-分かっていますか?何が問題なのか- 第51回 新たな構造、形式にチャレンジするには ‐過去に学び、現代に活かすポイント‐
これでよいのか専門技術者
(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏
2.新たな構造、形式にチャレンジするには
私がコンクリート構造、特に私が不勉強で理解が足らなかったプレストレストコンクリートについて、基本的な原理や先進的な技術をお聞きしていた先生に、横浜国立大学名誉教授の池田尚治先生、日本大学理工学部名誉教授の山崎淳先生のお二方がいる。現在私が、非常勤講師をさせていただいている大学の一つ、日本大学理工学部で数多くの業績を残されている山崎先生が話されていた、橋梁について興味深い話をしよう。橋の原理とそれを学生に理解させる実験の話しである。
山崎先生は、大学で学生を相手に橋梁構造の基本について話しをする際、「橋が落ちない力学原理は何か?」と問いかけ、図‐4と同様なポンチ絵を黒板に書いて説明している。その際、「橋が落ちない原理は、上向き力で、下向きに作用する重さをバランスさせる事である」と講義していたと聞いている。この言葉と図‐4を対比して考えてみると、橋梁の基本的な原理がとても分かり易い。図‐4に示す話は、橋梁の基本、単純梁についてであるが、その後種々な橋梁形式について話しをされ、橋の中でも外観が美しく、力学的に特徴のある自碇式吊橋の名橋“清洲橋”を事例の話に移る。自碇式吊橋は、読者の皆さんもお分かりのように、補剛桁の死荷重と活荷重を吊構造で上向きに支えると同時にケーブルの張力を補剛桁に持たせることから補剛桁に水平力が作用し、それぞれに作用している力を上手くバランスをとる構造原理である。
写真‐1は、山崎先生の指導を受けた研究室の学生(飯塚智浩氏)が卒業研究で空き缶を使って自定式吊橋の構造を再現した原理モデルである。飲み物の空き缶を使って自碇式吊橋を造ることは、先の構造原理を理解しないと自立することは難しく、完成しない。ケーブルの張力を空き缶に軸力のように戻す考えで、プレストレスの基本、両手で牌にバランスよく力を作用させ、麻雀の牌を持ち上げるのと同様で、プレストレスコンクリートを知る際の基本ではある。
しかし、写真‐1のように、空き缶が落ちないように、縮小モデルを作り上げるのは簡単なようで結構難しい。山崎先生は、常にオリジナルを重視し、「なるべく自分で、感じ、考える。マネすることのないように」と学生にアイディアの重要性を説いている。自碇式吊橋の原理を分かり易く説いたのが、図‐5であり、これを学生に示して学生自らがその構造を理解し、先の写真‐1の原理模型を自力で製作したのだ。実に素晴らしい、構造基本原理を理解したその先のアイディア出しの研究ではないか。次に、プレストレストコンクリート自碇式吊橋の縮小モデル橋を作らせ、構造的な特徴を作用している力を変えて確認させ、最終的にどこの力を減少させるとどの個所が破壊し、崩落するかを実験室で再現させている。
写真‐2が山崎研究室で先生指導の下に製作されたプレストレストコンクリート自碇式吊橋モデル橋である。主塔はコンクリート、デッキにプレストレスを作用させたコンクリート、ウェブに鋼板(私は波型鋼板と思っていたが、山崎先生確認したら違っていた)を使った、橋長74.00mの完成度の高い縮小モデルである。当然、自碇式であることから写真に示す青い矢印の方向に水平力・プレストレスを作用させている。
この縮小モデルを図解したものが、図‐6であるが、構造と破壊形態を確認するために必要な箇所に変位計やひずみ計等が設置されている。最終的には、製作したモデル橋の何処の力を減らすとどのような破壊形態となるかを学ばせ、自分の創造していたイメージとの差異を学生に確認をさせている。自碇式吊橋の破壊過程や原理を理解することは、実験を行った学生にとって一生役立つに違いないと思い、羨ましく感じたことを私は忘れない。今回の話題提供に関連して次回に話そうと思っているが、私自身も研究室で『光弾性応力凍結法』によって、橋梁の主要部材における構造詳細について実験・解析を行ったが、今考えてみると、山崎先生が指導していた実験レベルとはけた違いに貧弱であった。私が公にこの発言をすると、当時の私の指導教官や先の山崎先生に「そもそも、髙木君自身の実験研究に対する取り組み姿勢が悪いからだ!」と怒られる気もするが。写真‐3が研究室で製作した自碇式吊橋モデル橋が破壊に至った最終形である。読者の皆さんも、このような破壊形態はどうするとなるのか想像出来ていましたか?自分の頭の中で考えている崩落状況と、目の前の破壊形態との差異が、ものすごく良く分かる実験であると私は思う。学生の想像力を養う山崎先生の指導力には、何時も感嘆する。
ここからが今回の話題提供のメイン、新たな構造の橋梁を架けるにはとなる。話しは、ベルギーのオースト=フランデレン州(フランダース地方)にある第三の都市Gent(ヘント市、古くはGaunt、ゲント市とも言う)の道路橋についてである。ヘント市は、1913年(大正2年)にヘント万国博覧会も開催され、金沢市と姉妹都市協定している花の都、美しい水辺空間とそれらを跨ぐ可動橋が多い古き良き町である。
図‐7にベルギー・ヘント市の位置とこれか話す2橋の道路橋がある地点を丸印で示した。図中の大きな丸が主要幹線道路に架かる橋、小さな丸が生活道路に架かる橋の位置である。今回の話は、先に話した山崎先生の研究室で行われた実験にも関係する、ヘント市の南を流れるリングヴァールトを跨ぐフンデルヘムセステーン通りのPC自碇式吊橋(写真‐4参照)の話しである。この橋は、山崎先生の知人が関係していると聞いたが定かではない。私の個人的な洞察で申し訳ないが、橋梁技術者は、構造計算や構造実験等で新たに採用する形式に自信があったとしても、その形式を直ぐに主要幹線道路に採用するような考えは少なく、石橋を叩くように他に実験橋を架ける。ここで紹介する事例も、橋梁技術者の石橋を叩く姿勢の良き事例であると思う。
石橋を叩く考え方を裏付けるのが写真-5である。これは、写真‐4の幹線道路橋の歩道から上流側を見た状況であるが、目線の先に微かに同一構造のような小さな橋が確認できる。この橋は、先の大型PC自碇式吊橋の上流側に位置し、当該橋の歩道から微かに見えるが、当該橋のミニチュア版?実験橋?として架設された、地元の生活道路であるフラーテル通りに架かる道路橋である。
写真‐6に実験橋とも思えるPC自碇式吊橋を示したが、当該橋は主塔高さが低いために進入路に高さ制限の門型柱が建っている。写真-4と写真-6を見比べて貰いたい。ケーブルの色が赤色と青色の差異はあるが、基本的な外観はほぼ同じである。
写真-7は、フラーテル通りの道路橋を別の角度から見た写真であるが、山崎先生の研究室で作った実験橋と雰囲気が同じと私は思え、何だかとても親近感が湧いた。
写真-8は、先の幹線道路に架かるPC自碇式吊橋の鳥瞰写真と路面の状況である。私は考えるに、先の『トーマス・アルバ・エジソン』とは大きく違い土木技術者は、石橋を叩いて渡る慎重さが売り物で、臆病とも思える慎重さがあるからこそ、土木技術者が技術を駆使して造り、保全する社会基盤施設は、安全性や耐久性に優れるのだと言いたい。『トーマス・アルバ・エジソン』が生きていれば、「それは違うだろう!はき違えている」と怒られるかもしれないが。
写真‐9は、今回の話題提供の引き金となった隅田川に架かる名橋、国の重要文化財の清洲橋である。清洲橋は、鋼の自碇式吊橋であるが、先のPC自碇式吊橋と材料こそ違うが同一構造であり、材料こそ違うが基本的構造原理は同じである事を理解して頂くために、敢えてここで載せた。次回は、この清洲橋に関連して、米国のペンシルバニア州・ピッツバークの鋼自碇式吊橋三姉妹(女性のような優美な外観、だから三姉妹と呼ぶ)の話しと、荒川下流に架かる葛西橋の話しをしよう。次回の話しも土木技術者の技術力と慎重論の続きである乞うご期待。
最後は、私が体験したこの数か月内の出来事から話す、何時も耳にタコができるお小言である。私の小言を聞きたくない人は、これ以降見ない方が良いので飛ばして貰いたい。