今年の2月であっただろうか、井手迫様が取材の途中に国土技術政策総合研究所(以下、「国総研」と略します)の私の執務室に来室され、連載への執筆を依頼されました。私自身、長年橋梁をはじめとした道路構造物に携わってきており、道路構造物ジャーナルも有識者の方々の連載も含め興味深く拝見していました。私自身の知見の限界から他の方々のような高度な技術的内容は紹介できそうもないため、お断りしようとしました。しかしながら、主として国総研の活動内容の紹介で構わないとのことでしたので、このたび寄稿させて頂くこととしました。物足りない点などあろうかと思いますが、ご容赦願います。掲載内容についての誤りのご指摘や、取り上げてほしいことなどございましたら、井手迫様にお伝え下さい。
1.はじめまして??
連載を始めるに際し、自己紹介を行います。私の講演の度に自己紹介を行っていますので、ご存じの方も多く、今更とお思いでしょうが、お付き合い下さい。
島根県の山間部に農家の長男として産まれ、町役場に就職するに有利との親の勧めで、松江高専土木工学科に入学しました。島根県についてあまりご存じない方も多いと思います。島根県は、出雲、石見、隠岐と大きく3つに分かれており、言葉も全く違います(明治初期の一時期、鳥取県も島根県でした)。出雲地方は東北弁に近く、隠岐はお公家さんの影響からかどことなく京都なまりです。石見地方は、そのどちらでもなく、特に私は広島県境付近でしたので、広島弁でした。松江高専は、松江市にあるため、先生たちの多くは出雲弁で、当初、面食らったことを思い出しました。ちなみに、寮生活ではこのような雑多な言葉が入り交じるため、夏休みに帰省すると友人から言葉が変だとの指摘を受けていました。
松江での5年間の高専生活の後、新潟県長岡市にある、長岡技術科学大学に進学しました。高専では実習や多くの宿題を通じて実務的な手法や実践的な技術を身につけていたのですが、大学では改めてその理論や背景を学ぶと共に、自ら考える、まとめるという貴重な機会を得ることが出来ました。また、池田俊雄先生をはじめとして、経験豊富な先生のお話も聞けたのだと、就職して改めて認識したところです。大学院では、地盤研究室に所属し、私自身は凍上の研究を行っていましたが、研究室での液状化の振動台実験や地すべり観測(写真-1)等、実践的な研究も手伝っていました。
長岡市は、夏の花火が有名です。3尺玉や、長生橋のナイヤガラ等、花火好きの方には、是非、ご覧頂きたい花火大会です。河川敷に寝転んで体で感じることのできる花火大会ですので、日本一と思います。今年もコロナウィルス感染拡大防止のため中止と聞いていますが、来年は、是非見に行きたいと思っています。宿が確保されればですが。写真-2は長岡技術科学大学の同窓会で打ち上げた花火の写真です。VOS:vitality(活力)、originality(独創力)、services(世のための奉仕)。
写真-1 地滑り観測小屋の除雪(右が筆者)/写真-2 長岡花火(長岡技術科学大学同窓会で打ち上げ)
2015年4月22日、今から6年前、NHKの「探検バクモン」において国総研が取り上げられました。ご覧になった方もいらっしゃると思います。「参上!インフラドクター」として、国総研におけるインフラの維持管理や交通安全対策等が紹介されました。私も撤去部材を活用した臨床研究や、当時、東京大学と行っていたX線透過装置によるPC桁の撮影を紹介する機会を得ました。その際に私を紹介した場面で使われたのが今回のタイトルとした「橋に寄り添い27年」でした。長岡での大学院修了後、昭和62年4月に建設省に入省してから、これが放送された平成27年4月まで、28年間でしたので、なぜ、27年と記載されたのかは不明です。単に計算を間違えたのか、28年間の内、あまり橋に関係ない期間として1年分を除いたのでしょうか? 以下、建設省に入省後の私の橋との関わりを紹介します。
昭和62年に建設省に入省し、最初に配属されたのが中部地方建設局名四国道工事事務所でした。この事務所は、名前が示すとおり、かつては名四国道、つまり名古屋から四日市への国道整備に始まった事務所で、当時は東海環状自動車道の整備を重点的に実施していました。私は、調査第一課に配属となり、国道23号名豊道路の蒲郡バイパス、豊橋バイパス、豊橋東バイパスを担当し、環境影響評価のための調査や地元説明など貴重な経験を積むことが出来ました。そのなかで、橋梁の詳細設計も担当していましたが、当時は、恥ずかしながら、事務所や地方建設局の設計要領等にたより、道路示方書なるものを認識していませんでした。
2年目は長野県駒ヶ根市にある天竜川上流工事事務所での勤務となり、調査課において、河川計画や河川を活用した地域づくり等を担当しました。当時、ふるさと創生事業、俗にいうふるさと創生1億円事業により、各自治体が地域づくりに取り組んでおり、単に河川のみでなく、流域としての視点に触れることが出来ました。そのなかで、普段は優しい天竜川も、豪雨時には、まさに暴れ天竜となる姿に接することができ、光こそ見えなかったものの、河川中央部で盛り上がる流れと共に、石と石とがぶつかる轟音や振動を体感しました。幸いにも被害には至りませんでしたが、洪水時の川を再認識する貴重な経験でした。いまから思うと、この1年間は橋に関係が無いともいえますが、当時、天竜川に架かる橋梁の親柱や欄干で地域の特徴を活かしたデザインも行われ、テレビや新聞で取り上げられていたのを思い出します。
元号が変わった平成元年4月に、土木研究所構造橋梁部基礎研究室に異動となりました。当時は、平成2年の道路示方書改訂の最終段階であり、私も、下部構造編の改訂案の読み合わせに参加させて頂きました。平成2年の道示改訂では、基礎地盤の変形特性を表す地盤反力係数の設定法が統一化されています。その後平成11年2月までの10年弱にわたり、基礎に関する研究に携わりました。当時は大深度地下利用の関心が高く、私もその一環で大深度の仮設構造物の設計・施工法に関する共同研究を担当し、多くの民間企業の方々に教えて頂きました。また、平成2年からは基礎の限界状態設計法の共同研究にも参加し、その後の、日本道路協会での限界状態設計法のWGを通じて、平成5年頃には基礎の限界状態設計法として、一定の方向性をまとめていました。これらの蓄積があったため、平成7年の兵庫県南部地震を契機として平成8年に改訂された道路橋示方書では、全面的に基礎の限界状態設計法としての耐力制御設計を導入することが出来ています。ただし、信頼性設計法としての部分係数設計法は、その時点では導入できず、平成29年の改訂まで待つこととなりました。当時、土木研究所の土槽内での一連の鋼管杭基礎の載荷試験や、杭基礎の変形性能を実証するための組杭の載荷試験等、貴重な実験を実施できました。また、兵庫県南部地震の際の基礎の損傷調査では、被災杭の載荷試験も含め、多くの方々にご指導頂きました。改めて感謝します。機会がありましたら、本連載でも紹介させて頂きます。
その後、国土庁、独法土研、沼津河川国道事務所、三重県、土木研究所CAESAR、そして国総研と色々な経験を積むことが出来ました。それらを紹介していくと長くなるため、今回の自己紹介は、一旦ここまでとさせて頂きます。機会を見て、紹介します。なお、私をご理解頂くために、これまでの論文等のタイトルを分析したのが、図-1です。左側が平成19年度までの195編で、主として、土木研究所の基礎研究室時代です。右の図は、平成20年度以降の120編で、主として土研CAESARで非破壊検査・コンクリート構造を担当した時代のものです。今回の連載も、このような浅学の者の言と、ご容赦願います。