最近、数多くの橋に接する機会が増え、専門技術者から離れた第三者として橋を見て感ずることがある。周囲の景色にぴったりと当て嵌まる橋、浮き出たように違和感のある橋、造作に細かな配慮があるもののそれが生きない橋など多種多様である。橋は潜在的な魅力を有する構造物でもあることから、周囲の景観にマッチングした橋を架けると称賛を受けることになるが、逆の面で、相応しくない場合は朽ち果てるまで多くの人から非難の嵐ともなる恐ろしい構造物でもある。橋は建設するのに多額の費用と時間を要し、供用を開始すると数十年から百年を超えて使われることが多い。
写真-1 屋根つきの木橋
架けられる橋には、設計者の考えによって姿形と材質、色が決まり、多くの人々に認識される橋と全く存在が感じられない橋に分かれることになる。市街地の連続する高架構造の橋は、景観上嫌われ、川や海を跨ぐ長大橋はランドマークとなると好まれ景観専門家の出番となり、橋のある景観が議論の対象となる。 ここに示す橋は、木造の屋根付き橋であるが、何か心の安らぐ姿である。残念なのは取付け部が美観を失うガードレールであることがあげられる。今回は、橋と景観、架設後の取り扱いについて、考えてみることとする。
橋と景観に関する基本的な3手法
1.橋と景観
橋と景観を考えるには、基本的に3つの手法がある。一つ目は、周囲の景観の中心的な存在とする強調的手法、二つ目は、周囲の景観と一体化する調和的手法、三つ目は、橋の存在を全く感じさせない消去的手法である。ここで具体的に各手法のポイントを説明する。
1)強調的手法
強調的手法は、橋の存在を明確にし、橋によって新たな景観づくりを行う手法である。強調的手法によって橋の姿を決めるには、橋の桁下、橋の側面、斜め上方向など種々な視点を考え、イメージすることが必要となる。その後、橋本来の美しさ、色彩について遠望や近点、歩行者空間における見え方を考えて形や素材を決めることになる。橋の存在を際立たせる結果となることから、行政側の立場で橋の姿を決定する際の安全策をとるとすれば、当然、時の景観における専門家を集め委員会を設置するか、アドバイザーとして依頼し、お墨付きを貰うことを第一に仕事を進めることになる。決定した橋の姿や色が世に問われても、非難を直接受けることの無いように考えての進め方である。
2)調和的手法
調和的手法は、周囲の景観、将来の景観を想定し、それらに溶け込み、橋が目立たないように、しかし、橋の存在を何処かに感ずるような橋の姿づくりが必要なことからこれは難しい。日本の場合、四季がある。春の緑際立つ風景、夏の澄み通った空と入道雲、秋の紅葉、冬の雪の舞い散る寒空の中で如何に調和的な橋の姿づくりを行うかである。先に示した強調的手法は、地域のランドマーク、橋による景観づくりであることから橋の姿について、見解の相違と逃げることはできるが、調和的手法が必要な場合はそうはいかない。具体的には、既にその風景が誰からも認められ、橋の建設自体を反対される場合において調和的手法をとる場合である。橋は、既にある景色に対し、従的な存在を求められるが、橋を通過する人や車両からの視点は確保する必要があるため、それなりに工夫が必要な手法である。橋のある景観を調和的手法で行うことは、最も困難な仕事であるかもしれない。
3)消去的手法
消去的手法は、橋の存在を否定する手法であることから容易に感ずるかもしれないが、これまた結構難しい。橋の存在を無くすることは、路面上に高欄、防護柵、親柱等何も造らなければ良いのであるが、これでは橋があることすら分からないから橋の姿づくりでも何でもない。国内にある15m未満の橋の数を考えると、これまでほとんど考えられていないが一番重要な橋の姿づくりが必要なグループであるかもしれない。
以上が橋を計画、設計、施工する時点で橋の姿、色彩等を周囲の景観を考えてどうするか決めるかの代表的な3つの手法である。橋の存在を美的に扱うとすれば先に示した3つの手法のいずれかを採用するか、組み合わせて採用することになるが、橋本来の工学的な合理性と橋の姿と色彩、跨ぐ周囲の景観との適合を考えて、規模、構造形式、材料、色彩等を下部構造、上部構造、路面、附属物の条件を決定することになる。