-分かっていますか?何が問題なのか- ㉗遊具が壊れ子供が落ちた! 管理責任を問われるのか? その1
これでよいのか専門技術者
(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏
はじめに
この世の中に起こる事故とは予想もしない時に、場所で、そして考えられないような状況下で起こるものだ。2017年6月10日、東名高速道路の愛知県新城PA付近の事故報道のテレビ画像を見てふとそう思った。
事故は下り勾配の緩やかな右カーブを走行中の乗用車が何らかの原因で左側側帯のガードレールに接触、その反動で反対車線方向に右横断、中央分離帯のガードレールで止まらずジャンプして反対車線に。ジャンプした乗用車は、不幸にも上り線を走行してきた大型バスに覆いかぶさるように正面衝突し、大破する大事故となった。遺族の方の悲しみはいかほどかと思いもした。
事故後、所轄警察署や道路管理者は、この事故がどのような原因で起こったのかを多方面から調査しているとの報道がなされたので、いずれ原因は明らかになるであろう。事故後の数多い報道の中に、中央分離帯を飛び越えて逆車線に入った原因が中央分離帯の盛り土構造にあるとのアナウンスが流れた時には、ネクスコ中日本の技術担当者は夜を徹して道路構造が現行の基準に適合しているかの調査にあたっているであろうし、今回の事故を起こした箇所と同様な構造が管理区域内の他にあるのかを関係者総動員であたっている状況が目に浮かぶようである。
一般的に、道路を新たに建設する場合は、道路線形、附属物、道路構造、路面照度や排水機能などを設計・積算し、施工した後に交通管理者立ち合いのもとで供用開始が可能かどうか、通行上不都合な点がないかを何度も実査協議することになる。その結果、道路を建設管理する側は、事故が起こる可能性があると交通管理者から指摘された個所は、防護施設の設置、滑り止め舗装やゼブラゾーンを引くなど数多くの追加措置を行い、ようやく供用開始にこぎつける場合がほとんどである。
道路を建設し管理する側としては、完璧な道路にしたつもりであっても、どこかに盲点はあるものだ。今回の場合がそれにあたるかどうかは不明であるが、関係者の心痛は計り知れない。なぜ私がこの事故に必要以上に関心を持ったのかは個人的な理由もあった。今から50年も前の話、それも今回の事故が起こった新城市に接する豊橋市で私が関係した重大事があった。それは、私が尊敬していた従兄の交通事故である。
今回の事故で思い出した従兄は、事故原因となった人と同じ男性医師であり、それまで全く考えたこともなかった交通事故によって突然亡くなってしまった。私の従兄は、当時医学部勤務医から総合病院に移ったばかりで整形外科医として忙しく、その日も夜勤が明けた早朝に自宅に戻る時、幹線道路に出る信号機付きの交差点で大型ダンプが側面に激突し、即死したのだ。
私はまだ中学生であったが、私の父と従兄をわが子のように可愛がっていた母、そして他の従兄達と葬儀の段取りを行うと同時に、事故処理の現場立ち合いを地元の警察署員と行った。従兄の両親は、最愛の長男を亡くしたショックで話すこともできず、我々にその役が回ってきたのだ。
事故現場の交差点は、片側2車線の坂路で線形はかなりきつい曲線内にあり、坂の上から下ってきた大型ダンプが信号無視し、青信号で交差点に入った従兄の車に衝突したと担当警察署員から説明を受けた。大型ダンプの運転手は、内曲線側で坂路であったからか、交差点に車両が入っていることを全く認識せずに、気がついた時には従兄の車に衝突していたとの説明であった。もしも、当該交差点が直線で平面であれば、交差点内の車両を認識する可能性は高く、今回の事故は起こらなかったかもしれないと先の警察官が話をした時には、私も母も悔しくて涙が止まらなかった。
亡くなった従兄は、私の家によく泊まっては幼い私に社会思想について多く語り、歩く時には訳のわからない歌を声高らかに歌っていた(変わり者と言えばそれまでだが、周囲の人に関係なく道路を歩く時にも歌っていた)。その姿は、今でも私の脳裏に焼き付いていて離れることはない。私が尊敬していた従兄の葬儀がすべて終わった翌日、再度事故現場を親族全員で見に行った。大型ダンプが走行してきた方向から歩いて下っている時、私よりかなり年上である従姉が、「確かに交差点は見えにくいけど、……ダンプの運ちゃんがちょっとでも早く気がつきブレーキを掛けていれば、正之(従兄の名前)は助かったのにな……」とため息交じりで口にした時には、私は何ともやるせない気持ちで一杯になった。
私は道路に関係する仕事に長い間従事しているが、利用者の安全確保について何時も自問自答している。交通事故は、予想もしない時に起こるが、交通事故によって受ける被害者の障害程度を軽減する種々な対策を十分に行うことによって、死亡事故が傷害事故で済む可能性は高い。
道路や橋梁に施す安全対策は予想を超える規模と内容になることが多い。しかし、すべてが完璧となることはまずない。今思えば、私の記憶からなくなることのない先の事故は、道路線形改良や視野確保対策を事故が起こった現場に行っていれば、死亡事故は起きなかったかもしれない。
技術者として、住民や利用者のニーズを知り、我々が持てるシーズを駆使、もしくは開発して、それらに応えることこそ技術者の務めであると常日頃から思っている。昨今の国内外に目を向けると、高齢者ドライバーの急増を背景に、事故発生状態を予測し、リスクを最小限とするような車両やシステムの開発が急務である。今、国内外の自動車メーカーにおいて行われている自動運転車両、関連パーツの開発や車両運転装置を支えるICTメーカーの高度技術に関する資料や報道を見聞きすると、夢であった自動運転システム実装はここ数年内との気がする。
道路構造物を建設・管理する側の技術開発も忘れてはならない。道路がセンサーとして機能するような舗装材、ハイブリッド車に電気を自動充電させる装置が埋め込まれた中央分離帯や防護柵、自然災害発生時に道路を走行している車両を安全に停止させる遮断停止装置など私の夢は膨らむ。今描いているこのような風景が正夢となる日も近いであろう。
さて、私の個人的な話はこれくらいにして、思いもかけない事故に関する話を二つしよう。一つ目の話は、河川を跨ぐ長大橋の取り付け部、橋梁から護岸下に降りる目的で造られている取り付け坂路の話である。