-分かっていますか?何が問題なのか- 第57回 工学博士・鈴木俊男から学ぶこと ‐新たな構造形式を生み出す想像力と都市土木に必要不可欠な備え‐
これでよいのか専門技術者
(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏
2.3 葛西橋と突桁式吊補剛桁について
これから説明するゲルバー式橋の一種、突桁式吊補剛桁橋の葛西橋の側面図と平面図を図‐8に示す。
現地に行って遠目から見ても、ここに示した側面図を見ても、葛西橋・吊弦材の創り出す外観、ラインは美しい。私が勝手な解釈で、葛西橋上部工について説明するのは鈴木俊男さんに失礼であり、読者が誤解する可能性が高い。そこで、鈴木俊男さんが新たな構造形式にどのようにして取り組んだのか、鈴木俊男さんが学位を取得した論文から必要な部分を抜粋し、そのエキスを紹介することとした。
私が引用する学位論文とは、「突桁式吊補剛桁に関する研究」1962年(昭和37年)3月であり、葛西橋が竣工する約1年前に提出されている。論文の主査は、東京大学土木工学科第三講座の平井教授、第五講座の國分教授、第六講座の奥村教授、応用力学第二講座の最上教授の錚々たる4名である。
学位論文を査読し、評価した筆頭主査の平井敦教授の専門分野は、風洞実験(耐風構造)と長大橋であり、大学において、かの有名な田中豊先生が担当していた橋梁部門(橋梁研究室)の次の教授である。國分正胤教授は、土木学会のコンクリート分野の栄えある吉田賞の基、吉田徳次郎の教え子であり、業績はコンクリート標準示方書と専門分野の添加材である。第三番目の論文主査である奥村敏恵教授の専門分野は、鋼構造、特に高張力鋼と溶接であり、近代橋梁に必要な技術の多くに関与している。第4番目の論文主査である最上武雄教授の専門分野は、土の動力学、粒状体の力学及び地震と土質動力学である。私にとっての最上先生は、難解な数式と理論を黒板にスラスラと書くイメージが強く、温厚そうな外観と物静かな語りがとても印象的な教授であった。
ここに挙げた各教授の功績と専門分野は私の独断と偏見で記述したことから、多少の誤りがある可能性は拭えない。主査紹介における私の誤りは、本題に直接的に関係が無いので、読者の方々には見逃がしてもらいたい。それにしても、ここにあげた著名な教授陣が学位論文の主査陣とは、光栄であると同時に論文通過までの鈴木俊男さんの苦労は大変であったであろうと推測する。私が参考にした鈴木俊男さんの学位論文は、5編12章で構成されている。図‐9は、鈴木俊男さんから頂いた貴重な自筆サイン入りの請求論文要旨であるが、鈴木俊男さんが凡人の私に、何故貴重な論文要旨を下さったのか未だによく分からない。多分、「髙木、眼を覚ませ。もっと真面目に技術を勉強しろ!」と尻を叩いたのであろう。
葛西橋は、先にも示したが、ゲルバー式プレート・ガーダー橋であるが、突桁支間が長いことから、大きな負の支点曲げモーメントが発生する。発生した負の支点曲げモーメントを吊補剛部材(吊弦材)によって、主桁を一部補剛する形式をとっている。その場合、定着桁部分における主桁と吊引張部材(吊弦材)とは補剛始点で連結され、さらに中間においても吊弦材と支柱で連結されていることから、当該部分は内的不静定構造となる。定着桁部分は、以前紹介した日本国重要文化財・清州橋で採用した自碇式吊橋と類似している。葛西橋の突桁式吊補剛桁全体としては、吊補剛部材を有する定着桁部分と、これにヒンジによって連結される単純支持の吊桁部分から構成され、外的静定構造である。
葛西橋に類似した橋梁型式としては、外観は大きく異なっているがカンチレバー構造の鋼ゲルバー式トラス橋があげられる。カンチレバー構造を考案したのは、ドイツの技術者ハインリッヒ・ゲルバー(Johann Gottfried Heinrich Gerber(1832―1912))であり、ドイツ・ハスフルト市マイン河に、吊材を有する鋼ゲルバー式トラス橋を1867年に建設している。後先になって申し訳ないが、カンチレバー式をゲルバー式と呼ぶ理由は、既にお分かりと思うが、先に示すカンチレバー構造考案者の名前を取ったのである。
国内の吊材を有する鋼ゲルバー式トラス橋としては、1932年(昭和7年)12月に供用開始した3代目の戸田橋(写真‐3、4参照)がある。戸田橋は、隅田川の白鬚橋を設計した、著名な専門技術者、『増田淳』が設計している。
次の事例として、写真‐5に多摩川河口に架かっていた旧大師橋を示す。旧大師橋は、建設当時はカンチレバー式トラス橋としては東洋一と言われていた。戸田橋と大師橋を対比して見ると、橋梁外観へのこだわりが理解でき、鈴木俊男さんの葛西橋への思いが分かるような気がする。戸田橋、大師橋、そして葛西橋を順に見ると、隅田川に架かっていた鋼製トラスの明治から大正に渡る橋梁外観の流れと同様な感が浮かび、カンチレバー式トラス・大師橋、突桁式吊補剛桁・葛西橋、いずれも『カテナリー曲線』を求めていると私は感じた。
話を葛西橋に戻すとしよう。戸田橋などの吊材を有するゲルバー式トラス橋の考え方で設計した場合を図‐10に、葛西橋で採用した鈴木俊男さんの考え方で設計した場合を図‐11に示した。
両者の大きな差異は、赤色矢印の先、定着桁部分が中間支点上(柱部分)で連続構造となっているか否かにある。図‐10に示す従来型式の場合は、向かって左側、橋台側の定着桁に載荷される場合は、単純桁としてしか作用せず、向かって右側、突桁径間(吊桁側)に載荷される場合は支点曲げモーメントが生ぜず、突桁径間部分における桁自体の曲げ剛性の寄与する割合は小さく、支点曲げモーメントの存在効果は十分とは言えない。葛西橋の場合は、桁を吊部材で補剛するとともに、図‐11の中間に示すように、支点上において桁を連続させることによって支点曲げモーメントの影響を取り入れ、橋桁全体の曲げ剛性の増加と使用材料を減少させている。
また、葛西橋は、主桁がヒンジで分断されているので、ヒンジ部のたわみ量が大きくなるとたわみ線の折れ角が急となる。また、振動も大きくなり自動車交通に支障となるので、それらを抑えるために吊引張部材には、吊橋で通常使われるワイヤーロープではなく、主桁と同質の構造用鋼材(E=2.1✖︎106㎏/cm2)を使用することで、たわみ量等を小さくする工夫を施している。ここで、葛西橋の特徴を整理しよう。鈴木俊男さんが考案した突桁式吊補剛桁形式は、①端支点に負の反力が生じる。②比較的長支間に適用でき、地盤が強固でない箇所にも採用できる。③定着桁部分においては死荷重による曲モーメントが小さくなるので、死荷重が大である長支間の橋梁の場合には有利である。④吊り構造を採用することで、桁高を比較的小さくかつ一定にでき、外観上軽快な感じを得ることができる。⑤重心が下方にあるので横荷重に対して安定である。⑥片持ち式架設法が適用できる。以上の6点が特徴と考えた。
次に、鈴木俊男さんの技術への思い入れについて、直接お聞きしたことや何度も現地に通った葛西橋から考えてみた。これからは私の想像、「国内外を問わず、長大橋に採用される吊橋や斜張橋は他の技術者、研究者が行い、いずれそれなりの成果をあげるであろう。しかし、既に既知となっている技術にもチャレンジすることは多々あるはずである。私の取り組んだ成果が突桁式吊補剛桁形式である」以上が鈴木俊男さんに聞いたわけではないが、鈴木さん自らが敢えて取り組んだカンチレバー式突桁式吊補剛桁橋・葛西橋と考える。鈴木俊男さんは、葛西橋で多くの成果を残し、我々に技術探求の姿勢を現していると思う。田中豊先生の講義録を見ると、田中豊先生のカンチレバー式トラス橋における考え、増田淳氏の考え、そして鈴木俊男さんが話していたカンチレバー式の突桁式吊補剛桁に共通点を感じる。さて、話題を葛西橋の設計方法に移すとしよう。
葛西橋のような吊構造を持つゲルバー橋は吊橋に近く、構造計算が難解ではないのかと思われる方も多いと思うが、鈴木俊男さんは、生前、突桁式吊補剛桁の設計計算は比較的容易であると話していた。以前、ニューヨークの吊橋について紹介した際、弾性理論から撓度理論への流れについて話をしたが、正に葛西橋の設計のポイントがここにある。鈴木俊男さんは、葛西橋は難解な撓度理論ではなく、解法が容易な弾性理論で設計できるから簡単であるとの判断である。
しかし、私にとっては、容易という弾性理論や簡易計算法自体も難解であった。それは、葛西橋の鉄筋コンクリート床版が傷み、鋼床版に交換しようと考えた時にある。私は何とか葛西橋で使っている計算方法を理解しようとしたが、無駄な時間ばかり経過し、蟻地獄に嵌ったようになった。最終的に私は、鈴木俊男さんが書いた『簡易設計計算法』をコピーして持参し、何度も鈴木俊男さんにお聞きしたのであるから、情けない話である。結論としては、鈴木俊男さんと私の技術レベルは月とスッポンなのだ。ここまで、葛西橋の構造上の特徴と計算法について、私の勝手な解釈でポイントを説明した。ここで、本掲載も長くなったので第2回目はここらで終わりとし、次回以降に鈴木俊男さんが行った葛西橋の架橋にあたって行った種々な検証実験について説明することとする。ここで今回は終わり、では何とも物足りない読者が多いと思うので、最後に私からの、そして鈴木俊男さんからの提言を加えよう。
今回の最終章は、首都圏の大プロジェクトである東京外かく環状道路の整備とシールド工事で発生した陥没事故について説明し、最後に都市土木のあり方について提言する。