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-分かっていますか?何が問題なのか-
第59回「建造物の景観と色彩設計 ‐誰でも色は変えられるが、色を変えた責任は重い‐」

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎

公開日:2021.09.01

篠原修先生の『橋の景観デザインを考える』
 『好きな橋』と『好きな背広』
 

1.はじめに

 篠原修先生が部会長を務めた『鋼橋の景観設計研究部会』・鋼橋技術研究会の成果を取り纏めた書籍として『橋の景観デザインを考える』がある。1994年(平成6年)5月に発刊され、私は直ぐに書籍を購入し、その後、何度か事あるごとに『橋の景観デザインを考える』を読んでは、それをベースにして景観や色彩を考える対象の橋梁や環境を見ることにしている。
 私が構造物の景観や色彩を検討する時に教科書となっている『橋の景観デザインを考える』のまえがきに、篠原先生の思いを綴ったと私が思う『好きな橋』の項がある。『好きな橋』の書き出し部分を抜き出すと、「丸谷才一の随筆に『好きな背広』という話があって、かなり前に読んだものなので今でもおぼえているのは、なるほどそうか、言われてみれば本当にそうだなあと感心したからである。」篠原先生が取り上げた『好きな背広』の話とは、「気に入って買った背広をいくら洋服ダンスにたくさん吊しておいても、人には自ら好きな背広というものがあって、つい着てしまうのはそのうちの二、三着に限られるというのである。・・・・・僕がつくろうと思うのはいつもアーチ橋であったことに気づいた。・・・・・つい着てしまう好きな背広、ついつくりたくなる好きな橋、僕の考えでは、これは言葉どおりの好き嫌いの問題ではなく、存外に根の深い、その人間の深層にかかわる問題なのではないかと思う。・・・・・つい思い浮かべてしまう好きな橋とは、背広とはいささか位相を異にする問題ではあるが、その人自身の原風景の一部になっていて、それが存在して初めて魂が安らぐ風景になるのではないか、と思う。・・・・・」と書かれている。私は篠原先生の『好きな橋』の始めの部分、『好きな背広』を呼んだ瞬間、「確かにそうだ!丸谷才一さんの考え、そして篠原先生が述べている、人が無意識に求める好みの分析について的を射ている、言われてみればその通り、私も分析結果に同感だ!」と共感した。私も自分自身を振り返ると、自らが気に入っているジャケット、ワイシャツ、ネクタイ、ベルトなどがあり、事あるごとに何時もお気に入りのものを、決められているかのように選択している。私の周りの人が「髙木さん、また同じネクタイとワイシャツだね!!・・・・・」と思っているのでは、と不安がよぎったとしても、何故か同じものを手にしている。『好きな橋』のくだりは、「その人自身の原風景の一部になっていて、それが存在して初めて魂が安らぐ風景になるのではないかと、思う。・・・・・」である。

 

 篠原先生の言わんとすることは、人が橋の外観や色彩選定を行う際、個人の持つ特有の好みが橋をデザインする時にも頭を擡げ、不思議と無意識に同じ構造や色彩を選択したくなると言うことである。『好きな橋』を読む前の私は、人のイメージ、想像力とは幅広い自由性があり、拘束を受けるものは無いと考えていた。しかし、『好きな橋』の項を何度か繰り返し読んでいくうちに、人間の想像力においては、個人が持つ固定観念が優先し、何となく落ち着くデザイン、色彩、構造を選択する場合が多いと考えるようになった。

 

 話は変わるが、篠原先生が『橋の景観デザインを考える』に『好きな背広』を書き、それを読んで「なるほど!そうだ」と共感して以降の私は、丸谷才一さんに興味を抱き『文学ときどき酒』、『絵具屋の女房』、『花火屋の大将』、『思考のレッスン』など次々と読み漁り、丸谷才一の『粋』とセンス溢れる世界を楽しませてもらっている。中でも特に、『好きな背広』を私は何度も読んでいるが、常に新鮮味が味わえ、傑作と確信している。読者の方も、機会があれば丸谷才一さんの書籍やエッセイ集を読んでもらいたい。

 話を本題に戻して、『橋の景観デザインを考える』を参考にさせていただいている私は、橋梁景観の第一人者である篠原先生と何度もお会いしているが、私の存在は薄いと思っている。その理由は、東京都在職中に何度も、無理難題と分かっていても強行突破を試みる私に対して、顔を顰められることが度々あったからである。

 そうは言っても、篠原先生と私はけた違いに器が違う。篠原先生は何時も、煙草を揺るがしながら私の依頼に真摯に付き合って下さり、眼鏡越しのにこやかな眼とご自慢の鬚?が緊張を和らげている、その場の雰囲気が思いで深い。私と篠原先生の関係は別として、篠原先生の言わんとする意図が、『橋の景観デザインを考える』には随所に感じられ、今回紹介した箇所が私にとって特に好きな箇所である。篠原先生は、図‐1の多摩川に架かる旧丸子橋がお気に入りであったと聞いているが、丸子橋は2000年(平成12年)5月に旧橋のイメージを残した形で架け替えている。私としては、篠原先生がお気に入りであった旧丸子橋を架け替えたので、是非一度篠原先生にご意見を聞きたいとは思っているが、何を言われるかと心配し、恐ろしくて未だに聞けてはいない。ここで、読者の方々にも違いを判断できるように新旧対比して図‐1に示す。架け替えた丸子橋は、常時渋滞していた旧丸子橋の2車線を4車線に拡幅し、旧橋独特の鋼製と鉄筋コンクリートアーチによって創り出していた美しい景観を踏襲し、径間数(13径間から5径間に)こそ減らしたが、鋼製とプレストレストコンクリートアーチによって、旧橋のイメージを残すデザインを採用している。

色彩計画のポイント
 色の三属性を検討するのが望ましい

『橋の景観デザインを考える』の中に「色彩計画のポイントはどこにありますか」がある。該当する箇所は、「色彩は景観を構成するすべての要素と関連し、色彩の印象はこれらの相互関係によっています。色は独自の心理的効果をもっていますが、それ自体には美観はなく、使い方によっては美しくも醜くもなります。・・・・・しかし、橋の景観デザインは橋を周辺環境と一体として取り扱うものであり。橋の色彩と周辺環境の色彩との調和も考えなければなりません。橋の背景にはさまざまな色が含まれており、その中から支配的な色(基調色)を選び出し、それと橋の色との調和を消去法、融和法、強調法のいずれかの方法により検討することになります。色彩計画にあたっては、色の三属性(色相、明度、彩度)が人々にどのような感情を与えるのか、あるいはそれらの組合せがどのような心理効果を与えるのかを検討するのが望ましいと思います。」と基本的な考え方を示している。橋梁を新設する時の外観や色彩の決定は、対象橋梁周囲の環境を調査し、調査結果を基に供用開始時と供用開始後からある程度経た年月間の移り変わる景観を予測し、数種の候補案を選定、公的組織内で最終案を決定するのが一般的な流れである。

ゆりかもめで駅舎、軌道主桁と橋脚の景観と色彩を担当
 11駅それぞれ色彩を変えている

 例えば、私が関わった臨海新交通・ゆりかもめの場合、景観と色彩を検討したのは駅舎、軌道主桁と橋脚である。開発が進む東京湾埋め立て地を走る近代的な新交通車両(全自動運転で計画)が、夢多き東京臨海副都心の街並み風景に相応しくなるよう、行政技術者としての想像力、独創力を最大限発揮し、関係者合意のもと、建造物の外観や色彩等を決定した。具体的に、全ての駅外観は、屋根に特徴を持たせるだけではなく利用者に配慮し、乗降客がホーム上で雨に濡れないように、駅舎の屋根を軌道部分の全てを覆うように伸ばしている。また、橋脚は、決まったばかりの東京都シンボルマーク(東京都の頭文字Tをあしらったグリーンカラー)形状に統一し、走行路の排水管を隠す処理を行った。

 今回の本題である色彩は、色相の差異でどこのエリアの駅舎かが分かるように区分し、それぞれ色彩検討を行っている。具体的に色彩を示すと、1995年(平成7年)11月の開通当時は、新橋仮駅舎を除いて、新橋側から、汐留駅が「うこんいろ」、竹芝駅が「てつこんいろ」、日の出駅が「べにいろ」、芝浦埠頭駅が「みずあさぎいろ」、お台場海浜公園駅が「まつばいろ」、台場駅が「すみれいろ」、船の科学館駅が「えびちゃいろ」、テレコムセンター駅が「はとばねずいろ」、青海駅が「るりいろ」、国際展示場正門駅が「おうとういろ」、終点の有明駅が「こうじいろ」と11駅それぞれ色彩を変えている。また、開通時の新橋仮駅から有明駅まで総延長11.9㎞の軌道主桁は、レインボーブリッジ間の「しろ」以外は、私の好みの色、「みずいろ」をベースとして、ゆりかもめ(都民の鳥・臨海新交通名)が海上をスムーズに飛ぶイメージを頭に浮かべて、軌道主構造は全線、「みずいろ」系を採用、側壁を「うすみずいろ」と軌道桁を「みそらいろい」のツートンカラーとした。

 臨海新交通建造物の外観や色彩検討は、単一の橋梁が『点・ポイント』であるのに対し、都心に近い新橋から、未来都市臨海副都心の東京ビックサイト(国際展示場)を結ぶ『線・ライン』を意識し、各街区の取り巻く景観、街区への起点、顔となる駅舎がランドマークとなるように配慮した。私としては、レインボーブリッジ区間の「しろ」と芝浦地区、台場地区の「みそらいろ」の連続性が切れないようにグラデーション処理を行った事も自慢の一つである。当時の苦い思い出としては、駅舎の色彩と外観について、アイディア満載の建築技術者Sさんと激論を戦わせ、合意の基、各駅の仕様等が決まったが、肝心の上司からは「新交通の駅舎は、原色に近い色が多く、まるでモーテルだな!」と酷評されたことである。なかでも特に印象深い、写真‐1の日の出駅は、東京港最古のふ頭であることから、東京からの旅立ち、『朝日の出』をイメージし、「べにいろ(ピンク)」としている。しかし、先述したように色彩選定のコンセプトは利用者には伝わりにくく、ピンク系の派手な色彩に利用者は驚き、周囲の景観との違和感を唱える人が多かった。しかし、開通から10年を超えたあたりから色も落ち着き、周囲の建物にも多彩な色が現出したことから、近代化が進む街並みにも溶け込んでいった。日の出駅を取り巻く景観に「べにいろ」が馴染んだからか、住民や利用者が口にしていた違和感は徐々に少なくなっていった。

 私として、是非読者に見てもらいたい特別の箇所がある。それは、『青海駅』と駅周辺の公共的施設である。『臨海新交通ゆりかもめ』、『青海駅』駅舎、道路橋『あけみ橋』の計画・設計時のエリアは、旧名『船溜まり』と呼ばれ、真っ青な海が一面に広がっていた。現在は、当時の『船溜まり』海上部は全て埋め立てられ、大観覧のある『パレットタウン』と『ヴィーナスフォート』なっている。『船溜まり』の端を走る『臨海新交通ゆりかもめ』、『パレットタウン』等商業施設の起点となる『青海駅』、航路を跨ぐように架けた『あけみ橋』、いずれも荒れ地のような「はいいろ」の埋立地と「あおいろ」の『船溜まり』と航路を見ながら想像力を働かして景観、色彩設計を行っている。計画・設計段階においては、私の頭の中で『水の広場公園』の緑と『泊地・航路』の海をイメージし、「るりいろ」の『青海駅』を基点とし、「あおみどりいろ」のダブルデッキと波を模った高欄がアクセントとなる『あけみ橋』が地表レベルで『青海駅』と『有明地区』を繋ぎ、「うすみずいろ」と「みそらいろ」の『新交通軌道桁』が空中を走る、そして、いずれも私の好みの色相範囲でコントラストを付けている。ここまで説明してきた建造物の外観や色彩は、利用者や住民に理解され、親しみが沸くまで十数年の年月が必要であり、その後、時を経るごとに取り巻く環境に馴染み、周辺住民の愛着が増すものである。
 さて、新設構造物と異なり、既設構造物の場合はどうであろうか。既設の橋梁を塗り替える際には、従前の色彩を変更することなく塗り替えるのが基本である。しかし中には、管理者の判断で他の色彩に塗り替えられる場合がある。そんなチャンスが到来した時の私は、『好きな背広』で取り上げたように自分好みの色彩を選択し、塗り替えることがあった。今思い返してみると、従来の色彩を変えて良かった場合と、変えない方が良かったと反省する場合とがあった。色彩を変更することが良かった場合とは、取り巻く環境や住民の意思を十分考慮し、熟慮に熟慮を重ね、悩みぬいた結果、色彩を変更した場合であり、周囲の評価も高かった。逆に、色彩変更を後悔した事例は、色彩検討の時間も少なく、十分な検討を行わないまま色彩を決定した場合が該当し、色彩変更の理由を住民から問われても答えられず、当然評価も低かった。いずれにしても、色彩変更には、個人的な好みや安易な考えで行うことなく、住民のニーズを満たす行政組織としてのポリシーが必要である。

 

 今回私が取り上げるのは、2020東京オリンピック開催に合わせて、隅田川に架かる主要橋梁の色彩を変えたことについて、過去の経緯を知る私として、先人の努力を無にしたのではと想い、色彩変更について私の後継者たちに異論を唱えたい。それではここで、一般的な橋梁の景観と色彩ついて、特に色彩設計について資料を基に、私の考え方を説明しよう。

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