-分かっていますか?何が問題なのか-
第58回 鈴木俊男さんから学んだこと ‐突桁式吊補剛桁橋にチャレンジした恐ろしい胆力は何か‐
これでよいのか専門技術者
(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏
4.おわりに
鈴木俊男さんは、突桁式吊補剛桁橋について、これまで説明した計算手法や実験結果から、「突桁式吊補剛桁橋は、吊橋的な形態を有するにも関わらず、曲げ剛性が比較的大で、かつ耐風性能が優れており、また重心が低く横荷重に対して安定しているので、我が国において地盤の良好でない地点に比較的長径間の橋梁を架設する場合に極めて適合する型式の1つであると信ずる。」と結論として述べている。
私は、鈴木俊男さんに何度かお会いした時に交わした雑談やここで紹介した結論などから、鈴木俊男さん自身として、国内外の他の箇所において突桁式吊補剛桁橋を数多く採用されることを強く願っていたと思っている。しかし現実は、鈴木俊男さんの思惑、願いとは異なって、その後同形式橋梁の架橋はなかった。私のシリーズ読者の方々には橋梁関係者も多いと思うので、機会があれば是非、突桁式吊補剛桁橋をベースとした新構造にチャレンジして頂きたい。
鈴木俊男さんの技術者として超人的な面がもう一つある。それは、外に向かって技術を公開する、技術論文の発表数である。鈴木俊男さんは、大学卒業後10年経た、1957年(昭和32年)1月に『2-主桁並列型式の鋼床版桁橋の設計計算について』を表題とする論文を発表している。
論文の要旨は、2主桁並列型式の鋼床版桁橋において鋼床版の主桁突縁としての有効幅が種々の要素によって左右されることを指摘し、これを構造上妥当と考えられる仮定を設けることによって理論的に求める方式を述べ、この種の橋梁に対してこの合理的な有効幅を用いて設計計算を行うことを提案している。
その2年後の1959年(昭和34年)12月に『西新井橋架設工事について』、1962年7月に『鋼床版の格子ゲルバー桁への応用』をいずれも土木学会誌に発表し、鋼床版実験も含む内容である。前後するが、東京大学で学位を取得する前年の1961年10月に開催されたシンポジュウムにおいて、Title of technical paper:『Cantilever Plate Girder Bridge with Stiffening Tension Members』を発表している。この論文を読んで思ったことは、英文のほうが『突桁式吊補剛桁橋』の特徴と計算方法が理解しやすく、日本語よりも明快と感じた。
1962年(昭和37年)4月には、鈴木俊男さんの卓越した技術力を公的に認める『突桁式吊補剛桁橋に関する研究』で、旧制学位令による工学博士の学位を東京大学で取得している。その後、昭和37年4、5、6、7月に雑誌『土木技術』において、今回私が参考とした『突桁式吊補剛橋桁橋について』を連載した。
これだけの数の技術論文を短期間に纏め上げる、机上だから簡単と判断する人には、難易度が途轍もなく高いことが分かっていない。先の論文以外にも、鈴木俊男さんが執筆した論文、報文、書籍は数多くあるが、何がエネルギー源なのか、胆力を兼ね備えた理由を考えてみた。
鈴木俊男さんの本音は分からないが、技監止まりで辞めざるを得なくなったことに対する悔しさ、当時の社会に自分を認めさせる反骨精神が心の奥にはあったのではと思う。現代であれば、鈴木俊男さんなら、建設局長、いや東京都技監(当時はこのポジションはなかった)になったであろう。
私として、ここでもう少し掘り下げて考えてみた。戦前から戦後しばらくの間は、日本社会、官公庁は特に、旧帝大出身者が主要なポストを占め、旧帝大以外、特に私大の場合は、『技手』止まりで『技師』にもなれなかった、とんでもない学歴社会が存在した。確かに、近代社会を支えてきた代表的なメカニズムの1つが学歴社会であった。しかし、学歴で能力の『伸びしろ』を制限することは駄目だし、人の質や職制等判定に制限を加えることは最悪である。
鈴木俊男さんの場合は私大出身であったことから、東京都としても内規があるわけではないが、優れた能力を持っていたとしても最終到達点が決められていた時代であったと聞いている。それに毅然として立ち向かって突き進んだのが、鈴木俊男さんであり、驚愕的な種々なことをやり遂げるエネルギー源であったのではと私は思っている。
恐ろしいことに、現代社会において今でも、レベルは違っても同様な話は星の数ほどあり、理不尽な事実を知って挫折し、意欲を失う人が沢山いる。しかし、優れた専門技術者・鈴木俊男さんの考えは違っていた。私が鈴木俊男さん宅にお邪魔するようになったある時、叙勲したことを自慢げに話され、勲章を見せていただいた。地方公務員の場合普通は、ナンバーツーのポジション、例えば技監で辞めると叙勲はない。鈴木俊男さんの場合、何と叙勲推薦組織が建設省(現国土交通省)である。このようなこともあり、鈴木俊男さんの喜びもひとしお、私にも『活』入れたかったのであろう。私は、鈴木俊男さん特有の口を『への字』に結ぶ強面の顔がその時、一瞬、ほころんだのを今でも忘れない。ここで再度、図-29に示す突桁式吊補剛橋桁橋・葛西橋を見てもらいたい。読者の眼には、鈴木俊男さんの顔が背景に見えませんか? 私には、威風堂々とした姿がハッキリ見える。
図-29 荒川・中川に架かる葛西橋:突桁式吊補剛橋桁橋
鈴木俊男さんが東京都を辞める前に『住民と地方官公庁の技術者』表題で記述した資料がある。その資料を読むと、現代社会において、行政技術者が理解しなければならないこと、関係住民に分かってもらいたいことが示してある。私も体験した、そして鈴木俊男さんと共通して感ずる何かがそこにある。
鈴木さんは、「最近の地域住民の公共事業に対する苦情は、騒音・振動から始まって日照権、環境権に至るまで、その権利意識の高まりは日増しに強く、多様化してきた。・・・・・ときには住民エゴにも似た反対運動が各地で展開されている。公共事業に携わり直接住民とかかりあうことの多い地方官公庁の技術者は、そのため、多かれ少なかれこの種の苦情反対に直面して、その対応に、日夜苦労しているというのが現状であろう。・・・・・」そして、「最近の傾向として、住民は<長>という地位でなければ相手にしなくなったように見える。技術的説明に対する質疑応答の時でも、平技師より、係長、課長の答弁を要求し、さらには技術者でない部長の返事を求めるなど、上へ上へとエスカレートしていくことが多くなった。・・・・・誠心誠意という言葉があるが、誠意のバロメーターは < 長 > なる人の対話回数であるように思われ、そのため管理職の仕事量はとみに増加してきた。そして、それらに時間がとられることから技術者としての本来の業務がおろそかになり、全般的に技術水準が低下するおそれがでてきている。その対策として、権限をできるだけ下におろす一方、住民対応のための管理職を増員せざるを得ない事態に立ち至っている。・・・・・」
昭和の末、鈴木俊男さんは将来の地方自治体の技術職員、行政と住民対応について苦慮しての発言と思う。真の技術者は、常に自らに厳しく、不正に手を染めてはならないはずである。
第2章で説明したメキシコシティ地下鉄高架橋崩落事故は、今後、関係する技術者に死ぬほど膨大な量の業務が降りかかることになる。それが何か読者の方々はお分かりであろうか?
崩落事故の主原因が溶接欠陥であった場合、12号線の鋼主桁等の溶接継ぎ手数は恐ろしい数ほどある。また、メキシコの技術者は、他の地下鉄路線、道路橋、鉄道橋、すべての溶接接手を疑ってかからなければならなくなる。
私も、先の体験事例では、関係する溶接接手すべての箇所を死ぬほど苦労して、そして周囲の反対を押し切って調査し、対策をやり遂げた。過去も、現在も、将来も、不正は駄目だ! 技術者倫理をもう一度学んでほしい。
鈴木俊男さんを始めとして『田中豊』、私が教えを受けた黒部ダムの『当山道三』、『最上武雄』、いずれの偉大な専門技術者も、技術には厳しく、倫理面でも厳しく、そして自らにも当然厳しい。
しかし、その反面、先に挙げた私が教えを受けた偉大な技術者と対面して話すと、確かに上から目線の話し方ではあったが、真の姿は優しさに満ち溢れていた。
私が今回説明したメキシコシティ地下鉄高架橋崩落事故の真の原因、どこかの国の同様な話、そして、厳しいながらも技術の真を追い求めた鈴木俊男さんの話、何が現代社会に抜けているのか、もう一度考えてもらいたい。少なくとも私は、学びの姿勢は忘れないし、社会に何らかの貢献をしたいとの決意は揺るぐことはない。
(2021年6月1日掲載、次回は9月1日に掲載予定です)