道路構造物ジャーナルNET

第30回 高架橋

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)

石橋 忠良

公開日:2022.02.01

 オミクロン株が急速に広がってきてしまいました。重症化は少ないと言われていますが、会食や直接会っての会議など大幅に自粛されてきています。なかなか以前のような日常には戻らないですね。
 前回、橋梁の話をしたので、今回は高架橋の話をします。高架橋は盛土構造の箇所を、盛土では道路交通などを遮断するために、その解消に採用されてきたものです。

1.初期の高架橋1)

 鉄道構造物は、河川には橋梁が造られますが、鉄道開業のころは、橋梁以外はほとんど盛土、切り取りなどの土構造と、ルート上やむを得ない箇所にトンネルが造られています。都市部では盛土では鉄道が街を分断することから、徐々に高架橋が造られてきました。
 写真-1は有楽町駅付近のレンガ高架橋です。1910(明治43)年に開業しています。


写真-1 レンガ高架橋(有楽町駅付近) 1910(明治43)年開業(経年112年) 

 中央線の東京-万世橋間の高架橋は1919(大正8)年に完成しています。写真-2、図-1は東京駅以南のレンガ高架橋と形状を合わせたアーチ式の高架橋です。レンガで化粧されていますが、鉄筋コンクリート構造です。アーチ式は比較的地盤の良い箇所に採用され、地盤の良くない箇所には図-2に示すような壁式橋脚に桁を載せた桁式高架橋が採用されています。


写真-2 1919(大正8)年完成の東京-万世橋間の中央線高架橋(経年103年)

図-1 東京-万世橋間鉄筋コンクリートアーチ高架橋/図-2 東京-万世橋間スラブ式高架橋

 1920(大正9)年から1925(大正14)年にかけて東京-上野間の高架橋工事が施工されました。この工事では、地盤の良し悪しに応じて、各種の構造が採用されました。図-3は地盤の悪い箇所に採用された単純桁式高架橋です。


図-3 単純スラブ形式高架橋

 地盤の良い箇所では図-4のような3径間連続スラブ桁の高架橋としています。


図-4 3径間連続スラブ形式高架橋

 1929(昭和4)年に完成した秋葉原駅の高架橋には、スラブ下の有効利用の面で有利ということでフラットスラブ形式の高架橋が初めて採用されました。
 図-5は1930(昭和5)年に完成した御徒町付近の高架橋で、8スパン連続の高架橋です。これもフラットスラブ形式です。


図-5 東北線御徒町付近高架橋

 図-6は1931(昭和6)年に建設された三ノ宮-神戸間の2柱式3径間のラーメン高架橋です。


図-6 東海道線三ノ宮-神戸間高架橋(第一期)

2.戦後の高架橋1)

 首都圏の京浜東北、山手線の田町-田端間は、両線併用で運行されていました。旅客の急増に対応するため、この区間に複線が増設されました。1950(昭和25)年に着工し、1956(昭和31)年に竣工しています。この工事の秋葉原-神田間高架橋には、2線3柱式ビームスラブ式ラーメン高架橋が多く採用されています。高架橋各ブロック相互の接続方式は、配筋が容易な張り出し形式が採用されています。2柱式(図-7)と3柱式(図-8)がありますが、経済性からは2柱式が、高架下利用の面では3柱式が有利として場所に応じて選ばれています。


図-7 黒門町橋2線2柱式高架橋/図-8 黒門町橋2線3柱式高架橋

 神田駅付近は図-9に示す3線3柱フラットスラブ式高架橋が採用されました。


図-9 神田駅構内フラットスラブ式高架橋

 大阪環状線は1956(昭和31)年に着工し1965(昭和40)年に完成しています。
 大阪環状線に使われた特徴的な高架橋に、線路直上の高架橋があります。在来線路の両側に鉄筋コンクリートラーメンを造り、これにPC桁を架設し、床板はRC構造で場所打ちされています(図-10)。


図-10 西成直上高架橋一般図

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