-分かっていますか?何が問題なのか- ㊹高齢橋梁の性能と健全度推移について(その1)‐将来に残すべき著名橋になすべきことは‐
これでよいのか専門技術者
(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏
2.技術基準の変遷と健全度の推移
まずは、今回の分析に使用した道路橋の定期点検・診断について目的を整理してみた。定期点検は、橋梁全体およびその構成部材の機能および安全性や使用性を低下させないように点検計画に基づいて実施し、橋梁の変状内容を正しく把握し、機能の保全を図ることにある。定期点検は、構造物全体としての耐久性・安全性について適切に各部材を調べ、多角的視点から健全度判定を行い、機能を十分に満しているかどうか、あるいは、寿命が当初の想定よりも短くなることはないか検討することにある。
定期点検による供用している道路橋の健全度評価・診断は、橋梁事業の基礎となる内容であることから、点検と健全度の評価・診断については、十分な調査と検討が必要である。また、各道路橋の診断にあたっては、構造物の全体を考え、変状が橋梁の安全性、使用性および耐久性等にどの程度影響するかを客観的な考えで、正しく診断することが要求されている。
現行の定期点検要領は、道路橋を構成する部材別に要素番号に区分けし、近接目視によって点検を行い、要求性能の保有程度や現行の技術基準との差異を定量的に診断することにある。しかし、実務として外業の点検を行い、内業で評価・診断するのは個別技術者の技術力、経験、知見に頼らざるを得ず、すべての橋梁、部材の点検・診断が均一であるとは絶対言えない。それが、許容できる誤差範囲であれば問題はないが、実態はそうではないと私は考えている。今回分析した結果を見ても、私がここで指摘した許容以上の誤差があるのでは、と感じたのが本音である。それを頭の片隅において、これからの説明を読んでほしい。
1)明治から戦前までの健全度推移の分析
15年間3度行った定期点検結果の適用基準別に分析した結果を説明しよう。東京都の管理橋にも、明治年間に建設された道路橋がある。資料によれば、1900年代の初期に建設された2橋である。この2橋の設計基準は、先に示した『国県道の築造標準』によると記述されているが、図-1で分かるように2橋の健全度は、Cランク(やや注意)とDランク(注意)である。
この中で、DランクからBランク、そしてDランクとなっている橋梁があるが、これはおかしいと感じた。その理由は、修繕もしないのに、Dランク(注意)からBランク(ほぼ健全)、そして3回目の点検・診断で元のDランクに戻ることがあるのだろうか。なお、いずれも鉄筋コンクリート構造であるからか程度は良く、支間長も短く、規模も小さいので現在も現役橋として使われている。
次の設計基準(?)大正8年の道路法が制定された時期にあたる橋梁は9橋あり、これも健全度がB(ほぼ健全)、C(やや注意)、D(注意)のランクである。図-2に分析結果を示す。最終(推移分析に使った3回目の点検・診断結果)の健全度ランクがBランクは1橋、Cランクは4橋、Dランクは3橋となっている。
当初(1回目の点検・診断結果)、中間(2回目の点検・診断結果)の定期点検・診断において、Dランク評価は1橋であった。先の分析結果でも述べたが、2ランク飛ばしの橋梁(グラフ中の赤色、B→A→C)が2橋あった。Bランク(ほぼ健全)がAランク(健全)となることは、ある程度理解ができる。しかし、Aランクが2ランク落ちるCランク(やや注意)に5年で変化するとは考え難い。当該年代の橋梁は、支間長も短く、点検環境も好ましくないことからかもしれないが、診断結果に大きな疑問を感じた。
本格的な設計基準『道路構造に関する細則案』を適用した年代となると、一気に建設数が増加したこともあり、現役橋として使われている橋梁数は3桁になり、116橋である。この中には、『道路構造に関する細則案』以外に復興局が策定した『復興局街路橋設計示様書』による橋が多数を占めているのが特徴である。図-3に分析した結果をグラフに示す。
当該グラフ内のその他とは、表示している10例以外のパーセンテージが低い結果を指している。当該年代の橋梁で、Eランク(危険)と判定された橋梁数は1橋あったが、その後改善措置を講じ、改善されている。最終の健全度ランクがBランクの橋梁は25橋、Cランク橋梁は38橋、Dランク橋梁は16橋であった。この結果から概ねBランク(ほぼ健全)グループが33%、Cランク(やや注意)グループが23%、対象橋梁の約半数が大きな問題を抱えていない橋梁であると判断した。
先の年代分類で問題とした2ランク飛ばしは3橋であるが、CランクからDランクに推移、最終的にBランク評価となっている。これにも違和感を覚えた。Dランク(注意)の要対策橋梁は、14%と高齢化の進む割には少ない結果であった。この年代の橋梁は、後に説明する高齢化橋梁の長寿命化が可能かの重要なカギを握るグループである。当初の想定以上に健全度状態が良く、これは適用している技術基準(復興局の技術基準)が優れていた効果とも考えられる。
次に、示方書の原点『鋼道路橋設計示方書案』の年代となると、第二次世界大戦が始まり、日本政府の「金製品回収・強制買い上げ」や「国民徴用令」公布など、まさに戦時体制に突入した時代でもある。当然道路橋の建設数も減少し、現存数は52橋と前年代の44.8%に落ち込む。図-4に当該年代の分析結果を示したが、本グラフもグラフが分かりやすいように4%以上、上位12位までを示し、残りがその他に分類した18橋34%である。最終の健全度ランクがAランク橋梁は、18橋、Bランク橋梁は10橋、Cランク橋梁は2橋、Dランク橋梁は4橋である。
傾向としては、技術基準整備の効果か、Aランク(健全)グループが12橋、Bランクグループが7橋と対象の36.5%となっている。また、Eランク評価は0であったが、Dランクは4橋である。ここまでが明治年間から第二次世界大戦までの間に建設された対象道路橋の健全度推移を分析した結果である。ここで、全体文章量を考え、切りが良いので健全度推移分析を中断し、私が国内初の中長期計画策定時に悩みぬいた高齢化する震災復興橋梁の長寿命化が可能かの説明に移るとしよう。
今回は、以前から私自身も興味深く設計図書を見て驚いた、永代橋下部工の測量結果と長寿命化が可能と判断した永代橋の載荷試験による実測たわみ量について概要を説明する。