(5)福岡県のプロジェクトと西宮大橋と裏話
震災から5か月後、多々羅大橋の設計もほぼ終わり、主塔、主桁の工場製作もスタート。福岡県の「新北九州空港連絡橋」建設室が発足した。満を持して本四公団から福岡県に出向。連絡橋のプロジェクトリーダーとなる。建設地点は平均水深が5mほど。海底深くヘドロが堆積し支持層となる岩盤は深い。締まった硬質な洪積層は40m以深。仮締切兼用タイプの鋼管矢板井筒基礎が最適な地盤である。しかし、鋼管矢板井筒基礎の弱点である鋼管矢板同志を結合するジャンクション(継手)を含め基礎の健全性が明確でない限り採用は難しい、西宮大橋の基礎が健全であると分かれば採用する、と当時の鋼管杭協会の西澤氏(N社)に説明した。その後、兵庫県尼崎港管理事務所の方で基礎の調査が為された。調査内容は、①外観目視(頂版コンクリートクラック調査、鋼管矢板継手部調査)、②変形計測(基礎平面形状、鋼管矢板傾斜)、③腐食調査、等である。既設鋼管矢板基礎の周囲を締め切り調査が行われた(図-5参照)。県の港湾課(及び尼崎港管理事務所)、鋼管杭協会からの要請に応じて調査に参加した。ジャンクション、頂版及び鋼管矢板は一部腐食があるものの健全であった。西宮大橋の鋼管矢板基礎が健全であったことを受け、新北九州空港連絡橋の基礎形式を同基礎形式に決定した。その後、国内、国外において積極的に同基礎を推奨していくきっかけとなった。
真面目な話は置いといて、裏話を一つ。今から25年も前の事なので時効成立ということで。北九州空港連絡橋は海上橋2.2km(写真-4参照)、沖積層が深く、支持層となる洪積層までが40m以上と深い。このため、西宮大橋での地震時の健全性が確認できたことで「仮締切兼用型鋼管矢板井筒基礎」の採用に踏み切ったのは前段の通りである。鋼管矢板の数量は約20,000t。これを巡って営業攻撃が活発に。鋼管杭メーカーは、NS社、S社、N社、K社、KU社の5社である。大手ミルメーカーのNSとS社が大半を占め、残りを3社で分け合っているという構図が出来上がっていた。何とか西宮大橋で率先して鋼管矢板基礎の調査をして頂いたK社に配分を多くするために技術提案をお願いした。頂版結合方式の提案である。細かいことを書くのは今後の新北九州空港連絡橋編で書くことにする。この結果、K社の採用が増えた。国からのOBさんを同行されたS社は、「何でK社だけが上がるのか」、必死にNS社と私に食いついたが「何も技術支援をしない会社は不要」と突っぱねた。こういうこともあって、技術提案が出来る会社はきちんと評価し、採用するのが私の一般的な仕事のやりかたになった。
(6)多々羅大橋の主桁鋼材を西宮港大橋のアプローチ橋に転用
平成7年2月、本四公団向島工事事務所の工事長代理をしている私のところにK工業の方が挨拶に来られた。震災で被災した5号湾岸線の早期復旧のために多々羅大橋の鋼材を回して頂けないでしょうか、と。テレビや新聞でよく目にした西宮港大橋の大阪よりの単純鋼床版桁の再建の為である(写真-5参照)。
丁度、工事長が不在であり、急遽、第三建設局長に相談し即OKを頂いた。この時期は、多々羅大橋全体工程上のクリティカルパスとなる塔付き主桁大ブロックの製作に着手した時期であった。しかしながら、阪神高速の早期復旧に協力しようという雰囲気が私以外にも強く感じられた時期であった。多々羅大橋の本州側塔付き主桁大ブロックの製作はK社の工場で行われていたこと、また、落橋した桁も同工場で造られたことも幸いした。
裏話を一つ。縁あって、平成18年4月に阪神高速道路の本社に出向した。技術部の歓迎会の席での一コマ。当時のI技術管理室長(部長)(現在、M社社長)、N技術企画課長(現在、阪神高速道路技術センター理事長)と震災復旧の話題に。「西宮港大橋アプローチ橋の主桁に多々羅大橋の主桁鋼材を回したのは私が奮闘しましたよ」と言ったら、「K社からは自分達で手配してやったと言っていたと」。唖然としました。その後、神戸管理部の調査設計課長として西宮港大橋も担当することになるとは縁とは恐ろしいものだ。
(7)最後に
震災により数えきれないほどのものを失った。生命であり、インフラであり、財産であり。一方で新しく手に入れたものもある。都市再生技術であり、インフラ再生技術であり、その他多数ある。鋼管矢板井筒基礎の地震時に対する健全性も得られた成果である。本基礎工法は、河川の多い東南アジアで急速に施工数量が増えており、インドネシアからも技術指導の要請が私の所に来ている。まさに、現場力の賜物である。
本記事を書き終えたのは1月16日。明日が震災の日である。
最後に、今年一年よろしくお願いします。
(2020年2月1日掲載、次回は3月1日に掲載予定です)