道路構造物ジャーナルNET

第31回 宮城県沖地震(1978年)での経験

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)

石橋 忠良

公開日:2022.03.01

 コロナワクチンの接種券の私の経験を紹介します。市のホームページに私の場合は1月24日に発送となっていました。家内と同じ日に、会場は異なりますが2回目の接種を受けています。家内には26日に接種券が届きました。私には届かないのでその週末に届かない旨、長時間つながらない電話に連絡しました。
 再発行しますので1~2週間で届きます、との回答でした。「ずいぶんかかるのですね」と言ったら2週間はかからないかと思いますとの返事でした。ちょうど接種券の番号を入力しないでも、年齢と電話番号で予約できる病院があったので2月10日で接種の予約をしました。
 再発行を頼んで1週間ほど経っても届かないので再度どうなっているか確認したら、1~2週間で届けると記録されていますから届くでしょうとの回答でした。2月10日の午前中に待っていても届きません。あきらめてWEBで接種の予約の取り消しを行いました。2月11日は祝日でその週には届かないことが確実なので、再度接種センターに電話しました。2週間過ぎても届かないので、ちゃんと発送したのか確認してくださいと言ったら、しばらくして発送は終えていて郵便局には届けているので、そこで止まっているのだと思います。月曜の14日には確実に届くと思いますので、届かなかったら再度連絡くださいとのことでした。
 市のホームページに発送済みとなっていて、接種券が届かない人は私の近所にも何人かいます。接種券の郵送などという時代遅れの方式でなく、マイナンバーなどをなぜうまく利用できないのか、仕事の進め方と、いい加減な返事にイライラさせられた1カ月でした。
 接種券がまだ届いていない高齢者はまだ私の身近にもいます。高齢者は急いで接種するようにと政府は言っていますが、したくてもできない多くの人がまだいるのではないのかと思っています。
 私は、市のホームページで発送済みと記載されてから4週間目の月曜日に接種券が届きました。空きのある接種会場を探し、受け取った翌日にモデルナを接種しました。私の周りの人たちも接種券を受け取ったらすぐに皆接種をしているので、接種が進まないのは接種券が届いていないことが理由ではないのかと感じています。

 今回から数回にわたり地震被害と復旧についての私の経験を紹介します。セメントコンクリート誌に一昨年に災害復旧について連載していますので、幾分重なる箇所もありますが、必要に応じてそちらも参照していただければと思います。

1.宮城県沖地震の概要

 宮城県沖地震は、私が東北新幹線の建設現場にいた時に遭遇した地震です。私は当時、仙台市と名取市のエリア約11kmの新幹線建設を担当する現場に勤務していました。オイルショックが終わり、中断していた工事が一斉に始まった時期です。ただしオイルショックによる物価の上昇がすさまじい時代で、トン当たり3万円だった鉄筋は10万円近くに上昇した時期です。工事の契約時と比べて、施工途中で資材の値段が大幅に異なったのでスライド条項という契約のルールにより工事費の増額をしました。この時以降、この条項の適用はないと思います。今では考えられないインフレの時代で、6万円程度の給与でベースアップが数万円などという時代でした。預金の金利も8%、住宅ローンの金利も9%などという時代でした。
 1978(昭和53)年2月夕方に、この地震は起きました。ある新幹線高架橋の竣工検査に行って、事務所に帰ってきた直後の発生です。プレハブの現場事務所は揺れがひどく、書庫はみな倒れ、冷蔵庫は扉を開けて走っていました。皆、机の下に頭を入れ、地震が収まるまでは動けない状況でした。地震後、電気もガスも止まりました。道路は信号も消え、車の運転も信号が役立たないので危険な状況でした。
 このような大きな揺れを私はそれまで経験したことがなく、人や建物にかなりの被害が出ているだろうと想像しました。それなりの構造物や人的の被害はありました(図-1)が、この地震の揺れを直接経験した時点ではさらにひどい被害を想像していました。


図-1 地震の大きさと被害

 国鉄入社後、最初の頃の勤務で、大阪で線路の保守の現場にいたことがあります。その時、夜間に線路の工事を行うので、工事のトラブルで何度か初列車を止める事故を現場の責任者として経験しています。現場の責任者として初列車を止めてしまったので、早く復旧しようと焦った経験もあります。
 何度か事故を経験すると、自分1人で焦っても何もできないということがわかり、何をしたらよいかということが冷静に考えられるようになります。災害や事故は経験しないで済めばそのほうが良いですが、何度か経験すると、その対応を冷静に行えるようになります。責任の少ない若い時に経験しておくことが大切で、大きな責任を持つ立場になってから初めて経験するとなかなかうまく対応できないだろうと思います。
 この地震の時にしたことは、社員はまず家族の安否が心配でしょうから、年上の社員数人で全社員の家族の安否確認に行ってもらいました。この新幹線建設の組織は臨時の組織で、日本全国から社員が集まっており、そのため家族は皆社宅のいくつかに入っていたので、数箇所のアパートを確認すればよかったのです。残った人は家族の心配をせずに現場調査に行ってもらいました。
 もうひとつは、事務の社員に食料とコンロなど数日泊り込めるように買い物に行ってもらいました。地震後すぐに行ったので食料や卓上コンロやボンベが手に入りましたが、しばらく後にはなくなってしまったようです。固定電話しかない時代ですので、連絡要員に独身者を順番に事務所に泊まってもらうために食料など手配したのです。
 現場の被害調査は、被害のある記録と、ないことも記録をしてもらうようにしました。おおよその状況を報告しても、再度正確な報告が求められることになるので、被害のないことの記録がないと再度被害のないことの確認作業が生じます。時間がかかっても確実な調査をしてもらうようにしました。それでも電話ですぐ被害状況を報告しろと各所から連絡があります。私1人が事務所に残って電話対応をしました。
 電気とガスが止まっていましたが、電気は比較的早く復旧したと思います。ガスは数週間止まりました。電気があれば食事とお茶程度は大丈夫です。卓上のガスボンベを用いての調理が中心です。お風呂はしばらく入れません。鍋にお湯を沸かして体をふくような生活が続きました。
 自宅は仙台駅近くの鉄筋コンクリート5階建ての建物で、私は5階が住まいでした。住んでいた建物の被害はありませんが、多くの食器が食器棚の扉が開いて、落ちて壊れたようです。私が帰った時にはすでに片付けられていました。

2.被害状況

 建設途中の新幹線構造物も大きく被害を受けました。建築物も道路も被害を受けています。

2.1 建築構造物の被害
 私のいた現場事務所はプレハブで、仙台の隣の駅の長町駅近くにありました。すぐ近くには鉄筋コンクリートの市営アパートが数棟ありました。このアパートが傾いてしまいました。
 建築の設計は、杭頭ヒンジと仮定した杭の設計をしています。ヒンジなのでモーメントも生じずせん断力もほとんど生じないので、せん断補強筋もわずかです。この杭頭部がせん断破壊してアパートが傾いてしまったのです。実際は、杭の主鉄筋がある程度定着されているので、ヒンジとはならずにモーメントが生じてしまいます。それによりせん断力も生じ、せん断破壊したのです。
 このような事例はその後も、土木構造物でも起こっています。阪神大震災の時です。地下鉄の大開駅は地下のボックスカルバートです。中間に柱があり、この柱の設計は両端ヒンジとなっていました。それゆえ、せん断補強筋もほとんど入っていません。実際は完全なヒンジとならずに、曲げに抵抗することとなり、せん断力が生じせん断破壊してしまい、ボックスカルバートがつぶれる被害が生じました。
 当時、鉄道構造物の杭の設計は、杭頭固定で計算し、さらに杭頭ヒンジでの計算も加えて、いずれの断面力にも耐えられるように配筋していました。応答変位法が杭の設計に加わった以降に、杭頭ヒンジとしての配筋を加えることがなくなったのだと思います。この地震被害で鉄道構造物の基礎の被害は報告されていません。
 市中の建物もいくつかは大きな被害を受けました。傾いたり、鉄筋コンクリートの建物の柱がせん断破壊したりして被害が生じていました(写真-1、写真-2、写真-3)。


写真-1 傾いた建物写真-2 建物の被害

写真-3 建物の柱の破壊(構設資料No.56より)

2.2 鉄道の在来線の被害
 在来線も被害が生じました。写真-4は盛土と高架橋との境界付近の軌道の状況です。在来線は土構造物が中心ですので、これらは比較的早期に復旧しました。高架橋や河川橋脚は、数は少ないですが、被害も生じました。倒壊したものはなく樹脂注入やRC巻きなどで補修されています(写真-5)。


写真-4 在来線の被害/写真-5 在来線高架橋の被害(構設資料No.55より)

2.3 建設中の新幹線の被害
 被害が多かったのは建設中の新幹線構造物です。ほとんどが、コンクリートのラーメン高架橋や桁式高架橋で造られています。まだレールは敷設されない時点です。主な被害は、桁式高架橋では、支承部です。橋脚では鉄筋の途中定着部の損傷です。2層のラーメン高架橋では、中層梁にせん断ひび割れが多く生じました。数は少ないですが、柱の上端部の損傷も見られました。以下に写真とともに紹介します。

(1)支承
 新幹線の走行に伴う地盤の振動対策として、市街地では桁式の高架橋が採用されていました。スパン20m程度のRC桁のシューの材質はFC材(鋳鉄)でした。シューの移動防止の突起がこの地震で多く壊れました(写真-6)。このため、下シューに載っていた上シューが滑って橋脚天端に落下してしまいました。地上まで落下したものはありませんでしたが、多くの桁が橋脚天端に落下しました。


写真-6 シューの損傷と上シューの落下

(2)桁端や桁座
 写真-7はシューの損傷は軽微ですが、桁端が損傷した事例です。この桁はRC桁よりはスパンの長いPC桁です。シューの損傷が軽微で済んだ代わりに、桁端部が大きく損傷しました。
 写真-8は橋脚天端の桁座の損傷です。シューや桁端が損傷しないと、このように桁座が損傷するものもあります。


写真-7 桁端部の損傷/写真-8 橋脚天端の損傷

 これら構造物の設計は震度法で、水平震度0.25程度で設計がされています。加速度250cm/s2に相当します。この地震での実際の応答加速度は500~1,000cm/s2程度が観測されています。ですから、どこかの部材で損傷して地震のエネルギーを吸収することになります。シュー、桁端、桁座のどこか弱い箇所で損傷したのです。
 これらのすべての部材を強く設計すると、損傷は橋脚下端などに移ることになります。
 現在の耐震設計は、橋脚下端に損傷を集中させて、ここでの回転性能を大きくして大きな地震のエネルギーを吸収しようという考えが主流となっています。

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