4.電柱の被害
構造物はすぐに復旧が終わると思っていたら、電柱の復旧目途が立たないとの話が入ってきました。折れた電柱を交換するのに、交換用の電柱がないので、何カ月かかるかわからないとのようでした(写真-16)。
写真-16 電柱の被害
復旧はその財産を管理している部門ごとの担当でまず実施されます。我々は土木構造物の復旧対応を主にしており、電柱については電気部門が担当しています。全体工期に電柱の復旧がクリティカルということで、我々も電柱にかかわることになりました。
新設ではなく、折れた電柱を起こして、折れた部分を補修して復旧するように提案するとともに、工事も電気の会社ではなく、建設会社にしてもらう方針になりました。それでも、電柱は多く壊れており、高架橋の中に資機材を搬入、搬出するための出入口が限定されて、軌道上を移動するので、同時施工ができず、工事は非常に大変でした。
5. 復旧の途中状況
4月1日から4月4日にわたり、原発事故で作業員が引き揚げてしまって工事の進捗が遅れていた郡山駅付近と、電柱の復旧状況を見るために仙台地区、また津波被害の大きかった常磐線の調査に行きました。電柱の復旧は建設会社が加わったことで、順調に進み始めていました。
電柱の設計は昭和40年頃のJISによるものでした。この設計では、多くのピアノ線が軸方向に入っており、破壊はコンクリートの圧潰先行の破壊となります。最大耐力に達すると瞬時に破壊することになります。鋼材が降伏先行の破壊だと降伏後も鋼材が伸びるので、変形性能が大きくなりますが、圧潰先行はほとんど変形能力がありません。そのため、地震に対しては性能が劣ることになります。
このJISは、当時は土木技術者も加わって決めていましたが、その後は電気の分野が担当し、土木や建築の基準が変わってもそのままとなっていました。土木や建築では耐震基準が変わってきましたが、土木、建築以外の分野の設備にも常に目を向けないといけないことを知らされました。
電柱は折れたものを起こして、壊れた部分を中空部分にもコンクリートやモルタルを詰めて、鋼線はそのまま再利用し、帯鉄筋を増して復旧しました(図-1)。
図-1 電柱の復旧
復旧がかなり進んだと思っていた時期の4月7日に大きな余震があり、復旧を終えた構造物も再度損傷を受けました。図-2に、この2回の地震での被害状況を示します。現場の作業員の気持ちがなえかけたようですが、気を取り直して復旧に取りかかってもらいました。
図-2 本震(3月11日)と余震(4月7日)での新幹線の被害(JR東日本資料より)
被害の範囲が広範囲であることと、余震での被害も加わったことで、復旧の工事量は多くなりました。復旧方法は過去の地震での被害の復旧方法とほとんど同じ方法が取れました。また、それまでに耐震性能の小さい構造物から順に補強を進めていたので、倒壊などの大きな損傷のものはありませんでした。それでも、構造技術センターからの復旧方法の指導の文書は、300通以上になりました(図-3)。
図-3 構造技術センターからの復旧方法の指示書
口頭などでなく、サインした復旧方法の文書を出すことで、設計の責任は構造技術センターが負うことになりますので、現場の混乱がなく、施工者も安心して作業にかかれることになります。構造技術センターにはそれまでの地震の復旧を経験してきた人も多く、また、土木、建築の全分野の技術者も集まった組織で、日常的に、設計、施工、災害復旧、維持管理の指導などにかかわっています。
6. 新幹線の運転再開
3月15日に東京-那須塩原、3月18日に盛岡-秋田、3月22日に盛岡-新青森、3月31日に福島-山形、4月7日に一ノ関-盛岡、4月12日に那須塩原-福島、4月25日に福島-仙台が開通し、4月29日(地震後49日)で新幹線全線の運転が再開されました
津波被害については次回に報告します。(次回につづく)
(次回は10月1日に掲載予定です)