道路構造物ジャーナルNET

第33回 阪神淡路大震災の復旧にかかわった経験(その2)

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)

石橋 忠良

公開日:2022.05.01

3.在来線の被害状況

 20日午前のJR西日本での復旧方針の打ち合わせが終わったので、午後からT建設会社の人に案内されて車で在来線の被害現場に向かいました。JR西日本コンサルタンツの北後さん、JR東日本の鋼構造の分野の高木さんも加えてもらいました。
 大きな道路は渋滞で動かず、小さな道路を利用しようと入り込むと、道路上に建物が倒壊して通れない道路も多く、何度も回り道をしながら現場には夕方近くにつきました。数十分で普段なら着く箇所ですが、災害時は交通渋滞がひどいのです。この時の運転はT建設の熊木さんがしてくれました。土地勘がある人で、交通渋滞と、多くの通行止めの中、素晴らしい判断で目的地まで運転してくれました(図-6)。


図-6 1月20日午後の移動

 在来線は複々線で、複線の高架橋が並列して造られています。新幹線の被害は、多くの健全な高架橋の中で部分的に壊れていましたが、この在来線の高架橋は約2kmにわたり、ほぼ全構造物がひどく損傷していました。
 それぞれの構造物の壊れ方は新幹線の壊れた構造物と全く同じですので、同様な方法で復旧できると思いました。これら在来線の高架橋は、新幹線高架橋の建設時期より、少し遅れて造られていますが、設計基準や設計思想は同じですので、同じような被害となったと思われます。軌道は、新幹線はバラスト軌道ですが、この高架橋にはスラブ軌道が採用されています。全国的にスラブ軌道を採用するようになった最初の頃の高架橋です。ちなみに山陽新幹線の軌道は岡山以西の建設からスラブ軌道が主流になってきます。
 六甲道駅をはじめ、前後の多くの構造物が、柱のせん断破壊が主な原因で倒壊していました。このエリアは、ほかの私鉄も並行して走っており、同じように私鉄の構造物も大きな被害が生じていました。新幹線の被害の状況よりも、この在来線のほうが被害状況はひどく、地震力がこの付近が最大であったのではないかと思われます。

 写真-1は六甲道駅の被害状況です。2層の高架橋の中に多くの店舗が入っていましたが、高架橋が倒壊したため店舗もみな押しつぶれていました。作業に当たっては高架橋の下の撤去が大変そうな状況でした。


写真-1 六甲道駅の被害状況

 写真-2は1層の高架橋の柱がせん断面に沿ってずれて、梁、スラブが下がっている状況です。この写真に写っているのは私と、案内してくれたT建設の小山さん(故人)かと思います。写真-3も側道からの現地の状況です。


写真-2 在来線高架橋の被害/写真-3 側道からの状況

 写真-4は桁を支持している片側の橋台の柱が崩壊し、道路上のPC桁が斜めに落下している状況です。新幹線ではPC桁の落下は阪急今津線の上1箇所だけでしたが、こちらは交差道路上の桁が何か所も落下していました。


写真-4 在来線橋台と桁の被害

 写真-5は門型橋脚上のPC桁です。


写真-5 在来線橋脚と桁の被害

 複々線のうちの一つの複線の桁は、片側が落下しています、橋脚はいずれも大きな損傷を受けていますが、もう一つの複線は桁を載せたまま、柱が沈下した状況でとどまっています。軌道スラブが落下した桁の上にレールにつられているのが見えます。地震直後で、道路があちこち不通のため、わずかの隙間を見つけては車が通っている状況でした。

 写真-6は高架橋が倒壊し、軌道スラブがレールにつられている状況です。写真-7は、梁、スラブが地表近くまで、柱の崩壊で落下している状況です。約2㎞に渡って、このような大きな被害が在来線高架橋に生じていました。
 案内してくれたT建設の人にもJR西日本に提案した復旧方法を知らせました。


写真-6 地表近くまでスラブが落下/写真-7 柱がほとんど壊れた状態

4.21日に調査結果をJR西日本に提出し調査の支援を終える

 我々JR東日本のチームは、19日、20日で依頼された新幹線の被害調査を終えたので、その結果をまとめて21日にJR西日本に渡し、皆引き上げました。復旧方針が決まったので、資機材の応援をJR東日本にしてもらうため、復旧方法の説明と、必要な資機材の種類などをJR東日本に連絡し、すぐに手に入る資機材の数量の調査を行ってもらいました。
 21日にはJR東日本のメンバーは全員引き上げました。(次回に続く)
(次回は6月1日に掲載予定です)

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