-分かっていますか?何が問題なのか- 第55回 市民が好きになる橋の外観、そして塗替えとライトアップ ‐住民のニーズに応える行政判断とは‐
これでよいのか専門技術者
(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏
5. 隅田川の夜間景観を創出する橋梁ライトアップ
隅田川に架かる橋梁のライトアップについて説明する前に、私とライトアップとの関わりあいについて話をしよう。昭和も終わりに近づき、バブル経済に突入した1980年代の後半、国内では夜間景観を彩るライトアップの話題が少しずつ登るようになった。そんな時代の1986年(昭和61年)12月、東京駅の丸の内駅舎がライトアップされ、NHKの全国放映ニュースにおいて大きく取り上げた。
私も、放映されたニュースを観て照明デザイナー・石井幹子さんの名前を知ることになった。ニュースが流れて数週間経た夕方、上司から声がかかった。「髙木さん、東京駅のライトアップに関わった石井幹子さん知っている? 私は面識ないけど、石井幹子さんに連絡とって、橋梁のライトアップについてご意見を聞いてきて貰いたいのだけど、お願いできる?」との話であった。
東京駅のライトアップはニュースで興味深く観たが、石井幹子さんとの面識が私にあるわけはない。難しい顔をする私に対し上司は、追い打ちをかけるように、「できれば、東京都でも橋梁ライトアップ出来ないかなあ、石井幹子さんと相談してきてよ! 墨田区選出の国会議員・柿沢先生からの依頼があったらしいのだ」であった。議員からの話で仕事上面識も全くない相手に会うことは良くあるが、いくら私でも無防備で行く時はなく、事前準備をしっかりするのが常道だ。ところがその時は上司から、「直ぐ行くように、出来れば今週中に」との追加指示があった。石井幹子さんとのパイプもなければ、紹介者もいない、さあ大変だ。当時はインターネット検索もできず、私は東京駅ライトアップ記事が掲載された新聞を隈なく調べる。紙面には、出身大学と北欧で照明デザインを学んだ程度の記述のみであった。私は仕方なく、五里霧中状態で石井幹子さんの事務所の電話を調べ、四ツ谷駅と市ヶ谷駅の中間にある小さな会社にお邪魔したのがスタートである。
事務所の扉を開け、椅子に座って待つこと一、二分であったと思うが、私には、数十分にも感じた。初めてお会いする石井幹子さんに自己紹介した後、「石井先生、柿澤弘治先生からのお話なのですが、少しお時間いただけますか?」と言った途端、石井さんのメガネの奥の瞳が輝き、厳しかった顔が一瞬和らいだ。この時を逃しては駄目だと思い私は、「石井先生、東京都も橋のライトアップを考えたいと思っているのですが、お考えを御聞かせ願いますか?」。このような流れで話は始まり、何とかライトアップへの道筋をつけることができたのは1時間も経過した後、大きな成果である。
その後石井先生との橋梁ライトアップの話はとんとん拍子に進み、『帝都の門』勝鬨橋の試験点灯へと業務は流れた。1988年(昭和63年)には何とか『隅田川橋梁景観照明調査』を発注、『石井幹子デザイン事務所』と委託契約を結び、隅田川初のライトアップ試験点灯となる。勝鬨橋のライトアップ実験は、報道機関にも公表したが、それよりも都庁内での評価がどうなるのか、大きな不安を抱える中での見切り発車状態であった。試験点灯当日は、2週間ほど前に設置した仮設の照明器具、高圧ナトリウムランプやハロゲン電球にカラー・フィルターなどを使っての演出である。石井さん曰くライトアップ試験は、日没時間から30分程度過ぎた頃が対象施設の周辺が程よく暗くなって、ライトアップ効果の確認が容易であるとの話であった。
そこで、関係者は勝鬨橋の麓にある、当時使っていなかった変電所(現在、橋の資料館として活用)で待つこと2時間、ようやくライトアップ試験点灯のスイッチが押された。10分ほど経過すると、ライトアップ試験に使っている仮設の高圧ナトリウムアンプが徐々に光量が増し、暗くなった夜景に勝鬨橋が浮かびがってきた。勝鬨橋ライトアップの仕掛け人である国会議員・柿澤弘治さんや地元の立石都議も同席し、ご満悦状態であった。課題と思っていた都庁内でも「ライトアップ良かった、勝鬨橋が蘇ったようだ・・・大成功」との評価である。私にとっても勝鬨橋試験点灯は、ライトアップとはどのような事か、何が実行するには必要かを知る良いきっかけとなった。
この話には、もう一つ、話をしなければならないことがある。勝鬨橋ライトアップ試験点灯は、実施日の2週間前頃から周辺の住民に対し、町会資料やビラ配布によって周知を図っていた。しかし、試験点灯が始まって30分経過したあたりから、勝鬨橋左岸側の上流に建つファミリーレストランのあるマンションの住人から苦情の嵐となった。試験点灯に使った投光器の光がダイレクトに、住人のベランダや部屋の中を照らし出す状態となったからである。見た目は最高であったし、事前準備も万全、ライトアップ試験点灯も成功裏に終わると思ったが、後始末が結構大変であった。社会のニーズと考え行政側が行う、今回のような施策を住民に周知し、理解を得ることは容易なことではない、と思った。それはそれとして、私が冷や汗もので1988年に行った勝鬨橋のライトアップ試験点灯が、これまで行われていた隅田川筋の橋梁ライトアップの原点なのである。
ここで、社会基盤施設のライトアップについて考えてみよう。私も何度もお世話になり、お叱りも受けた石井幹子さんはライトアップについて、「『陰翳』の美しさ、光と闇という対比の中で捉える欧米の照明とは違った、光から闇に至る中間領域の中にある、柔らかな『あかり』の存在である。この『あかり』は、日本文化の中で育ってきた独自のものであると、私は考えている。そして、この『あかり』を現在の暮しの中で生かしてゆくことが必要なのである、すなわち、都市スケールでいえば、調和のとれた優しい夜景をつくることであり、建築や住宅のスケールでいえば、『ほのかなあかり』を大切にすることである。」と話している。
ここでもう一度、社会基盤施設と景観について整理しよう。都市内の橋梁は、地域の交通、災害時の避難路、物資輸送路及び物流を支える重要な社会基盤施設である。それと同時に、地域の風景をかたちづくる『顔』、地域を代表する『ランドマーク』としての役割も担っている。そして、都市内の橋梁は、必然的に多くの人々の視線に晒され、かつ、近視点から眺められるため、景観に十分配慮して、新設、メンテナンス、補修・補強を行わなければならない。今回紹介したような地域住民に愛されている橋梁に手を入れる場合には、景観という都市文化の基盤にも多大な影響を及ぼすことから、『都市の持続的デザイン』という観点からも十分に検討を行い、最適な方法を選別し、修繕することが必要である。特に、首都東京のように、高速道路や鉄道、立体交差橋などの高架橋が数多くあるような地域においては、橋梁の形、色彩や照明器具など附属物の改変、ライトアップすることは、都市景観に与える影響は計り知れず、先に示すような措置を安易に進めることは慎まなければならない。併せて、既にある橋梁の夜間景観創出を目的としたライトアップは、世界的規模で温室効果ガス排出削減への取り組みが求められている昨今、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催を意識した『夜間における都市のイメージアップ・夜間空間の良好な環境づくり』を担う景観演出照明においても、環境への十分な配慮が必要である。ここで東京都が行ったライトアップ見直しについて説明しよう。
2020年3月末を目途に進められた隅田川橋梁群のライトアップの見直し方針は、『水辺の賑わい向上や新たな観光資源としての活用を図る』としている。ライトアップ見直しの橋梁は、新規整備は、上流から白鬚橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、佃大橋、築地大橋の6橋である。既存のライトアップを見直す橋梁は、上流から吾妻橋、清州橋、永代橋、勝鬨橋の4橋である。これまで整備済みの、新大橋、中央大橋を含めると夜間景観を創出するライトアップ橋梁は、12橋となる。今回ライトアップに採用する照明器具は、先に説明したように地球環境に配慮し、放熱量の少ないLED照明を主とした器具となっている。そして、隅田川に架かる主要橋梁の景観演出照明であるライトアップは、『良好な夜間環境づくり』に配慮し、これまで行っていた国の重要文化財である清州橋、永代橋、勝鬨橋等のライトアップを再評価し、景観上の課題を改善し、現況環境に対応した『隅田川の橋梁群』に、より大きな付加価値を付すこと狙っているのである。
ここで、ライトアップの見直しを行った事例を具体的に紹介しよう。第一は私の話題提供で何度も登場する自碇式吊橋・清洲橋である。今回のライトアップ見直しにおける景観への配慮としては、『清洲橋らしい優美さの表現』を主とし、環境への配慮『積極的な「CO2削減」への取り組み』の2点である。清州橋の構造的美しさを強調する、演出効果の向上を目的としたライトアップの見直し結果を図‐5に示す。これまでは、自碇式吊橋のメインであるはずの吊鎖に連続性が断たれた状態、分かり易く他に例えると『夜店の提灯』のごとく貧弱に夜景に映し出されているとの評価であった。今回のライトアップ見直しによって、図‐5でも明らかなように、ライトアップ時に吊鎖が構造部材として際立ったのが良く分かる。次に、清州橋と並ぶ著名橋、女性的な清州橋と対比される男性的な永代橋のライトアップについて説明しよう。
永代橋は、国内で初めて支間長が100mを超えた、重厚な外観との評価が高いタイドアーチ橋である。これまでも当然ライトアップをしていたが、個人的な感触としては先の清州橋ほどライトアップの評価は低くはない。その理由は、対比した図‐6でも明らかなように、橋面から上部に円弧を描く主構造を際立たせるライトアップデザインであったことから、荘厳さを感じ違和感はない。敢えて言わせてもらえば、全径間の高欄部分を点でつなぐ照明効果は、中央径間のアーチが橋脚部において連続性が断ち切れていたのが惜しい。今回のライトアップ見直しによって、側径間の路面下に位置する護岸に伸びる主構造が美しく伸び、そして柔らかく映し出すライトアップ効果は高く、美しい。石井幹子さんが良く話す『陰翳』、光から闇に至る中間領域の中にある、柔らかな『あかり』の存在を感じることができる。
最後に、隅田川下流域、月島と築地を結び、二代目の『帝都の門』であった勝鬨橋のライトアップ見直しを説明しよう。これまでのライトアップは、先にも細かく説明したように私が試験的ライトアップから関わっていたこともあり、文化庁への重要文化財申請時や可動橋部再跳開検討時に、何度も現地で見ている。個人的な感覚としては、隅田川河口部の夜景に映える2つのアーチがグリーン色に映え、路面がブルーの点で細かく結ばれていることから、それなりに存在価値を示していた。勝鬨橋のライトアップを始めて約30年が経過、ライトアップの器具も年々進歩し、点灯システムもICTを使って微妙なコントロールをも可能となっている。勝鬨橋だけではなく、国内外で行われている施設のライトアップも社会から注目され、夜間景観の評価も変わってきている。勝鬨橋の場合は、右岸の築地市場が無くなっただけではなく、勝鬨橋の直ぐ下流に、中央径間のアーチが際立つ築地大橋が架かったことによる影響は大きい。今回の勝鬨橋ライトアップの見直しは、これまでのグリーン色を下流の築地大橋に移し、図‐7に示すようにホワイト色のライトアップがメインとなったことにある。上部主構造と跳開機械室のある大きな橋脚がホワイト色に統一され、陰影のあるライトアップは、レトロ感があり、個人の好みもあるが私としてはより良くなったと感じている。
さて、行政が主導で行ってきた主要橋梁の色彩変更やライトアップ見直しに対する住民の評価がどうであるのか聞きたいものである。私としては、今回説明した、清州橋、永代橋、勝鬨橋のライトアップは、隅田川花火大会開催時や屋形船を利用される多くの方々から、高い評価を頂くこともあったが、特定の橋、清州橋については、有識者からことあるごとに苦言を呈される場面も多かったのは事実である。私は、今回のライトアップ見直しによって、隅田川の橋梁群、住民の貴重な財産に相応しい夜間景観に改善されたと考えている。読者の方々は、私の説明を読み現地を見て、如何にお考えであろうか。コロナ禍で難しいかもしれないが、是非、夕涼みに、そして憩いのひと時を過ごすために屋形船を利用され、ライトアップなどにご意見を頂きたい。以上で今回の話題提供、『市街地橋梁の外観のあり方、そして塗替えとライトアップ』を終わりとする。
6.さいごに
今回は、予定していた主題を変更して、樺島正義の橋梁に対する考え方、市街地橋梁に求められる外観、そして『2020年東京オリンピック・パラリンピック』開催に合わせるように進めてきた橋梁塗装の塗替えとライトアップの見直しについて説明した。
私としては、今回説明した隅田川に架かる橋梁に行った全ての工事は、住民のニーズを調べ、それを満たす形で行われ成果に結びついたと理解している。行政技術者として、住民のニーズを施策に反映させるのは当然の義務ではあるが、行政技術者の思い描く姿と実態には乖離があることが多い。今回の『2020年東京オリンピック・パラリンピック』開催に合わせるように企画した既設橋の塗替えも最後に説明したライトアップの見直しも、行政内部の特殊な事情で思い通り進まず、今回何とか修正した結果であるような嫌な匂いがする。行政側で働いてきた技術者として、私は敢えてここで言おう。行政には、『公平・公正』が全てであるとの考え方が主であるのは分かるが本当にそれで良いのかと、私個人過去を振り返って疑問を抱いている。例えば、契約制度における機会均等、地元中小企業優先などなど、私はもう少し技術者の意図する狙いを叶えられる制度設計が必要なのでは、と思っている。組織としてそろそろ行政内部の常識を変え、社会の流れを正しく捉えた施策が、スムーズに行えるよう柔軟なシステムづくりを行うべきではないのか。それと同時に私は、橋梁の設計に関与している方々に樺島正義が考えたコンサルタント技術者の理想像をもう一度読み返していただき、該当するセクションで働く後ろ向きの技術者が、市民が好きになる橋づくりに前向きに奮起することを期待したい。
本稿の最後に、世界中に広がり、終わりが全く見えない新型コロナウィルス感染拡大が原因で、『2020年東京オリンピック・パラリンピック』の開催が、2021年7月に延期が決定されてから5カ月が経過した。私としては、来年に延期されたオリンピック・パラリンピックが無事東京で開催され、世界各地から多くの人々が日本に、特に首都東京に訪れることを祈るばかりである。まさかとは思うが、『2020年東京オリンピック・パラリンピック』が中止となると、1940年と2020年、2度の中止が日本となり、我が国に暗雲が漂うことになる。憲政史上最長となった安倍晋三政権があっけなく幕引きとなったがそれとは関係なく、小池知事・東京都と新たな政権は多くの国民の願いを叶え、観客を予定通り入れ、歓喜の声に満ち溢れた『2020年東京オリンピック・パラリンピック』を盛大に開催して貰いたい。その時は、今回私が紹介した隅田川に架かる橋梁群を昼夜に数多くの人々が見て、楽しみ、コロナ禍でイメージダウンしている日本の印象を好転させ、前回の東京オリンピックを超える大きな評価となることを私は願ってやまない。
(2020年9月1日掲載、次は12月1日掲載予定です)