②北九州空港連絡橋(1995年当時)(図-2参照)
2006年に開港した北九州空港は、旧運輸省が所管する苅田沖土砂処分場(第一期)と新門司沖土砂処分場(第二期)を整備して建設された24時間運用可能な二種空港である。関西国産空港は、完全埋め立て(造成)により造成されたが、当該空港島は、関門航路の浚渫土や近隣の苅田港(航路)の浚渫土を廃棄する土砂処分場を拡張・整備したもので低コストで建設された。
【開港までの時系列】
1976年2月苅田沖土砂処分場(第一期)埋立申請、1977年7月着工、1985年12月新門司沖土砂処分場(第二期)計画承認、1991年1月漁業補償算定の為の調査合意、1993年8月第二期処分場・空港連絡橋等に係る漁業補償合意(共同漁業権分)、1994年2月漁業補償決着、1994年10月空港整備事業着工、1997年5月空港連絡橋着工、2006年3月開港。
新門司沖土砂処分場(第二期)及び空港連絡橋の共同漁業権に関する漁業補償は1994年2月に決着した。漁業調査開始から約3年である。その後、共同漁業権以外の区画漁業権(牡蠣や海苔の養殖)については、1995年までに決着した。
空港連絡橋の工事に関しては、県の空港対策課等の尽力により非常に順調にスタートさせることが出来た。当然の事ながら、工事中の騒音、振動、濁り等に関しては事前の予測と対策により解消出来た。
【裏話1】
福岡県での仕事は空港連絡橋に関する事業者間(運輸省・建設省・北九州市・苅田町)調整、海上工事調整(航行安全委員会等)、漁業関係者調整(17漁協による豊前海漁業組合長会)、工事計画策定、設計・施工等、である。1996年3月、博多中洲において豊前海組合長会全17人の参加と県のNO2(旧自治省出向)、空港調整担当部長、私(空港連絡橋現場責任者)等によりお疲れさん会が開かれた。
漁業補償費(共同漁業権・区画漁業権)は、空港関連(運輸省)と連絡橋関連(県・市・苅田町)でかなり大きな額となっている。その一方で、水産振興基金の積立、水産振興会館の建設等、が行われた。通常、漁業補償の合意に至るのは至難の業である。ビッグプロジェクトでは、本四架橋、関西国際空港が補償費算定の先例となっているのは確かである。今だから言えるが、水産振興基金の積立や水産振興会館の建設は、「流石、行政」と感心する次第である。この席での17人の組合長(猛者)と私との意見交換がその後の工事調整にうまく結びついたことは言うまでもない。
【裏話2】
漁業補償金(共同漁業権分)の配分はどうするのか。県の漁業補償を担当していた人に25年前に聞いたので紹介する。各漁業協同組合に配分された補償費は、組合員の人数により配分される。
ここで問題になるのが組合員の定義である。組合員資格は、水産業協同組合法(水協法第18条)及び各漁協の定款に記載されている。水協法18条では、「組合の地区内に住所を有し、かつ、90~120日で定款で定める日数を超えて漁業を営み又は従事する漁民」、と定められている。これに該当しないのが所謂「准組合員」である。つまり、兼業では正組合員の資格は得られない。補償金を受け取れるのは正組合員のみである。最近では県ごとに組合員の審査を厳密に行っているようである。空港連絡橋関連では、この配分によって揉めたようである。これに関しては、非常にシビアな話なので割愛する。
【裏話3】
牡蠣の養殖についてご存知だろうか。「山を豊かにすれば海が豊かになる」という。落葉広葉(ブナやナラ)樹林に降った雨が地下に浸透し、それがやがて川へ流れ、海に流れ込む。牡蠣のエサとなる植物プランクトンが十分に育つには鉄分が必要だ。その鉄分は、広葉樹の葉っぱが腐葉土になる際に出来る。牡蠣養殖で有名な広島や東北と同様、福岡県京都郡苅田町周辺は牡蠣養殖で有名だ。「豊前海の一粒牡蠣」という有名ブランドだ。
空港連絡橋周辺には牡蠣の区画漁業権が設定されており、濁水の発生には非常に注意を払った。特に、牡蠣の放卵期(5~8月)には濁りを決して出さないこと。このために濁水対策を徹底的に行った。これらについては、今後、記述する。