道路構造物ジャーナルNET

㉔第一大戸川橋梁

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)

石橋 忠良

公開日:2021.08.01

3.建設後50年経過しても健全な状態を維持

 菅原博士は、第一大戸川橋梁建設当時は鉄道技術研究所に所属していましたが、施工現場に出向し、現場での施工指導に当たっています。コンクリートの施工や、緊張管理、グラウトの配合、クリープの計測などの指導です。
 現地には、乾燥収縮などの計測用の供試体が建設当時から今に至るまで置いてあります(写真-5)。桁のたわみや、供試体の収縮など建設後数年間計測が継続されました。30年経過(1984年)した時に、私も菅原博士と一緒に現地に行って計測を行いました。その結果はPC技術協会誌(Vol.29,No.4,1987)に報告していますが、非常に健全な状況でした。


写真-5 橋梁近くの試験体

 50年経過したときに土木学会の委員会での調査も行われています。その結果でも健全で、コンクリートの中性化もほとんど進んでいないと報告されています。
 写真-6は、建設直後の蒸気機関車が走っている第一大戸川橋梁です。


写真-6 建設直後の状況(SLが 通過中)

 1959(昭和34)年から1961(昭和36)年に施工された大阪環状線高架橋にはスパン11.06~26.1mの単線並列単純I型4主桁を標準として、合計89連(ポストテンション方式83連、プレテンション方式6連)のPC桁が用いられています。1960(昭和35)年に施工された日豊本線小丸川橋梁には単線単純1室箱型桁35連が、腐食した鋼桁からPC桁に架け替えられています
 1964(昭和39)年に完成した東海道新幹線には約400連のPC桁が採用されるなど、その後の新幹線、高速道路などに多くのPC橋梁採用の先駆けに第一大戸川橋梁がなっています。
 第一大戸川橋梁が重要文化財に指定されたことについて、関係者の努力にお礼を言いたいと思います。

4.PC技術の発展に携わった偉大な先達

 我が国の最初の本格的なPC鉄道橋の紹介とあわせて、直接私が係ることのできたPC技術に係る何人かの先輩について簡単に紹介します。

 仁杉博士は西武鉄道社長や国鉄総裁の経歴を持つ鉄道の大先輩ですが、一生を通じてPC技術への探求心を持ち続けていました。亡くなったのは100歳を超えてからでしたが、直前まで元気に活動しておられました。90代のころまで、PC技術の世界の動向を議論しようということで、元株式会社ピーエス三菱社長の田中義一さん(故人)、道路公団OBの池田甫さん(故人)や、横浜国大名誉教授の池田尚治先生、道路公団OBの高橋大輔さんなどと定期的にPC技術についての情報交換の会を実施していました。私もそこでの一番の若輩として参加させてもらっていたのが懐かしい記憶です。
 PCグラウトの填充不十分での鋼材破断に対する議論や、PRC桁でのひび割れなどの問題や、すでにヨーロッパではフルスパンの桁をプレテンション方式で造っているなどの話題を覚えています。
 フルスパンでプレテンはPCの弱点であるグラウトも不要ということで、この方向が進むのではないかと話し合ったことが印象に残っています。
 大きな鉄道や道路のプロジェクトでは、今ではスパン40m程度の桁までそのまま工場で造ってフルスパンで架設するということが世界各地で行われています。台湾新幹線や、中国の新幹線建設や道路建設でもフルスパンでの架設が実施されています。今工事が始まったインドでの新幹線建設工事でも、フルスパンでの架設が予定されています。

 友永博士は1957(昭和32)年にできた構造物設計事務所(構設)の初代の所長でもあります。鋼構造の分野で有名で、東海道新幹線の鋼構造物に溶接構造を全面的に採用するなどを決めていますが、PCの初期にも深くかかわっています。
 私が1972(昭和47)年に最初に構設に配属になった時は、すでに国鉄をやめられ民間に行っていました。私がコンクリートに係るようになり、プレストレストコンクリートに係る文をPC技術協会誌などに載せると、必ずその文へのコメントの文を自宅にもらいました。亡くなるまで続けてくださりました。PCの我が国への導入の責任者の一人という意識が強かったのと、後輩への激励の意味があったのだと思います。仁杉博士が鉄道省に入った理由についていつも我々に話していたのは、友永さんが鉄道省に先輩としていたからだとのことでした。その技術力を非常に高く評価していました。
 
 藤田亀太郎博士とは直接話した機会はわずかですが、鉄道の先輩やFKKの社員などの関係者からの武勇伝の話はよく聞かされていました。以前は日本からフランスへの企業留学をフランス政府がお金を出して面倒を見る仕組みがありました。試験に合格すると、フランスの企業数社に受け入れ先をお願いし、その受け入れ期間の合計だけフランスに滞在できる仕組みです。
 私の国鉄後輩の何人かも試験に合格したのですが、受け入れ先を見つけることが必要です。それで、フランスと関係の深いFKKにもお願いするのです。試験に合格した本人はFKKをよく知らないので、PCで付き合いのある私が何人かFKKにフランスで受け入れる会社のお願いに行っています。その折に、当時社長だった藤田亀太郎さんにお会いしています。多くの武勇伝を聞かされているので、恐る恐るお会いするのですが、私が直接会った折は紳士的に扱っていただきました。

 菅原先生は、国鉄を一度退職し東工大の教授となり、その後再度国鉄にもどり、理事などをし、(社)海外鉄道技術協力協会の理事長などをしています。建設後30年経過した第一大戸川橋梁の調査にはぜひとも一緒に行きたいということで同行してもらいました。現地のコンタクトゲージなどの計測は慣れた先生の測定でうまく計測できました。いくつになっても研究心の塊の人で、私のところにもしばしば見えて、文献など依頼がありました。常に幅広い分野への興味を持ち続けていました。

 私が国鉄時代直接上司として、特に指導を受けた先輩に野口功博士がいます。私が最初の構設勤務の時の次長でもあり、2度目の時は構設所長としてお付き合いしました。私が線路の保守の分野から構造物の設計の分野を中心に鉄道人生を歩むことになったのは、野口博士の働き掛けによるものと思っています。構設の所長を最後に民間に行っています。
 PCだけでなく構造物に対する考え方など多くの影響を受けました。土木学会の初期のPCの示方書は野口博士が多くを担当しています。鉄道橋の支承を鋼製支承からパット型のゴム支承に全面的に変えることにしたことや、オイルダンパー式ストッパーの開発と、それによる長大橋へのPC連続桁の適用を可能にしたのも野口博士の功績です。学生時代は野球で活躍したとのことで運動神経も素晴らしく、構設所長時代、若い我々各パートの責任者3人と所長とでゴルフをするとハンディをもらっても、いつも所長に負け続けていました。

 多くのすぐれた先輩に恵まれていたことに今更ながら感謝しています。今回紹介した先輩以外にも指導を受けた先輩がおりますが、故人となられた方についてのみ紹介させていただきました。
(次回は2021年9月1日に掲載予定です)

参考文献
1)久保村圭介ほか;20年を経た東京駅ホームPC桁の試験、土木学会誌、Vol.62,No.3,1977.3
2)中原繁則ほか;35年を経た東京駅ホームPC桁の試験、第1回プレストレストコンクリートの発展に関するシンポジウム論文集。プレストレストコンクリート技術協会、1990.10
3)仁杉巌;支間30mのプレストレストコンクリート鉄道橋(信楽線第一大戸川橋梁)の設計、施工及びこれに関連して行った実験研究の報告、土木学会論文集、No.27,1955.07

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