熊本市内~益城町~南阿蘇村を回る
熊本震災報告①
さて、秋津川南岸(左岸)に沿って走ると北岸(右岸)が酷く損傷していることが分かる(左写真)。振り返ってみると木山川も同傾向にあり、地震の特徴が出ている。そして、惣領橋(益城郡益城町惣領)を渡ると風景は一変していた。今まで通過していた箇所は田園地帯が多く、家屋の損傷の程度は分からなかった。同行者も熊本市内しか足を運んでおらず、益城町の秋津川北岸地区の家屋の損傷には絶句していた。良く見ると1階が崩落している家屋、駐車場の車がつっかえとなって支えている家屋などがある。阪神大震災の記憶がフィードバック(記者は当時、関西在住で友人が多く神戸に住んでいた)する。お互い無言。カメラのシャッター音のみが響く。
益城町惣領地区 家屋の倒壊や損傷が多くみられた
車はひたすら西へ、益城町杉堂の荒瀬橋を通過し、日真寺に向かう箇所で道路は転石や倒木により不通となっていた。道路右側の斜面は土砂崩れを起こしている。「危険を無視すれば徒歩はできるが、車はとても無理」とは実際に歩いていた人の弁。
県道28号線は益城町杉堂で不通になっていた
あきらめて来た道を少し戻り、堂園橋手前の郵便局を左折し、グリーンロード南阿蘇を使って阿蘇方面へ行くことにした。同道路も土砂崩落で通行止めになっていたが、22日にTEC-FORCEによって啓開された。国土交通省の働きには頭が下がる。午後4時ごろに南阿蘇村に到着、白川、南阿蘇鉄道交差部を越えて国道325号と並行する町道を走り、朝陽ホテルを少し過ぎた箇所にあるコンビニ近くで325号と合流、ひたすら西北へ、南阿蘇橋、阿蘇大橋(いずれも南阿蘇村)を目指す。
南阿蘇橋(橋長110㍍、総幅員9㍍、上路式2ヒンジ鋼アーチ橋)は、ジョイントの状況を見ると南側伸縮装置の損傷がより激しい。桁衝突時の影響であろうか、桁側が橋台に盛り上がるようなジョイントの状態になっている。また、片側のダンパーが根本からもげていた。地震時にダンパーが期待通り作動したのだろうか。同橋は制震ダンパーや座屈拘束ブレースなど制震装置を設置する一方で免震支承への交換はしていなかった。一方で北側橋台部の損傷はさほど酷くなかった。
損傷の激しい南側(左岸側)の伸縮装置
北側(右岸側)の伸縮装置はさほど損傷を受けていなかった
南阿蘇橋
ダンパーの受台がとれてしまっている
南阿蘇橋から阿蘇大橋への道すがら、ある駐車場を見ると、大きくひび割れが走り、目測であるが50㌢以上の陥没が見られた。国道57号と豊肥本線が走る対岸は大規模ながけ崩れが広範囲に生じている。
広範囲に生じているがけ崩れ
駐車場で生じていた路面のひび割れ、陥没
そして阿蘇大橋、立ち尽くすほかはない。崩落現場を見た時言葉が出なかった。阿蘇大橋は数十㍍の高さに及ぶ斜面崩壊に巻き込まれて右岸側から崩落、左岸側の一部に桁の残骸が見える。支承は脱落し、落橋防止装置は引きちぎられている。東日本大震災の時にも見た絵面だ。あの時は津波だったが、自然の大きな力に対しこれらはあまりにも無力だ(無意味ではない)。阿蘇大橋は黒川地区の発展に大きく寄与した橋で、東海大学阿蘇キャンパスの大手門ともいうべき構造物だが、常識的に見て同じ所に橋を架けることは難しいだろう。崩落した国道57号も同様で、滝室坂のようなトンネル形式の事業化が想定される。
(左)斜面崩壊と阿蘇大橋の橋台、規模感が分かる/ (右)左岸側の橋台 落葉防止用のPCケーブルがちぎれ支承の上半分が脱落している
右岸側橋台部拡大写真/左岸側橋台近傍に落下していた鋼桁の一部
来た道を戻り、長陽公園付近の交差点から阿蘇長陽大橋方面へ向かう。土木学会西部支部の緊急報告でも西側アプローチ部の損傷、橋台付近の崩落が記述されていた。
西側アプローチ部が損傷、崩落している
記者はそれを東側から見た。木戸川橋には損傷が見られないが、小山ホテルでは駐車場に止めてあった車が巨岩により潰されていた(後で付近に住む方に聞くと人は乗っていなかったようである。良かった)。さらに進むと倒木や転岩が方々にあり、道路は大きく地割れしている。白岩橋は橋本体には大きな損傷がなかったが転石が散っている。そして阿蘇長陽大橋のアプローチとなる戸下大橋は橋桁が一部で斜面崩壊に飲み込まれて落橋していた。
ひび割れを起こしている法面/巨岩や倒木が道路を覆う
道路も大きなひび割れ、陥没を生じていた/巨岩が車を破壊していた
白岩橋は路面上ではさほど損傷が見られなかった
戸下大橋は斜面崩壊により桁が落ちており、これ以上進めなかった
同橋桁落下部拡大写真
それ以上進むことは不可能だった。阿蘇長陽大橋、阿蘇大橋、2本の立野方面と結ぶ橋が崩れたことは、この地区に住む人々の生活、産業にとって大きなダメージだ。「仮橋でも良いからとにかく立野へのルートを作ってほしい」という住民の声は切迫したものがある。ただし、本橋は位置、スパンとも慎重に選定する必要があるだろう(スパンの長大化は不可避であろう)。熊本市内へ帰り、車中で一泊した。(以下、明日更新予定)