道路構造物ジャーナルNET

⑤神橋と錦帯橋

筑波山の麓より

国土交通省
国土技術政策総合研究所
所長

木村 嘉富

公開日:2022.03.31

 3月末となりました。「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言われるように、前回の掲載からあっとう間に、3月も終わりそうです。年度末の多忙な時期と存じますので、本稿がちょっとした息抜きになりましたら幸甚です。
 さて、 前回は、日本を代表する二つの神社として、伊勢神宮と出雲大社について紹介しました。
いずれも木造建築で、色々な向き合い方がある事例として取り上げました。法隆寺の木造建築も現存しており、適切な使い方や維持管理を行っていけば、木材は日本の風土に合った材料といえます。地震に対してもしなやかなに受け流すなど、先人の知恵も込められています。今回は、前回の続きとして、私が見た木橋として、神橋と錦帯橋から、橋を長持ちさせるための工夫について紹介していきます。本来は、これらと対比させて、平成29年に改正した道路橋示方書における、長寿命化を合理的に実現するための規定等を紹介する予定でしたが、年度末のため、これは次回にさせて頂きます。

1.神橋

【日光東照】
 平成29年の5月下旬に、日光東照宮を訪れました。日光は、いろは坂や中禅寺湖、白根山等度々訪れていたのですが、東照宮は初めての参拝でした。丁度この年に、陽明門の修理が終わったとの報道を見ての参拝です。
 写真-1や写真-2のように、江戸時代の荘厳な姿が極彩色でよみがえっています。また、当然ながら修復されていない建物や飾りも見ることができ、継続的な修復の必要性やありがたさを実感できます。木造建築や飾りにおける塗装の役割については不勉強で、表面の塗装が劣化することによる木材部分の劣化や、塗装における紡食機能の有無については確認することが出来ませんでした。お詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教示願います。

写真-1 日光東照宮陽明門/写真-2 未修復の飾りと修復された飾り

 日光東照宮といえば、有名なのは「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿(写真-3)です。陽明門の手前にある神厩舎(写真-4)の上方に飾られた8枚の額の1枚です。なぜ、猿か? 猿は馬を守る動物であるという伝承からだそうです。8枚に分けて、小猿の誕生から結婚して妊娠するまでの一生が描かれています。三猿はその2枚目で、幼少期には悪いことを見ない、言わない、聞かない方がよいとの教えだそうです。なお、この三猿、修復時に目がおかしいと話題になっていました。創建当時や前回修復時の図面が残っていなかったのでしょうか? 図面が残っていないというのは、人ごとではありません。先日は、図面以前に管理者不明の橋も多いとも報道されていました。
 三猿というと、写真-5もあります。写真-3と見比べてください。猿が、目、口、耳を手で塞いでいません。これは、埼玉県の秩父神社の三猿です。写真-6は、三猿の下の額です。見て聞き話そうというもので、お元気三猿だそうです。大人になってからは、現場をよく見て、専門家や地元の人の話を聞いて、自分の言葉で話そうという、私たち土木技術者の姿勢を表したものといえます。道路構造物がいつまでもお元気でいられますように。秩父観光の際は、是非、お立ち寄りください。

写真-3 見ざる、言わざる、聞かざる/写真-4 神厩舎

写真-5 見る猿、言う猿、聞く猿?/写真-6 秩父神社のお元気三猿

 余談ついでに、五重塔についても紹介します。陽明門や三猿の神厩舎の手前にあります。高さ36mで、写真-7のように5層の屋根が設けられています。この五重の塔では、心柱の基部を見ることができます。写真-8のような状況を確認できます。なお、写真-8は、説明用のパネルの写真であり、実際には格子越しで暗いのですが、礎石に乗せているだけで、剛結されていない状況を確認できます。よく見ると浮き上がっているのかも。つまり、この心柱は五重の塔を支えているのではなく、逆に屋根を含む本体構造にぶら下げられているのです。制震構造で、地震国日本ならではの先人の知恵です。
写真-7 日光東照宮五重塔/写真-8 五重塔の心柱基部

【神橋】
 前振りが長くなりましたが、やっと本稿の本題の木橋に入ります。東照宮の入り口で、大谷川に架かる赤い欄干の橋(写真-9)が目に付きます。神橋、「しんきょう」です。重要文化財にも指定されており、日光のシンボルともされています。すぐ下流を国道が走っていますので、東照宮を参拝されなくても、見かけられた方は多いと思います。この橋は、図-1に示すように、両側の主桁の端部を埋め込んだ片持梁方式になっています。橋脚は写真-9のとおり、石造りで、まるで、鳥居のようにもみえます。
 さて、写真-9をよくご覧下さい。主桁の接合部は炭素繊維シートで覆われており確認できませんが、主桁の上方と床組との間に庇のようなものが見えます。気になりましたので、帰宅後にインターネットで検索していたら、写真-10が見つかりました。日光二荒山神社のHPにおいて神橋の修復時の写真が公開されており、写真-10はその中の1枚です。この写真のように、木製の主桁を雨から守るために、小屋根が設けられていました。その上に、床組が設けられていたのです。木橋関係者では、周知の情報であろうかと思いますが、なるほどと感心したところです。前回の出雲大社の屋根といい、水への配慮です。

写真-9 神橋/図-1 神橋の構造図(日光二荒山神社HPより)

写真-10 神橋の修復状況(日光二荒山神社HPより)

【三途の川の橋】
 ところで、神橋があるのであれば、地獄橋があるのではと思いませんか? インターネットで検索すると、国道297号の千葉県大多喜町と勝浦市の境に、地獄橋があるそうです。この橋は訪れていないのですが、三途の川に架かっている橋は訪れました。青森県の恐山に、三途の川があり、そこに写真-11の橋が架かっています。橋のたもとの石碑には次が記されています。
 人が亡くなって三途の川までやってくると、そこに「奪衣婆」が待ち構えていて、身ぐるみ剥がしてしまうのだそうです。その衣類を「懸衣翁」が受け取って、かたわらの柳(衣領樹)の枝に懸け、その枝の垂れ具合で生前の悪行の軽重を推量します。この後、閻魔様などの前に出て、地獄か極楽か、どこに行くのか言い渡されると言うことです。
 写真のように、橋の左側に、柳の木があります。なお、この橋は木橋なのですが、近づいてみると写真-12のように、内部に鋼板が設置されていました。本稿を記すに際して、三途の川についてインターネットで検索してみると、色々な話が見つかりました。橋についても、黄金の橋や宝石でできた橋、また、罪の重さによって幅が変わる橋、橋をわたるときに大男が揺らす等、いろいろありましたので、ご興味のある方は調べてみてください。

写真-11 三途の川に架かる橋/写真-12 三途の川に架かる橋近接

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