第92回 行政マンであり、技術者なのだ
民間と行政、双方の間から見えるもの
植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人国際建造物保全技術協会 理事長
植野 芳彦 氏
1.はじめに
毎回勝手なことを書いている。前回のインハウスエンジニアに関して書いたが、今回はさらに掘り下げる。「自治体のことはよくわからない」と多くの方に言われるが、それは入り込んでいないから。実は自治体、特に市町村では「まちづくり」を目指し入庁する、技術系職員が多い。時々、大学などで講演を頼まれた時に最初に聞くが、学生は、ほとんどが「まちづくり」「景観」「デザイン」と出てくる。また、公務員は人気が無いが、やりたい仕事は「観光」と「地域創生」だそうである。世の中が「ソフト化傾向」「イベント化」に変化していることは残念だ。
実は今回は、「事故について書いてほしい」ということを依頼されたが、私の立場で書くのは難しい。静国の事故の内容が、よくわからないし、資料もない。断片的な情報で書くのは無責任になってしまう。しかし、橋梁においては架設中の事故が多い。これは事実であり、様々な状況が重なっているのだと思う。設計は紙の上、机の上での話だが現場では様々な問題が起きる。一番厄介なのは、ヒューマンエラーである。設計でのミスも、かなり多い。ミスがミスとなるのは、納品され、次工程に渡ってしまうからであり、その辺の情報伝達も重要なカギとなるが、今の発注制度にも問題が大きと考えている。設計が終わり施工に渡す前に、一度役所が成果を「受け取る」。この受け取るという行為がどれだけリスクをはらんでいるのか理解していればよいが、そうでない場合は、後工程に迷惑をかけてしまうのが現在の仕組みである。
2. 失敗論
前回、インハウスエンジニアの心がけを書いたが、インハウスエンジニアは、研究職でもコンサルタントでもない。実際に物事に対応する実務者でなければならない。土木職の中でも、都市計画部門と上下水道部門と建設部門が大きく分けて存在する。さらには防災部門もある。ここで意識も大きく違っている。市町村の場合、ほとんどが「まちづくり志向」である。ここにいきなり橋梁の維持管理と言われても戸惑うのが普通であろう。しかし、彼らは、もともと優秀なので、感覚的にとらえてくれる。これは大したものだと思う。大きな素養である。大学時代に、構造系に居た職員は実はほとんどいない。近いところでも「材料系」である(世間では材料系も構造系とか橋梁ととらえているが私は分けている)。
自治体職員が「まちづくり志向」だというのは当たり前の考え方である。自分の住んでいる町、身近な街の街づくりを自分の手で何とかしたいという希望に燃えて入庁してくるのだ。これは素晴らしいことである。まちづくりの内容も多岐にわたる。そして自治体の職員としては、花形である。しかし人口が減少時代を迎えるとそうはいかなくなってきた。整備する時代から管理する時代へと移り、再整備やリニューアルが必要になっている。そんな中で、道路や橋などのインフラは、老朽化化問題が浮上し、厄介な時代に入ってきている。
公務員には異動がある。数年間、他の部署で経験を積んできても、いきなりインフラの老朽化問題に対応する部署に配属されるとなると大変である。まず構造物の知識が薄い。力学や材料の知識はもちろんのこと橋梁や構造物に関する知識はない。そして、老朽化問題は新設以上に難しい。これまでの時代は、設計はコンサル、施工は土建業者やゼネコンに任せていれば何とかなった。設計のミスの露呈もしにくかった。しかし、維持管理の時代、老朽化の時代になってくると、全く違った世界になってくる。しかも、人口減に伴う税収減少や、社会福祉費の増大により、限られた予算での業務執行となっていく。おそらくこの傾向は今後、永遠と続く。
社会に出て、自分のやりたいことをやれる人間は少ない。よほど優秀か、よほど運が良いかである。与えられたものを全力でやるということも大事である。しかし、普通の人は途中で悩むだろう。エンジニアとすれば、どうするか悩みどころであるが、自分のキャリア形成をどうしていくかと言うのは自分の問題である。技術的なことだけでなく組織の方針なども含め、自分の人生のポリシーに合っているか?どう決めるのかは自分の問題なのである。働き方改革であろうが何であろうが、問題ではない。実際に建設現場では、工程があり工期が有る。そして天候に大きく左右される。時間管理・工程管理は難しい。それよりも、余計な制度、思い込みを廃止したほうがよっぽど良いのではないだろうか?
私自身いろいろ経験してきたが、結局、一番面白かったのはメーカーの時代である。懐かしいからかもしれないが、自分のかかわったものが、実物として完成する。これは面白いことである。満足感もある。それよりも、メーカーの方々のほうが技術的に様々な苦しみを持って対処している。モノを作り上げるということはそういうことである。計算書や図面上のバーチャルな世界では無く、リアルな世界である。ある先生に言われたが「いろいろ経験してきて、コンサルよりもメーカーのほうが技術力は高いでしょう?どう思う?」と言われたことがあるが、まさにこれはそういうことを言っている。技術力と言う定義も難しいが、多少の誤差を飲み込みながら実物を作り上げる。これが技術者だ。
私自身、多くの失敗を重ね、反省しやり直したりしてきた。世の中には「失敗学」と言うものもある。失敗で一番多い原因は結局ヒューマンエラーである。人為的ミスである。これはなかなか無くならない。そして、そのミスが大事になるかならないかは、「本人の気持ちの問題+運」である。「運」を持たないものは、事故に有ったり失敗を起こす。「運」はどうしょうもないことではあるが、普段からの身の処し方で変わってくるものだと思う。技術の発展には、失敗を恐れず語れる社会が本当は重要であるのだが、失敗が許されないという仕組みが、技術の発展を遅らせている。仕事も人生も順調な方は、それなりに幸せであるが、それが本当に幸せなのか?技術者として一度も失敗していないということは、なにも挑戦していないということである。人生の最後にとんでもないことが待っているかもしれない。良く言われることは「運がないと事故を起こす」と言うこと。運はどうしょうもないが、日ごろの心がけで多少は逃れられる。
3.インハウスエンジニアとは(植野論)
インハウスエンジニアの役割は何だろうか?それぞれ考え方は違うだろうが、私の考えを述べる。私の意見であるので、間違っているかもしれないことを最初にお伝えする。
自治体のインハウスエンジニアは、「技術職」とよく言われる。技術だけを考えていればよいかと言うと基本的に「行政マン」でもある。なので通常は2年か3年で異動と言う宿命がある。2から3年でやれること、学べること、経験できることは、限られてしまう。結論から言うとスペシャリストになるのは、まず不可能である。マネージャーとして、行政の知識を生かしながら、委託先(コンサルなど)をうまく使い、事業を実施していくことが望まれる。おそらく、ここは異論を唱える方も多いだろう。
しかし、彼らは、「行政マンであり、技術者なのだ」。結構これは本人たちも理解できている。一番顕著なのは「まちづくり」や「上下水道」等の部署がそれを物語る。しかし、近年の成熟社会として、「維持管理」という厄介な課題に対応しなければならなくなった。本格的には笹子トンネル以降であるのでまだ10年である。世の中においても建設業界においてもいまだに造る時代の幻想を追っている。いまだに、「成長」と言うことが言われているが、できるならば問題は少なくなる。人口減少、少子高齢化により経済力の低下、縮小する社会になってくる。しかし、まだ多くの人々は実感が薄く、「造る時代」の幻想を追っている。これは民間企業に多い。
官庁の役割は何か? 国民・市民の生活の安全安心を守ることであるはずである。こういった時代の変換期にはなかなか対応が難しいが、大局的に考え将来のことも考えなければならない。これが本来の仕事。言い換えれば、将来を見据え「政策的に考えること」が役割であるはずである。これまでの造る時代は、1件1件を考えればすんでいた。業者に委託すれば計画も設計もやってくれた。工事も同様である。細かな事項は専門家のほうが詳しくて当たり前。ここはスペシャリスト、エキスパートの仕事。しかし、これからの「守る時代」には、大局的に考えなければならない。富山市ならば富山市の将来を見据え、どのように、自分に与えられた守備範囲を守るのか? を考えることこそが重要である。マネジメントをすることこそが重要である。それができるようになることこそがインハウスエンジニアとしては重要であり任務であるはずである。
失礼だが、役所の人間は決められたこと、指示されたことを、こなす能力は優秀である。しかし、これらは過去。これからは、将来の市民のために考えなければならない。そういう能力が必要なわけである。将来を見通しどうすれば、市民の安全安心に貢献できるか? を考えていくのが本来の仕事なので、もはや、指示事項の処理に時間を費やすよりも政策的な仕事を、やっていくべきである。そういう意味で、富山市では、「橋梁保全対策課」とともに、「建設政策課」という建設部の司令塔となるべき部署を、市長、副市長に進言し、赴任後に創設した。この部署が最初はうまく機能してマネジメント的業務をこなしてくれたが、異動ににより中身が入れ変わるとどうも停滞気味であり、雑用係のようになってしまっている。また、立て直したいと考えているが、私はもうお呼びではないかもしれない。こういった、政策的な仕事や部署は、その部署と仲の人間ががきちんと信念をもって、対処しないと雑用係になってしまい、遊んでいるように見られ普通の業務を入れられてしまうのが、この日本と言う国の特質である。組織マネジメントを行えるユーティリティのような部署も効率的な仕事をしていくためには必要なのだがそれが理解できない。
インハウスエンジニアは、知ったかぶりをする必要はないのだが、どうもしたがる。プライドなのだろう。コンサルの成果を、安易に認めてしまい受け取ってしまう。「受け取る」と言う行為がどういう意味を持つのかも考えないで。同様に施工業者に対しても同じである。
コンサルさん、自治体の職員は良くわかっていない者が多いので、嘘は言わないでほしい。すぐに信じてしまう。私の言うことは聞かなくてもコンサルさんの言うことは、ありがたがって聞いてしまう。ここに魔物が潜んでいる。私は細かなことは避けているが、一般のコンサルさんよりも様々な経験がある。失敗もある。
最近は補修の工事がだんだん増えてきている。評価がⅢのものをどんどん無くしていかなければならないからである。しかし、補修方法に関して、効果の無い工法を平気で推奨している実態がある。提案するからには、自信を持てるのか?責任が取れるのか?と言いたい。自信を持つということは、自分で実際に試してみて効果があったから推奨している。と言うことである。補修材料、工法とはそういうものである。カタログ値だけで推奨提案して無いですか?補修で効果が無い、早期再劣化するということになると、長寿命化も何もない、偉そうにマネジメントと言ってもマネジメントが成り立たない。それで技術者(スペシャリスト)として恥ずかしくないですか? カタログ値だけで経験がないのならば、その旨を言えばよい。「一緒に確認してみましょう」と言うことになるかもしれない。
橋梁メーカーに居た時には、どうしたら次はさらに良くなるか?施工しやすいか? 維持管理しやすいか? と、日々、反省していた。自分の考えだけでなく、工場の職人さん、現場の職人さんに確認し施工手間などを考慮し、制作・施工人工が上がってしまわないか? を気にしたものだが、どうも最近はそういうところが見えない。
部材片のカット一つでも工数アップにつながることがわかっていますか? 平気で絵に描いている。生産性も何もない。維持管理上の配慮と政策校数の増加は、造る方もわかっていて、良いものを造ろうという気持ちはあるので、問題にはならない。さらに「デザイン」にこだわって、維持管理できない部分を作ってしまったりしている。最近もあったのが、ライトアップ照明用のLEDが切れたら交換できない構造を作ってしまっている。どうするんだ? 結構、造るときは作れるが補修できない構造を設計時に造ってしまっている。