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-分かっていますか?何が問題なのか- ㊾高齢橋梁の性能と健全度推移について(その6) ‐将来に残すべき著名橋になすべきことは‐

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎

公開日:2019.05.01

2.構造の違いが健全度に影響するのか(その2)

 鉄筋コンクリート橋が我が国で初めて建設されたのは、1903年(明治36年)で構造形式は床版橋、橋長が3.7mの『若狭橋』神戸市である。『若狭橋』が4.0m弱の橋梁であることをイメージし、現実としてこのイメージを頭に浮かべて考えてみる。申し訳ないが、単なる渡し板を小川に架けた外観が思い浮かぶ。『若狭橋』を資料として残したい考えは分かるが、あまりにも小さい橋梁であることから、私はこれが原点かと疑っている。『若狭橋』の在りし日の姿を見て、車両が通れる本格的道路橋とはとても思えないからだ。

 ある程度の規模を持った鉄筋コンクリート道路橋の国内初としては、橋長49.4m(支間長が12m、4連)の『佐世保橋』で1906年(明治39年)建設であるが、資料を見ると国内で2番目となっている。と言うことは、『若狭橋』から『佐世保橋』を建設する間の3年間には鉄筋コンクリート橋は1橋も建設されなかったことになる。何かおかしい。
 他の資料を見ると、琵琶湖疎水第三トンネル入り口付近に架かる幅1.0m、橋長3.7mのコンクリート橋が日本初で、1906年(明治36年)7月建設となっている。当該橋梁は、『日ノ岡第11号橋』と呼ばれ、国産セメントを試験用として使い、鉄筋コンクリート橋でも鉄筋ではなく、トロッコのレールを使った鉄骨コンクリート橋でメラン式である。『日ノ岡第11号橋』が国内初と言われるようになったのは、1930年(昭和5年)に発生した天智天皇稜裏疏水決壊事故がきっかけであるらしい。翌年の1931年に復旧工事が行われた際、工事に立ち会った著名な田辺朔郎教授(京都大学)が、『日ノ岡第11号橋』の由来を話したところから、国内初の鉄筋コンクリート橋と言われるようになったとのことだ。

 鋼橋の場合が、同じ長崎県の『くろがね橋』1868年(慶応4年)であることを考えると、昔からあった木橋から永久橋、鋼やコンクリートを使った道路橋の始まりは長崎県であると言えるかもしれない。しかし、プレストレストコンクリート道路橋となると、石川県七尾市の『長生橋』で1952年(昭和27年)であり、橋長は、11.6mで支間長は3.6mの3径間、総幅員6.8mである。先の鉄筋コンクリート道路橋『若狭橋』の3.7mと比較すると、径間長は0.1mほど短いが橋脚を2基“御祓川”内に造り、11m強で河川を跨いだことに技術的な意義があるのであろう。『長生橋』は、プレストレストコンクリート技術者にとっては、貴重な道路橋として捉えられ、工場で作られた逆T桁を現地で組み立てたプレテンション方式を採用したことで有名である。鉄筋コンクリート道路橋と同様に、ある一定規模のプレストレストコンクリート道路橋となると、翌年の1953年(昭和28年)に建設された福井県坂井市にある『十郷橋(別名東十郷橋)』で、国内初の現場でPC構造とするポストテンション方式によって建設された橋長7.85m、幅員7.50mである。当該橋梁は、セルジュ・コバニコ氏(フランス・フレシネインターナショナル社)が設計、施工指導することで建設された。セルジュ・コバニコ氏は、翌年の1954年(昭和29年)に、滋賀県甲賀市の信楽高原鐡道に架かる国内初のプレストレストコンクリート鉄道橋『第一大戸川橋梁』の設計にも関与している。『第一大戸川橋梁』は、国内外でも当時最先端のプレストレストコンクリート技術で建設された鉄道橋として著名であり、橋長31mであるが、支承は私も見たこともない、コンクリート製ロッカー支承が採用されている。昔の技術者は凄い、自らをとことん信じている。
 さて、分析に移ろう。今回分析した床版橋は、総数262橋で分析総数の約1割の11.0%にあたる。当初の定期点検では、健全なAランク評価が96橋の36.6%、ほぼ健全なBランク評価が97橋の37.1%、やや注意のCランク評価が55橋の21.0%、注意のDランク評価が9橋の3.4%、危険のEランク評価が5橋の1.9%となっている。
 3回目の定期点検で、健全なAランク評価となった箇所は、57橋の21.8%、ほぼ健全なBランク評価となった箇所は、100橋の38.1%、やや注意のCランク評価となった箇所は、90橋の34.4%、注意のDランク評価となった箇所は、15箇所の5.7%、危険のEランク評価となった箇所は0となった。
 傾向としては、健全、ほぼ健全評価の橋梁が73.7%であったのが、15年の経過で59.9%と13.8%減少し、健全度中位に位置するやや注意のCランク評価橋梁が34.4%と13.4%増加している。また、注意のDランク評価橋梁は、5.7%と2.3%と倍増傾向ではあるが、危険のEランク橋梁が0となっているので、管理状態の傾向としては大きな問題があるとは感じられない結果と言える。
 次に、図-5に示した健全度の推移について分析した結果を説明しよう。最も割合が多いのが、ほぼ健全なBランクで15年間経過しているのが33橋の12.6%、二番目が健全なAランクで15年間経過しているのが32橋の12.2%、三番目が健全なAランクでスタートし、3回目でほぼ健全なBランクに推移したのが22橋の8.4%、四番目がほぼ健全なBランクからスタートし3回目でやや注意のCランクに推移したのが20橋の7.6%、五番目が健全なAランクからスタートし、5年目にほぼ健全なBランクに推移し、そのままBランクであったのが18橋の6.9%であった。以上がベスト5である。これ以降は、やや注意のCランクで推移したのが16橋の6.1%、ほぼ健全のBランクからCランクが15橋の5.7%、やや注意のCランクからほぼ健全のBランク、15年後にCランクが10橋の3.8%、やや注意のCランクからほぼ健全のBランクに推移したのが8橋の3.1%と続く。グラフにはその他になっている、3%近くに該当するグループを調べてみると、健全なAランクが続き15年目にやや注意のCランクに推移したグループが7橋の2.7%である
 。同様な割合を示しているのは、3グループあり、一つは、ほぼ健全のBランクから健全なAランクとなり、そのまま推移したグループ、ほぼ健全なBランクから、健全なAランク、15年後が注意のCランクに推移したグループであった。いずれにしても他の構造形式と比較して明確な傾向としては、比較的健全な健全度で推移するグループが多く、2ランク飛ばしや危険と判断される割合が少なかった。
 これは、写真-16のような床版橋であることから、支間長が短く、外観もほとんど面であり、外気に触れる面積も少ないことから変状も少なく、点検・診断者の評価ぶれが少ないことからと考える。以上が床版橋の分析結果である。今回の分析は床版橋1種類で終わりとし、次回、記念すべき節目となる50回目にトラス橋、アーチ橋、ラーメン橋、斜張橋、吊り橋の分析結果を説明するとしよう。また、多くの読者が期待している“将来に残すべき著名橋になすべきことは”に触れ、持論で考えを述べて今回の連載“高齢橋梁の性能と健全度推移について”を終わりにしたい。最終章は、今回の話しの始まりに関連する荘厳な高欄のある道路橋、神宮橋が締めとなる。
次ページ 3.荘厳な高欄のある神宮橋の歴史と景観

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