から下流方向を見る/川崎橋
川崎橋から上流側を見ると両岸が大きく被災していた
引き返して途中で県道79号に分岐し、桂川支流妙見川にかかる妙見橋(昭和53年竣工)は右岸側の橋台背面盛土およびアプローチが流失しており対岸に渡ることはかなわなかった。
妙見橋
次いで国道386号との分岐まで戻り、東へ筑後川右岸の三連水車の里付近に到達すると、右岸側は筑後川河岸からかなり離れた国道も冠水した形跡が残っていた。河岸にあったであろう農地はほぼ無くなっており、国道のガードレールは飴細工のようにぐにゃぐにゃに変形している。
農地? だったのだろうか/ぐにゃぐにゃにねじ曲がったガードレール
さらに進むと、同市杷木志波付近の北川渡河部ある本陣橋は北側にある歩道部が土砂で埋まっていた。上流は護岸に大きな被害が生じている。よく落ちなかったものだ。
本陣橋/上流側は大きく損壊している
歩道は土砂で埋まっていた/本陣橋の下流にある大分道高架橋と本陣新橋
さらに進むと朝倉光陽高校が見えてくる。ここも筑後川に注ぐ小河川(浜川)が存在する。国道386号の橋こそは無事だったが、上流では橋台が落ちたり、高欄が無くなっていたりと大きな被害を生じていた。左岸側が特に被害が大きく。農地は大きく損なわれていた。
朝倉光陽高校付近の国道386号の橋梁/その一つ上流の橋
さらに上流では橋台が損傷し橋が傾いていた
さらに国道386号から分岐して県道を赤谷川に沿って進むが、杷木林田付近で引き返し、宝珠山の方へ向かった。
赤谷川沿いの被災状況
最も損傷が目立ったのが日田市大肥の瀬部踏切近くである。JRの橋梁は保っていたものの、その南側の盛土は崩れ、レールが宙に浮いていた。左岸側は土砂や流木が転々と存在し、水も未だ残っていた。19日に取材した宝珠山駅付近の橋梁による河川閉塞が大きな被害を招いたのではないか、とは付近在住の方の言だ。最後に県道52号を北上し、県道108号との分岐点である阿弥陀堂橋を超え、東峰村の宝珠山付近を筑前岩屋駅付近ぐらいまで行ったところでタイムアップとなった。
瀬部踏切
瀬部集落の被害状況
瀬部付近盛土を失い浮いたレール
鉄道橋は無事だった。架設は鉄道省時代のもののようだ
県道52号を北上 伊東屋付近/阿弥陀堂橋手前
阿弥陀堂橋
阿弥陀堂橋から宝珠山川上流を望む/さらに上の状況
国道211号と大肥川左岸を結ぶ東峰村小石原鼓付近の渡河橋。高欄が全てなくなっている
大肥川支流赤薮川では護岸や橋脚が大きく損傷していた/
上流では河道が閉塞して橋桁の上を水が流れていた
北海道水害と異なり今次の現場では、河川に対して護岸が良く整備されている。橋もクリアランスこそ低いものの、単純桁が多いことから、一部の橋梁を除き、流失ということは避けられている。しかし、それでも溢水による道路冠水や農地、住宅地の損壊を招いた。また、護岸そのものも大きく損傷している。異常気象は原因の大きな要素ではあるが、被害が拡大したのはそれだけではあるまい。繰り返すが、山林の管理が行き届かないための流木・土砂の発生が被害拡大を増幅していることは論を俟たないであろう。避難計画などのソフトウェア対策も充実しているが、家屋が流されてはその後の生活がままならない。ダムや法面などの土木的対策も無論やっていく必要はあるが、それにもまして山林対策は急務なのではないか。佐用水害から取材している身としては、危機感は増すばかりだ。