道路構造物ジャーナルNET

-分かってますか?何が問題なのか- ⑤橋と景観

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター 
上席研究員

髙木 千太郎

公開日:2015.09.01

戦前の隅田川架橋の特別な工夫

2.橋の姿を決めるのはだれか
 橋を計画する、架け替えるとなると必ず先に示した橋と景観を考えることになる。  東京の隅田川に架かる多くの橋は、橋の博物館と呼ばれ貴重な文化的遺産であるとの評価は高い。高い評価を受ける原点は、震災復興事業で架設された橋にある。橋の姿を決定づける第一は、橋の側面から見る路面(橋面)の線であり、錦帯橋のような昔の木橋や石橋でない限り水平な直線が基準線となっている。また、縦の線となる橋脚は中心部から左右対称に設置されることが多く、奇数スパンが多い。


写真-2 隅田川・厩橋

 このような理由から震災復興事業で架けられた橋は、3径間で主構造と同様に河川水面を同一の長さで割り、優美な曲線ラインが構造体の中で連続するように工夫されている。これは、河口部に架けられた勝鬨橋も同様で、中央径間部の跳開部桁端の処理と側径間のアーチ部への流れを見ると設計者安宅氏の特別な工夫が感じられる名橋である。


写真-3 隅田川・勝鬨橋

戦後の隅田川架橋 先人の意図を汲む必要があったのではないか

 ここで問題となるのは、戦後に架けられた隅田川の橋である。具体的には、新大橋である。


写真-4 隅田川支川・相生橋

 架け替える前の橋は、3径間のプラットトラス橋であった。それが2径間の斜張橋に架け替えられた。170m程度の川幅を跨ぐのに斜張橋が本当に必要であったのであろうか?私の師事する先輩であるS氏が構造形式と姿を決定したことであるから同類と言われれば仕方がないが、「橋の博物館」とする考えを進める考えの一つは良いが、変則2径間の斜張橋・新大橋は今でも私は失敗作ではないのかと思う。
 また、隅田川の支流に架かる相生橋も同様である。震災復興事業で架けられたのはスルーのガーダー橋で、路面から隅田川の水辺が見通せる橋であった。相生橋の架け替えも橋本体の腐食や下部構造に損傷が発生したから止むを得なかったのは事実であるが、復興局田中豊氏(後の東京大学教授)の考えは、主構造に部材が輻輳して見通しが悪くなるトラス構造の採用を極力嫌ったのは有名な話である。架け替え当初案は、トラス構造でなく水辺を見通せる構造形式であったが、当時の構造形式に関する決定権を持っていた技術者の個人的な好みで提示案がひっくり返され、現在河口に架かる斜橋のトラス橋となった。
 先の新大橋、ここに示す相生橋、主塔が兜を意識する形状とした斜張橋の中央大橋、東京の顔で毎年夏には花火大会が開催され都民の憩いである隅田川を「橋の博物館」と言わせるからには先人の意図をもう少し汲む必要があったのではないだろうか。近年、国内の多くの箇所に新たな構造形式の橋、周囲の景色と全く調和しないモニュメントを持った橋が架かるのを見て、落胆する機会が多い。橋は、住民の貴重な資産であり、行政に携わる行政技術者の好みで架けるものではない。大学で機会があって教鞭をとっているが構造物の景観、特に橋の景観に関係する講義に多くの学生が集まる現状を見て、本来の橋の姿を正しく考えることが出来る技術者の育成と住民のニーズとは何かを正しく理解する行政技術者を育てることが重要であると言いたい。

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