(4)主橋部橋種選定
※ 資料出典;未来への道標(福岡県)より引用
①委員会に提案された比較橋種
海上中央部の制約条件の多い、かつ、モニュメント的な橋梁の比較選定フローを図-3に示す。なお、景観分科会から提案があった橋梁案を図-4に示す。
平成4年度から発足した委員会では、図-3に示す鋼橋9案、コンクリート橋6案を対象に技術検討をスタートした。平成5年からは新たに景観分科会から提案のあったクロスアーチ橋等4案(図-4参照)を含めた全13案について比較検討を行った。
【裏話】
1994年春、多々羅大橋の設計をしていた頃、某長崎研究所出張の帰りに「博多駅」で降りた。宇留島補佐、国府寺部長の依頼を受けてのものである。「この選定案の中で、どの橋がお勧めですか」と。開口一番、「クロスアーチ系はやめましょう」と言った。「将来、誰が維持管理をするのか、よく考えて下さい」と。景観分科会の方には申し訳ないがこの時点で景観分科会案は無くなった。
残すべき案としては、①鋼中路式単弦ローゼ橋、②PCエクストラドーズド橋。一般的に支持層が深い地盤(沖積層及び洪積層が層状に分布かつ基盤岩が深い)ではコンクリート橋を選定すべきではないが、偶々、主橋部付近では支持岩盤(三郡変成岩類)がラクダの背のように浅くなっていたことで十分に設計が可能であると判断した(図-5参照)。なお、最終的に絞った案(鋼中路式単弦ローゼ橋やPCエクストラドーズド橋)についてはなるべく景観性も重視し、無論、維持管理性にも配慮することとした。これまで日本においては構造と景観がコラボしたことはあまりない。明石や来島で景観委員会を設置して主塔(塔柱や腹材)形状や色彩などについて議論したのがスタートのように思う。あくまで構造が主であり、景観は二の次という意識があった。北九州空港連絡橋では、景観が主という訳ではないが、ほぼ互角の気持ちで検討するように頼んだ。
②委員会が行政側に提示した橋梁案(最終比較案)
最終比較案を図-6に示す。裏話で書いた通り、「鋼中路式単弦ローゼ橋」と「PCエクストラドーズド橋」である。
鋼中路式単弦ローゼ橋は、原案を見たときから非常に気に入った。一般的に見かける中路式及び下路式アーチ橋は、二本のアーチリブから構成されている。このアーチリブが、運転者の視線を阻害・遮断したり、圧迫感を与えたり、私自身非常に不愉快であった。本案は、バランスドアーチ橋として桁から上のアーチリブを単弦にし、桁から下を二股に分岐している。桁から上のアーチリブ形状は、四角形から六角形に漸次形状が変化する。運転者は六角形の頂点を見ることになり、圧迫感が薄れることになる(図-7参照)。また、アーチリブの軸力が橋脚にしっかり流れていくイメージを創出している。一方、PCエクストラドーズド橋は、中央支間長210mと若干経済的には劣ると考えられるが、更なる技術開発の余地を残しており、挑戦するに値する橋梁案であった。
③行政側(福岡県)の判断と委員会の紛糾
1995年3月、行政側は委員会側からの2橋種提案を受けて「鋼中路式単弦ローゼ橋」に決定した。最終決定時の行政側の人間が(3)で書いた決め事を理解していなかったのである。「橋種は行政側が決定するもので、委員には細かな説明は必要無い」と。鋼橋が選ばれて、コンクリート(PC)橋が選ばれなかった理由が不透明なままであった。行政側が説明責任を放棄ことで、一部の大学側委員が撤退すると言い出したのである。産官学が一体となって鋼橋、コンクリート橋それぞれの分野の研究者(やゼネコン・メーカー・コンサルタント等の専門家)が課題を創出し、潰しながら最終的に選んだ代表2橋である。「県の裁量で決めたから」という一言で諦めきれないのはもっともである。逆に言うと、行政側の担当者(因みに、ニックネームが昼行燈)は「これでもって橋種決定は終了」とタカをくくっていたようである。
④福岡県庁への出向と委員会再建
1995年5月中旬、「福岡県土木部新北九州空港連絡道路建設室」が県庁内に発足した。発足日付をもって、福岡県庁に赴任した。
まずは、委員会(分科会)との関係修復である。行政側と関係悪化したコンクリート分科会の主査(コンクリート分野の重鎮)、それに同調し退任するという海象分科会の主査(元港湾研、九大教授)、への訪問である。国府寺部長と二人で両先生を訪問した。橋種決定の説明とコンクリート分野における要素技術の開発、下部工や上部工への適用など引き続き協力を依頼した。結論的にはご了解を頂き、その後の支援を約束して頂いた。
【裏話】
1995年7月頃、上司と共に福岡県知事(当時は麻生渡氏)を訪ねることにした。議会棟を過ぎた辺りで上司(定年が年度末の方、当方は36歳の若造)が「すいません。私は行けないです」と突然尻込みをされた。
この時、何を知事に説明に行く決断を私はしたか。ずばり、「橋種をPCエクストラドーズド橋」に変更する為であった。しかしながら上司にバッテンを付けてまで自分の意思を通すことは諦めた(因みに、上司はこの橋を検討しているコンサルタントに天下りされました)。この時点でPCエクストラドーズド橋案は捨てたが、これまでコンクリート分科会で検討された要素技術は豊富にあり、色々な場面で活用できると確信していた。
(5)最後に
世の中に数多の委員会なるものが作られては消えていく。最近では、事故(や不祥事)が発生した時に第三者委員が主となり、原因究明や対策を議論・決定する委員会が多くなっている。
地方自治体の委員会はどうだろう。委託者側となる行政、委員となる学識経験者。技術的な検討資料を作成するコンサルタントやゼネコンやメーカー。所謂、お墨付きを得るための委員会が非常に多い。しかし、福岡県の「新北九州空港技術専門委員会(1996年度に「設計施工委員会」に改称した)」は、お墨付きを得る為の委員会では決してなく、一つのビッグプロジェクトの完成に向かって産官学が一体となって「仕事をする委員会」を目指した。行政側には、道路行政のみならず技術的なポテンシャルも非常に高い官僚である宇留島補佐、産官学を巧妙に結び付け、コーディネートする道路のスペシャリストである国府寺部長、その二人にうまく乗せられた本四公団(当時)の角がいたからこそビッグプロジェクトは始動したのである。次号に続く。(次回は2021年7月1日に掲載予定です)