前回、地下水の上昇による災害の例を紹介しました、今回はしばしば起きている河川増水での洗堀による橋脚の転倒と復旧例を紹介します。
近年、大雨による河川増水で、橋脚が洗堀されて転倒したり、桁が流されたりする災害がしばしば起こっています。今回は、国鉄時代の1982(昭和57)年に起こった、東海道線の富士川橋梁の災害の例と、JR東日本になってからの花輪線の長木川の災害の例を紹介します。
最初の例は、東海道線という幹線の鉄道での災害で、早期復旧に関係者が必死に努力した例です。私は当時、国鉄構造物設計事務所にいて、復旧の工法選定や、復旧設計に係りました。2つ目の事例は、JR東日本になってからの事例で、この時は災害直後に現地調査に行き、復旧案の作成などをしました。線区は花輪線で、河川管理者との協議から設計、施工など一般的な手順で復旧が行われた例です。
1.富士川橋梁の災害1)2)3)
1.1 概況
1982年8月2日午前5時14分ころ、台風10号による増水のため、東海道線富士川橋梁は、下り線4Pとその上にあったトラス2連(スパン62.4m)が流失しました(写真-1)。
写真-1 流失した橋脚とトラス
この橋梁は上り線が1956(昭和31)年建設で、上部工は3径間連続中路橋、下部はコンクリート造のニューマチックケーソンで施工されており、下り線は1910(明治43)年建設で、上部工はトラス、下部はレンガ、石造の井筒で、橋長が571mです。井筒とはオープンケーソンのようなものです。さらに下流側には使用されていない、1889(明治22)年建設の上部工はピントラス、下部はレンガ、石造の井筒の廃線橋梁があります(図-1)。
この災害では、下り線と、廃線橋梁の4Pおよび4、5連目の桁2連が流失しました(図-2)。
図-1 橋梁一般図
図-2 被災状況
1.2 直後の対応
災害発生と同時に、上下線とも鉄道の運行をストップしました。災害当日の8月2日午後には、国鉄本社、技術研究所、構造物設計事務所、岐阜工事局の関係者が現地に集まり、応急復旧工法と、上り線を利用しての単線運転再開の検討が行われました。
4日午前中に上り線で試験電車を運転し、振動沈下試験を行い、安全性を確認後、同日午後より、上り線のみを使って上下列車の運転を始めました(タブレット方式)。さらに11日には、富士川橋梁の東京方に上下線の進路を変えられる分岐器(亘り線)を挿入して単線区間の範囲を短くするとともに、タブレット方式から自動信号方式に変更して、通常ダイヤの85%(210本)を運行するに至りました。
1.3 応急復旧計画
(1)方針の検討
いくつかの案を検討した結果、流失前と同様の2スパンとし、トラス(62.4m×2)を新設する方針としました。転用できる桁が見当たらないことと、橋脚数を少なくするほうが施工時のリスクが少ないことがその主な理由です。廃線のピントラスの流用も検討しましたが、劣化が著しいためあきらめて、新設する方針としました。
(2)設計
①橋脚
橋脚は1基と決まり、基礎としてベノト、ケーソン、鋼管ウェルの検討を行いました。工期が短く、大きな転石の撤去にも有利で、出水に対しての安全度の高さからも、ベノトによる杭を3本施工する案としました。ベノト杭の直径は2mとしました。1m程度の転石も排出できることと、通常のバケット掘削が困難となった場合、人力掘削や潜水掘削、水中発破、ロックオーガーなどの併用掘削も可能なことなどからです。
ベノト杭のケーシング(鋼管、厚22mm)は、埋め殺しとすることとしました。
ベノト杭の長さは洪水時の洗堀を7~8m許容できるように考え、その範囲の砂礫は無視した突出杭として解析しました。全長は20mとしました。まだ増水が収まらず、河床状況も直接はわからない状況で、かつ地質調査のボーリングもできない被災後数日でこのような設計条件を定めました。すぐにこの条件で設計図を作り、材料の準備に入りました(図-3)。結果的にこの設計は現地にあっていました。
図-3 復旧設計図
②上部工(トラス62.4m×2連)
トラスは直ちに工場製作に入れるように既存の標準桁(KS-16)の設計を活用し、以下の点を変更しました。当時、鋼橋の設計はすべて構造物設計事務所にて行われており、過去の設計図もすべてこの組織に管理保管されていたので、既設の設計図の修正は容易でした。
・架設クレーンが台風時にもトラス上に存置できるように下弦材の一部断面を大きくしました。
・トラス同士を耐震面で連結することとし、架設で用いる連結構を改造し、耐震用連結構としました。
・ボルトは摩擦接合用トルクシャー型高力ボルトとし、トルク管理の容易性と急速施工可能としました。
設計図の作成は、構造物設計事務所にて数日にて行われました。
1.4 施工
施工は早期復旧を目指して昼夜兼行の突貫工事としました。この時期は台風シーズンでもあるので、別の台風での影響を少なくするためにも工期短縮が重要でした。
(1)下部工の施工
川の流れの減水を待って8月9日から締切工と、仮桟橋の作業を開始しました。締切工は河川流心を大阪側に切り回し、A1から第5橋脚までをドライにし、第4橋脚の再構築、第3、第5橋脚の調査補強をすることとしました。土工工事は11日間で施工しました。
その後、二重締切、水替え、倒壊橋脚の撤去、ベノトの作業基地の造成と進みましたが、8月27日の台風13号により、締切工の一部が損傷したりもしました。
8月28日、ベノト杭の施工を開始しましたが、大きな転石が存在し、ロックオーガーを併用しながら、9月11日に最終の3本目の杭の施工に入りました。
写真-2は基礎施工時の状況です。ここでまた台風18号に襲われ、締切工は跡形もなく流されてしまいました。杭の掘削は幸いにも終えていたので、杭の掘りなおしの事態は避けることができました。9月16日、橋脚躯体の施工に入り、28日に最後のコンクリート打設が終わりました。写真-3は橋脚施工時の様子です。
写真-2 基礎施工状況/写真-3 橋脚施工状況
(2)上部工
8月9日(被災7日後)に発注されたトラスは1カ月余りで工場製作され、逐次現場に部材が搬入されました。9月15日に跳ねだしによるキャンチレバー工法にてトラスの架設が第3、第5橋脚両側から始まりました(写真-4)。塗装と架設の並行作業などがありましたが、30日、第4橋脚上で両桁が接合されました(写真-5)。
その後、塗装、軌道、電気工事を経て10月15日に元の線路に切り替えが行われました。被災後75日目にして複線での運転に戻りました(表-1)。
写真-4 トラスの跳ねだし架設/写真-5 トラスの閉合
表-1 工程表
1.5 本復旧
その後渇水期に、第3、第5橋脚についてもイコス工法によりコンクリートの連続壁が地中の橋脚下部にスカート状に構築されています。
私は当時、構造物設計事務所で設計の方針の議論や図面作成などに係りました。台風時期の中での復旧工事なので、現地は施工途中で台風に襲われて大変でした。東海道線ということで、関係者が必死に協力、努力したことにより早期復旧ができたのだと思います。
今では、このような早期の判断や、設計図の作成、桁の製作など、これほど早くはできないのではと思っています。当時の国鉄の各専門技術分野のトップが集まって即断し、また河川管理者などの協議先の全面的な協力、製作会社や施工会社の能力や対応力も高かったからだと思います。地質の判断、数日での設計図の作成、何度もの台風被害下での施工、短期間での桁の製作、運搬、架設など、技術者や関係機関、関係業界が一丸となって頑張った復旧です。