-分かっていますか?何が問題なのか-
第59回「建造物の景観と色彩設計 ‐誰でも色は変えられるが、色を変えた責任は重い‐」
これでよいのか専門技術者
(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏
著名橋整備事業における隅田川主要橋梁の色彩変更
2.2著名橋整備事業における隅田川主要橋梁の色彩変更
昭和の末、維持管理がようやっと陽の目を浴び始めた頃、隅田川の主要橋梁を柱に東京都内の著名橋梁を抽出し、各橋梁の装飾や補強等を行った隅田川著名橋整備事業(昭和59年~)がある。当連載でも過去に何度か当該事業に触れて話をしたことがあるので、隅田川及び東京都著名橋整備事業(昭和63年~)について思い出す読者もいると思う。当時あまり話題とはならなかったが実は、隅田川著名橋整備事業において、橋梁の色彩を一連の流れを創り大きく変更している。今回の説明は、当時苦労した色彩検討から塗り替えた色彩について私の記憶をたどって、箇所別に具体的に話を進める。なお、以前の連載で、大正関東地震・震災復興事業橋梁に塗付されていた塗膜とライトアップ整備の話をしているが、今回はその第二弾として、2020東京オリンピックを迎えるからと言って、折角、利用者や住民に定着した色彩を変更したことの問題点と今後に必要な考え方を示唆したいと思う。
今回の話題提供は、白鬚橋から下流に架かる道路橋の色彩である。話しのスタートとなる白鬚橋の上流には、写真‐2に示す水神大橋(隅田川初のニールセンローゼ)が架かっている。開通当時の水神大橋は、ニールセンローゼの美しい青色のアーチと白色のケーブルとのバランスが良く、非常に好評であったが、塗り替え後の姿は『艶やか・清楚』から『厚化粧』に変わり、今の色味には以前高評価であった見る影もない。水神大橋の話しは、以前連載で話題提供しているので興味ある方は探して読んでもらいたい。これからの説明は、隅田川著名橋整備事業を始めて以降、1986年(昭和61年)2月に現況の色彩を調査した時の記憶等を基に、どのように色彩を変更したかについて説明する。
(1)白鬚橋(ブレースドリブアーチ)
隅田川著名橋整備事業検討時点の白鬚橋を取り巻く環境は、東京都防災拠点白鬚西地区再開発整備が始まる前でビルもなく、緑豊かで静けさを感じる風景であった。写真-3に示す白鬚橋は、著名整備事業以前は明るい「あおいろ」に塗られ、周辺の緑と融合し、ブレースドリブアーチ構造の重厚さを和らげていた。著名橋整備事業では、「あおいろ」から防災拠点57.9haに整備される建築物を背景に、白鬚(向島七福神の由来)のしろを考慮し、存在を示す「はくどういろ」に塗り替えた。
白鬚橋の下流には、写真-4に示す平面の形状がX形状となっている、東京芸術大学の先生方が選定した「菜の花のようなきいろ」の桜橋(箱桁)が架かり、その下が言問橋である。
(2)言問橋(ゲルバー鈑桁)
隅田川上流から眺望すると東武隅田川橋梁と吾妻橋が同時に視点に入る。3橋の色彩は、水上の視点から見ると美しい重なり合いとは言えず、言問橋の「あさみどりいろ」は、個性のある色合いに映った。写真‐5に言問橋を示す。言問橋は国の管理橋であることから、東京都の要望を述べても塗り替えることは出来なかった。言問橋の下流には、ゲルバーワーレントラスの東武鉄道隅田川橋梁(花川戸鉄道橋)が架かり、直ぐ下流に隣接して架かるのが吾妻橋である。
(4)吾妻橋(ソリッドリブアーチ)
吾妻橋は、浅草に隣接し、水上バスの発着場が橋詰めにあることから、隅田川上からも『雷門』や『仲見世』、『浅草寺』を代表する『江戸っ子の心意気』、活気を感じる上路アーチ3連の橋梁である。以前の色彩は、白鬚橋と同じ明るい「あおいろ」であったが、川面から吾妻橋を見上げるとアーチ橋が創り出すダイナミックさを和らげている色彩空間を創りだし、アサヒビールの黄金色のモニュメントと対比して、それなりに面白い空間を創り上げていた。
隅田川著名橋整備事業では、明るい「あおいろ」から『雷門』や『仲見世』、『本尊司側の山門や五重塔』に使われている色彩を意識し、『下町の活気』を感じるように「もみじいろ」に塗り替えた。写真‐6に示すように吾妻橋の橋上、側面からの風景は『雷門』からくる「もみじいろ」を主体として、主構及び高欄や歩車道境界柵を『仲見世』、『本尊司側の山門や五重塔』を意識して、それぞれの色味を変える工夫を凝らした。吾妻橋のイメージは、従来の色彩から全く異なった色彩に塗り替えたことで一新され、見る人に強いインパクトを与える橋梁へと様変わりした。
水上バスの起点が吾妻橋と考えれば、隅田川動線上のアクセントとすることが狙いである。塗り替えた当時は、何で吾妻橋が赤色なのか、『雷門』、『仲見世の柱や天井』に似せたのか、けばけばしくて落ち着かない、元の色が良かったとの意見があった。しかし、吾妻橋を塗り替える理由の一つに、伝統ある『隅田川花火大会』復活があり、主催者や花火を観に集まった人々から大きな賛同を得たことも事実である。
(5)駒形橋(ソリッドリブアーチ)
駒形橋は、中央が下路式、左右が上路のアーチ橋、端部にある大型の柱照明塔がアクセントとなり、なで肩の優美な曲線を持つ個性的な外観である。写真-7に示すように駒形橋の色彩は、戦前からの「ふかみどり」から駒形堂、馬頭観音に因み、軽快さを加えたみどりがかった明るい「あおいろ」に塗り替え、水上からも目を引く際立つ橋梁となった。
(6)厩橋(ソリッドリブタイドアーチ)
厩橋は、下路式の3つの同じ形をした連続したアーチと、端部に巨大な橋梁灯があり、上流の駒形橋とは趣を異にし、独特な雰囲気を感じる。厩橋は、写真-8に示すように色彩は、駒形橋と同様に戦前からの「ふかみどり」から、『お厩の渡し』や江戸幕府の厩を考慮し「わさびいろ」に塗り替えた。塗り替えによって、重厚な門柱の存在を強く感じる車道空間の閉鎖感が薄れ、構造特性を感じる明るい雰囲気に変わった。
(7)蔵前橋(ソリッドリブアーチ)
蔵前橋は、吾妻橋や言問橋と同様に、両岸への接続箇所を高くすることが可能であることから、開放的な橋上空間を求める4連の上路アーチ(河川内3連、左岸・同愛記念病院側陸上部1連)が構造として選定されている。蔵前橋は、路面上の10基の細い照明灯がアクセントとなり、開放感のある水辺空間を楽しめる橋梁である。蔵前橋は写真‐9に示すように、既存の明るい「あおいろ」から、旧蔵前国技館の相撲などを考慮して歴史性を持たせ、アクセントとなるように雰囲気を変え、色味を抑えた「きはだいろ」へと塗り替えを行った。
吾妻橋の「もみじいろ」と同様に、「きはだいろ」へと大きく色相を変えたことについて、復興記念館(横網町公園)や同愛記念病院へ行きかう多くの歩行者から、インパクトが強すぎるとの意見が寄せられた。先の吾妻橋と同様に、年月が経るごとに評価は変わり、隅田川内の橋脚を対象に耐震補強工事を行っている時には、水上バスの利用者から「まさか、折角馴染んだ黄色を変えるのでは無いでしょうね!」と言われるようになっていた。隅田川著名橋整備事業によって塗り替えて後、種々な意見を聞いてきた私としては、「蔵前橋、イエローカラーの橋」が地元において定着したと思っている。
蔵前橋の下流には、ランガープレートガーダーのJR総武線隅田川鉄道橋が架かり、写真‐10に示す、言問橋と同様なゲルバー鈑桁の両国橋が架かる。両国橋も管理は国であるが、隅田川著名橋整備時に東京都の要望に応え、新たにテラスを設置し、色彩もツートンカラーに変更している。両国橋の下流に架かるのがロープで吊り下げられている構造が橋マニアには有名な、首都高速6・7号線橋梁(両国ジャンクション)、そして写真-11に示す「だいだいいろ」の主塔、補剛桁が目を引く隅田川初の斜張橋、新大橋が架かり、その下流が日本国重要文化財の清州橋である。
(8)清州橋(自碇式吊橋)
清州橋は、隅田川著名橋整備事業検討時は日本国重要文化財では無かったが、路面上から重厚さと水上からの優美な曲線、女性的な構造と高く評価されていた橋梁である。私の連載では何度も登場する、橋梁の主役、王者の風格を感じるのが清州橋である。隅田川著名橋整備時の色彩検討において、取り巻く環境を調べたが、基調色は建造物がベースとなっており、色相はベージュ、イエローやブラウンが大部分を占めていた。また、トーンはペールトーン、ライトグレイイッシュトーンなどが多く、低彩度で、明度は5~9の範囲が多かった。アクセントカラーは、屋上看板や壁面広告、ストリートファニチャー、屋根、遠方の濃色建物などであり、色相、トーン共に広範囲である。
当時の色彩設計は、現在のコンピューターグラフィックやクロマキー合成技術が進歩していなかったこともあり、カラーシミュレーターを使って、視感測色で背景となる物の色彩環境を測定し、測定結果を基に最適色の色出しを行い、候補色の絞り込みを行った。最終決定色は、自碇式吊橋として特徴ある外形の清州橋は、「てつこんいろ」から、背景や橋梁を取り巻く環境との調和を考え、20色を選定、5色に絞り込み、写真‐12に示す自碇式吊橋のシルエットを際立たせる「はなだいろ(縹色)」に決定し、塗り替えた。清州橋の変更色「はなだいろ」は、日本伝統の『藍染』がベースである。
清州橋を下ると、首都高速とダブルデッキ構造の隅田川大橋が架かり、隅田川が本流と派川とに分岐する少し上に架かるのが、初代帝都の門、永代橋である。
(9)永代橋(ソリッドリブタイドアーチ)
永代橋は、清州橋と対比され、重厚且つ力強さを感じる男性的な橋梁である。永代橋は、日本国重要文化財に推薦する際、種々な方向から何度も眺めているが、いつも、歌舞伎の『市川團十郎』が舞台一杯に『荒事』演ずるが如く映り、荒々しく豪快さをタイドアーチに感じている。色彩検討は吾妻橋、清州橋と同様な方法で行ったが、背景となる基調色は、ベージュ、ペールイエロー、イエロー系のオフニュートラル、ライトグレイッシュイエロー、ブラウン、ホワイト、ライトグレイ、グレイが多い。アクセントカラーは、建造物や付属物の種類は清州橋と同様であるが、色相やトーン共に広範囲に渡っている。清州橋の周辺とは異なって、アクセントカラーとなる際立った色調の屋上看板は少なかった。
永代橋の特徴として、建設中のビルが多く、それら建造物の予定色となるイエロー系のオフホワイトやオフグレイを考慮し、候補色の選定を行っている。永代橋の色彩は、従来の「ぎんねずいろ」から、遠目の視点を考慮し、永代橋の男性的な構造美を考慮し明度の範囲を6.5~7.5(明度が高く、彩度が低いと白色に見え、視認性が劣る)に落としている。また、永代橋を取り巻く環境とのコントラストを考え、彩度の範囲を5~8に設定し、最終的に図‐4に示す「あおふじいろ」に決定し、塗り替えた。「あおふじいろ」は、路面上に突き出たアーチ形状の力強さを和らげ、隅田川の川面と青く澄んだ空との調和を考えて採用した。
永代橋から隅田川本流を下ると、佃島の『兜伝説』を考え、主塔が兜に模した形状とした二つ目の斜張橋、図‐5に示す中央大橋が架かる。中央大橋と近接して架かるのが箱桁橋の写真‐13に示す佃大橋である。
佃大橋は、昭和39年東京オリンピック開催に合わせる様に架設されているが、私にとって非常に残念な記憶がある。佃大橋には直接的に関係は無いが、『東京マラソン』コース選定の折、下流に架かる勝鬨橋をマラソンコースとして選定してほしかったが、結果的にはPR度の低い佃大橋コースとなった。
私は、佃大橋コースにしたことによって注目度は下がり、2020東京オリンピックマラソンコース選定から臨海副都心に行くコース選定は無くなると思ったが、案の定そうなった。結果的には、マラソンコースは酷暑の東京を避け、北海道・札幌に移ったが、私は今でも佃大橋コースを選定したことが残念でならない。
それはそれとして、どうも私の後輩となる行政技術者達は、広報・広聴が上手とは言えず、近年の発信力低下には目を覆うばかりであり、関係する分野における国内外からの注目度は下がる一方である。『電線類地中化事業』が重要な施策である事は分かるが、その他の外に打ち出す新たな魅力ある施策があまりにも少ない。近年の公表資料や重点施策等を見ても保守的な面ばかりが目立ち、やることなすこと『粋』とは言えない。以前から言ってはいるが、例えば、重要イベント時に勝鬨橋が「さらっと」と跳開する、酷暑の夕べを涼む橋上テラスの『カフェ』営業、SDGs(Sustainable Development Goals)を先取りした主要橋梁更新の廃止等々、国内外にPRできる絵になるアイディアがあるでしょう。もう不可能となったが、2020東京オリンピック時の勝鬨橋の跳開を行えば、幻の東京オリンピック・万国博覧会と重なり、投資効果は計り知れない、と私は今でも心の中で思っている。
(10)勝鬨橋(中央径間・シカゴ型双葉式跳開橋、側径間・ソリッドリブタイドアーチ)
勝鬨橋は、隅田川河口からの玄関にあたり、永代橋の後を受けた、二代目・帝都の門である。勝鬨橋は、中央径間が跳開する橋梁として長い間、地元の築地、月島の住民や東京都民から愛された「ハの字に開く橋」である。橋上には、都電が通行していたが、1969年(昭和44年)9月28日の最終便で廃止され、1970年(昭和45年)11月29日の試験跳開以降は、開かずの橋となっている。先の清州橋、永代橋と同様に、日本国重要文化財指定にとの強い希望を持っていた私にとって、指定に苦労した思いで深い橋梁の一つである。
文化庁が難色を示した理由は、勝鬨橋が1930年(昭和15年)架設であることにある。日本国重要文化財(建造物)指定には、建設年次が新しすぎるが文化庁の見解であり、清州橋、永代橋と同時期指定に難色を示された。しかし、私の思いは強く、私自身文化庁に何度も足を運び、何とか重要文化財指定に辿り着いた橋梁である。私の強い思いの原点は、昭和の末、東京都シンボルロード計画と下水道計画等から勝鬨橋架け替え計画を中止させたことにある。勝鬨橋架橋の苦難の道や設計者『安宅勝』の設計理念、双葉跳開橋の遺産としての重要性などから、私が架け替えに反対したことによって現在の勝鬨橋がある。写真‐14に示す勝鬨橋は、従来の「みなとねずみいろ」から、第二の帝都の門に相応しく、取り巻く周辺景観の変化も考慮し、「あおしろ」系の光沢を持つ「しろねずみいろ」へ塗り替えた。
(11)築地大橋(アーチ)
築地大橋は、隅田川を跨ぐ橋梁としては、最も新しく2020東京オリンピックを迎えるために架設したと言ってよい橋梁である。
オリンピックに関係する橋梁として、隅田川には、年代別に勝鬨橋、佃大橋、そして築地大橋の3橋がある。三代目・帝都の門、上流に架かる勝鬨橋側径間のタイドアーチとの重なりを考え、中央径間をアーチとした築地大橋を写真‐15に示す。隅田川河口に位置し、浜離宮恩賜庭園の緑に映え、勝鬨橋との差異を考慮した色彩は、「しろ」である。
(12)レインボーブリッジ(吊橋)
レインボーブリッジは、東京港、隅田川河口の延長線上、第一航路を跨ぐランドマーク橋梁である。図‐6に隅田川河口の架かる勝鬨橋と築地大橋、そして東京港第一航路に架かるレインボーブリッジ、それぞれの位置関係が分かる図を示した。図‐6の下、第一航路から東京に入港する船舶からの視点を考えると、レインボーブリッジが本当の『日本の首都・東京のゲート』であるかもしれない。レインボーブリッジの鳥瞰的視点からの前景を写真‐16に示す。写真の右斜め先が隅田川の河口にあたり、色彩は、築地大橋と同色の「しろ」である。今回、隅田川の主要な道路橋を中心に『色彩』を柱に話を進めているが、レインボーブリッジが「しろ」であるならば、後から架設した築地大橋は、「しろ」ではなく、他の『色彩』を選定すれば、『色彩』の流れがとても良かったような思いがする。そうなるとどのような色彩が良いのか、読者に考えてもらいたい。ここで必要なのは、豊かな想像力、独創力である。次に、2020東京オリンピック開催に向けて隅田川の主要橋梁の色彩変更を行ったことについて、持論を述べる。