2.2 トンネル
トンネルは地震には強い構造です。それは地中にあるため、地震での応答が大きくならないためです。今回の被害の特徴は、トンネルの下の断層が動き、それによりトンネル周辺の地盤が変形したためです。加速度などには強いトンネルですが、周辺地盤が動いた場合は、この動きに構造で抵抗することは無理で、地盤の動きに追随せざるを得ないことになります。
(1)被害状況
一番被害の大きかったトンネルは魚沼トンネルです。トンネルの覆工が部分的に剥落(写真-14)し、軌道スラブがレールの座屈で持ち上げられていました(写真-15)。これはトンネルが軸方向に圧縮を受け、部分的にコンクリートが圧縮破壊したものと思われます。レールも圧縮力を受け座屈したものと思われます。ちょうど逆断層がこの直下で起きており、短縮と同時に地盤の上昇もJPSで観察されています。
写真-14 コンクリートの剥落/写真-15 軌道の座屈と覆工の部分的剥落
(2)復旧
損傷個所は部分的でしたので、損傷部を撤去して、写真-16の手順で復旧しました。トンネルの復旧は工程面でクリティカルでした。それは、トンネルの工事は入口が1箇所のため、資機材の搬入、搬出が制約され、また、1箇所で工事をすると工事箇所を通ってほかに行くことができないため、損傷箇所を並行で復旧できないためです。写真-17は復旧後の状況です。
写真-16 魚沼トンネル 復旧工事施工状況
写真-17 復旧後状況
2.3 在来線
(1)被害状況
在来線も何箇所もの被害がありましたが、ここでは被害の大きかった盛土について紹介します。
新幹線の復旧をまず急ぐことが重視され、在来線の復旧は少し遅れてのとりかかりとなってしまいました。
在来線も大きな被害を受けており、上越線など盛土が崩壊し、レールと枕木が宙吊りとなっている箇所もありました(写真-18)。
写真-18 盛土が崩壊してレールと枕木が宙吊りに
新幹線の復旧が動き始めた後、11月3、4日に在来線の被害現場を見に行きました。宙吊りになっている箇所の復旧について、いくつかの案を考えました。
ひとつは当時、東京地区に仮設の鋼桁が工事が終わり、未使用で多くあったのでそれをもっていって架けようかと思いました。しかし工程を考えると、橋脚を造るために仮設の工事用道路も必要となり、工事用道路を作るなら最初から盛土で復旧したほうが早いので、盛土での復旧としました。
被害箇所の現場の復旧工程を施工者から出してもらいました。この現場については半年程度の工程が出てきましたが、年内に復旧するように設計と施工を打ち合わせました。復旧の着手が11月上旬からとなりました。昼夜工事でしたが、年内に開通できる工程に相互に知恵を出し合いました。
(2)盛土の復旧
盛土での復旧としましたが、同じような被害を受けないように、耐震性の高い3R(RRR)工法としました(図-7)。
図-7
復旧の手順を写真-19に示します。
写真-19 盛土の復旧 施工状況
2.4 運転再開
運転が止まっていた新幹線の越後湯沢-浦佐間の運転再開は、その年の暮れの12月28日(66日後)となりました。また在来線も順次開通し、最後は上越線の12月27日(65日後)で、すべての線区で運転が再開されました。
マスコミの話を再度しますが、あるテレビ局の記者が、大学の先生と一緒に災害現場を見て回りました。その先生から、「記者を現地に案内しているので、報道番組で特集があり、テレビに出るかもしれない」と知らされていました。しばらくしてから、「いつテレビで放送されるのですか」と聞いたら、放送はなくなったとの話でした。
案内した記者は、施工不良というテーマで特集を組むように指示されていたようです。現地で先生から説明を聞くにつれて、施工不良というテーマでは題材が見つからないことに気づき、上司と電話でやりあっていたとのことです。テレビ局の目論見の施工不良の結果は得られなかったので、報道番組も先生の出番もなくなったとのことでした。
脊柱管狭窄症の話をします。この時は鉄道構造物のみでなく、首都圏の電車に電気を送っているJR東日本が所有している信濃川の水力発電所にも被害が生じました。水をためておく貯水池の堤体にも損傷が生じ、その復旧にも時間がかかりました。
堤体の高さは地震前と比べると約1m高くなっていました。地域全体に高くなっているために外観上の変化は感じられません。この発電施設の復旧のための委員会がつくられ、何度か現地を調査しました。かなりの延長を歩いて調査するのですが、ちょうど脊柱管狭窄症のひどい時で、足のしびれと痛さに耐えて歩いたことが記憶に残っています。また新幹線トンネルの損傷個所にも調査は歩いていくのですが、それもつらかったのも記憶しています。
それまで、整形外科、整体、針、灸などに通ってもよくならず、腰の牽引も行ったりしましたが治りません。テレビで、みのもんたが手術で治ったと言っていたので、病院に手術の相談にも行きました。しかし、リスクのある手術なので我慢できるなら手術はしないほうが良いと言われました。
そんな時、本屋で腰痛を自分で治すという本を見つけました。その本に書いてあるのは、とにかく腹筋と背筋を鍛えることを続けるということでした。骨にかかる力を腹筋と背筋に分担してもらうということのようです。それ以降、腹筋と背筋の運動を毎日続けています。今は、腰痛は時々残っていますが、歩いて足がしびれるということはなくなっています。
(次回は9月1日に掲載予定です)