前回の「出来上がった構造物の品質について?」読まれた方はどのように感じられたのか感想を聞かせていただきたいと読者の方々に問いかけたが、5月末までに具体的な問い合わせがなかった。私としては反響を知りたかっただけにとても残念である。読者の反響を受け、次の執筆に向けた意欲を盛り上げて書こうとの考えであったことから、中途半端な気持ちのまま第2回の執筆を始めたことをお許しいただきたい。今回は、橋の架け替えについて日ごろから考えていることを文字にしてみようと思う。
2.「道路橋の変状と架け替え」について大きな疑問
「土木研究所資料・国土技術政策総合研究所資料」によると、道路橋の架け替えについて調査した結果を見ると、平成18年とその10年前(平成8年)と構成比はほとんど変わっていない。第一位が改良工事、第二位が機能上の問題、第三位が上部工の損傷であり、下部工の損傷、耐荷力不足、耐震対策の割合は問題とならないくらい低い。
確かに、私の経験した架け替えの事例を考えると、橋の部位や部材が朽ち果て、架け替えざるを得ない状態となった橋の架け替えを行ったことは一度もない。その事例としてどこの橋とは言わないが、地元やそれを眺める人々のランドマークとなっていた特徴ある60数年経過した橋を同じ幅員で線形も改良せずに無味乾燥な下路橋に架け替えた。架け替える前の橋は、大きな腐食や疲労き裂などの耐荷力不足や安全性が危惧される損傷は全くなかったが、120億もの多額の事業費と約10年の期間を要して架け替えたのを今でも覚えている。
それでは、供用している橋の架け替えは何によって決まり、架け替えた結果が橋を利用する人々にどのように受け入れられているのかについて考えてみることとする。
管理者の手が入れば綺麗な状態は保てる
少子高齢化が急速に進む我が国は、国内における新規の道路計画がある程度のニーズを満たしつつある状況下において、なぜか橋が50年で老朽化しこのまま放置すると橋の寿命が尽きるかのような考え方か主流となってきている。今から50年前は1965年、昭和39年の東京オリンピックが開催された翌年である。その後の高度経済成長期は、交通網整備などの社会基盤整備に多くの予算を使い、その結果、明治から戦前に建設した多くの橋梁が機能上の問題や改良工事などの理由で架け替えられてきている。戦前に架けられた橋、確かに外見はくたびれて見える。しかし、地域で重要な位置を占める橋、歴史的な橋、著名な橋の多くは、管理者の手が入ってそれなりに綺麗な状態を保っているようにも見える。
架け替えは利用者ではなく管理者の発案?
私の経験からすると、供用中の橋を架け替える発案のほとんどは利用者でなく、管理者の発案である。また、機能上等の問題から架け替えようとする判断を止めるのも管理者である。橋の架かっている地元や利用者から架け替えを要望される事例は、豪雨や台風で大きな被害を受け日々の生活に影響がある場合を除いてまれである。 隅田川の河口に架かる勝鬨橋も架け替えが計画された時期があった。勝鬨橋の下を通過する地下構造物と交通対策のためである。あの時に声を大にして架け替え不要論を打ち出さなければ、貴重な双葉式可動橋・勝鬨橋は当時流行りであった斜張橋に代わっていたかもしれない。 そうなると「橋の博物館・隅田川」の名称が無くなり、現在建設中の築地大橋も3径間のアーチ橋でなかったかもしれない。と考えると影響は計り知れない。ひょっとしたら橋の架け替えは、管理者の予算獲得、組織防衛のためであるかもしれない。次に、架け変わった橋が住民に本当に愛される橋となるかを考えてみる。