第86回 管理物を「群」としてとらえ、マネジメントしていくためには
民間と行政、双方の間から見えるもの
植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人国際建造物保全技術協会 理事長
植野 芳彦 氏
4、マネジメントと人
インフラのマネジメントができる人間を育てることが今後のインフラ対策として早道である。しかし、それはすぐにはできない。マネジメント能力天性のものだと私は自分の経験から感じている。理論は知らなくてもできる人間はいる。地位が高くても、全く向かない人間もいるのも事実である。さらにここに構造物の経験と知識が必要である。土木技術は、天才的な能力ではなく、実績や経験が重要になってくる。
最近、日経コンストラクションなどを見ても、設計ミスの問題が多い。昔からあったが、内容がどうもいただけない。これは、設計の作業が、ソフトに頼っているからではないかと考える。使って悪いわけではない、きちんと検証すればよい。基本的な考え方なども正しいのかどうか考えればよい。実は最近の新設ではなくても、老朽化で見ていると、点検結果や診断結果が「老朽化による・・・」とはなっているが恐らく、設計時の鉄筋不足や施工の不備によると思われるものがかなりある。新設時の示方書などの状況から割り引いても、そういうものがある。結局は設計ミスは、今だけの問題ではない。
なぜ、補修で鉢巻が必要になったのか?
維持管理の時代になってくると、昔の様々な不都合が見つかってくる。補修材料や補修工法に関しても十分な検討ができる人間は少ないし情報も少ない。点検で四苦八苦している今の状態ではとてもとても。さらに今後は更新や撤去と言ったことが本格的に始まる。補修の材料が、設計時3倍必要であったという事例も複数件起きている。こういう場合どうするのか?おそらく役所にお金が無くなっていけば賠償問題に発展するであろう。今は大目に見ているものも、そうはいかなくなる。税金に関わってくるからである。どこまでどうするかと言う議論も必要であろうし保険も必要である。設計ミスによる数量の違いはまだよいが、更新や撤去時の事故は難しい問題となる。
構造物は、設計においても完成時を想定している。完成時には安定していても、施工時に事故が起きるのはそのせいである。撤去時は施工時の逆であり、十分な検証が必要であり、安易な考えでは事故をおこし、人命にかかわることさえある。十分な検討をしたかどうかが重要であり、それが理解できない方々は退場してもらわなければならない。
構造物に関わっていくということは責任も重大であるし、実は検討すべきことは多い。現在の設計において、ある意味ほとんどが検討不足であろう。これを言うとまたまた嫌われるが、真実であると感じる。なので、新規事業も重要である。新規事業ができないと、維持管理は無理である。大学時代、恩師から言われた言葉「橋りょうはプレートガーダーから始まってプレートガーダーに至る。」と言うことである。これは常に肝に銘じてきた。一見簡単なプレートガーダーは実は究極の構造物であり、下手をすると事故を起こすということである。このプレートガーダーに関し、本当のところを知っている人間は今や少ないのではないだろうか?
先日の井手迫さんの記事で富山のつり橋が取り上げられたが、ああいうものも必要である。実は、まともなつり橋は現在では10年に1橋程度しか実施されていない。そして先日は、解体中のつり橋で事故があった。写真を見て、感じるところも多いが、解体になると、造るとき以上に注意が必要である。バランスが崩れてくるので、思わぬ挙動を示す。これも、実績が十分にあり、経験豊富なところで実施しないと、大事故になり人命が失われかねない。これを、役所の人間がちゃんと理解しなければならない。そういう意味で本来新設工事も必要なのである。学ぶべきことはたくさんある。マネジメントを考えていくには全行程の理解はもちろん、その時々の重要課題も把握しておく必要がある。点検業務は、あくまで点検作業であり、維持管理において本当に重要なのは補修である。その補修をどうするか、他の物をどうしていくかが重要となる。
呉羽山のつり橋の設計時に、もっと関与したかったが、どうもデザイン重視になってしまった。まあ、それは良いとして、1つ気になったのが、架設時の防護工である。当初は、ごくごく必要最小限の小さなものであったが、「小さいんじゃあないの?」と指摘すると、「検討したので大丈夫だ」という。どうも不安であったが、現在では、もうそれが橋梁本体か? と思われるような構台が設置されて施工されている。私は内心よかったと感じているが、悪口で、「あれで(防護工)よかったんではないか?」と言わている。防護工で十分な橋なのではないか? と言うことである。それは目的を忘れている言葉である。平成28年に「新名神高速道路有馬川橋橋げた落下事故」があり、供用中の道路上の防護工に関しては、かなり厳しくなっているので、あれぐらいは必要なのだ。そういう知識も必要なのである。大体橋梁の工事を経験してくると架設時の架設工、仮設工が重要なのは、理解できてくるのだが、経験が少ないと理解できない。撤去はそれ以上に難しいものである。
施工中の呉羽丘陵フットパス連絡橋/車道部から見た防護工の一部
5、まとめ
トリアージに関して進言して10年たつが理解は得られなかった。最近は言うのをやめている。言っても理解されないものをいつまでも語り続ける必要は全くない。生産性が悪い。しかし、最近になって、トリアージについて聞きたいとかトリアージと言うことを世間が言い始めた。まあ、世の中そんなもんだろう。
先日、ある方に、講演前の紹介で「富山市を試験フィールドとして自分の考えを実行に移した。」と紹介されハタと気付いた。「そうだった!」富山に赴任が決まる前から、次はインフラのマネジメントだと思い、非破壊検査会社に於いて勉強させてもらった。それまで何んとなくしかわかっていなかった、モニタリングシステムの有効性もここで確認できた。富山に赴任が決まってからは、情報を収集し、管理橋梁数が多いこと、コンサルや業者の技術力に不安があることなどを確認し、周辺大学の能力を、それとなく探った。退官した富山県のOBなどにも、教えを請うた。そして導き出したのが、「早期のトリアージ」と「橋梁マネジメント」である。これを実行に移したわけである。
半年間はそれとなく様子を見て、当たり障りないものから始めたつもりだった。地元コンサルの能力を確認するために、各社の登録管理技術者と技術士数を提出させようとしたしたところ半年以上、返事が返ってこなかった。これは、理由は分かっている。私の方でも裏も取っていた。そのため発注の仕様書に「資格要件を明確に記すこと」というお触れを出したが、100%は守られていない。これが地方の実態なのだ。いわば、無資格者に仕事をやらせている。実績などお構いなし。この辺も法律上は問題は無い。つまり、無資格でも仕事はしてもよいのだ。
この国はやたら資格は作りたがるくせに。これも恐らくは直営設計直営施工の時代の名残りであろう。発注者は資格要件を明確にし、できもしない業者に無理して業務をやらせることは無駄金を使っていることになり市民に申し訳が立たないはずである。
次に半年の間、じっくり内部も観察し、組織改革を行った。それまで、道路管理課内に有った「橋梁係(4名体制)」を、「橋梁保全対策室」(9名体制)に改編し、同時に建設部の司令塔とする「建設政策課」を創設した。これが2大改革である。マネジメントの初めは組織づくりである。その後、「富山市橋梁マネジメント計画」の策定を行った。実はこれはそれまで作ってあった私案を明確に文章化したものである。ここで、「橋梁トリアージ」と言うことも明確に示したが、結構反発があった。トリアージは早期に行わなければ、効果が無い。すでに3巡目となる今頃それを言っているようではもう効果は期待できない。今やるとすれば、ファシリティマネジメントである。
と言うことで最近はトリアージと言うことを言わないようにしている。「橋梁長寿命計画」も同様であり、平成24年から25年くらいに造られたものをありがたがっているようでは、先行きは厳しい。その時に、どういう状況で策定されたのかを理解できれば、何が問題かは想像がつくだろう。個別施設計画も同様である。見直しは常に必要である。
アセットマネジメントはリスク管理であり、これを実行するに必要なものとして「数のリスクの排除」が、まずは必要である。必然、トリアージの思考となっていくのだが。いまだに、昔のままの思考でいると、そうは思わない。これは仕方のないことである。かつては数が資産であり、多いほうが強みであったのであるが今や違う。一般的な思考が常に正しいとは限らない。例えば先に書いた、実績の問題であるが、今の発注方式は公平性透明性を保つことは必要条件であるが、できもしない業者に発注してしまった場合、担当者や担当課の責任者は大変である。事故につながれば、実刑もあり得るし、賠償責任も起きてくる。すべての業者が、同様にできると思っているのは、素人だけである。皆さんは専門家なので、その辺の見極めも責任のはずである。世の中が進んでいくと、現在はほとんど使われていないそうであるが国家賠償法なども適用されるでしょう! これから免れるためには、やるべきことはきちんとやっておくことである。言い換えれば、言うべきことはきっちり言っておく。それを上司が理解しないのは上司の責任である。
結局、必要なのは、人財である。これを育てていくには、かなりな時間もかかる。経験も必要である。誰が指導するかと言う問題もある。評論家を多く育てても意味は無い実行者を育成していくことに価値がある。