利用者の立場に立った架け替え計画を
一般的に橋を架け替えると以前の橋を日々使っていた人々から多くの不満が寄せられる。以前の橋に愛着を感じていたからではない。使いににくくなったからである。河川を跨ぐ橋、鉄道を跨ぐ橋、いずれも橋が跨ぐ際の設計条件などから、取付け部を含め縦断勾配は以前より数値が上がり、急勾配となることが一般的である。 車道の幅や歩道の幅が広くなることは歓迎であるが、跨ぐ部分までの取付け延長が伸び、勾配がきつくなることは使う人々にとって好ましいことではない。行政技術者の多くは、種々な数値や他の条件をあげて人に優しくない、急な勾配を正当化しようとする。具体的な急勾配擁護の事例として、道路構造令の縦断勾配に関する調査に次のような記述があった。道路構造令20km/hの制限値は12%となっているが、東京都の急な坂の勾配は25%で、車両の登坂能力32%・・・と書かれていた。 東京都の急な坂は江戸時代からある住み慣れた街並みでもあり、利用者もそれを納得し急な坂道を緩やかにするようなことを望まず、急な坂を楽しんでさえいる。しかし、橋の場合はこれとは大きく異なる。架け替える前の橋は2~3%で緩やかであった橋が、架け替えが終わった途端に数パーセントアップの橋となる。「交通バリアフリー法」の施行に伴う基準値は、歩道の場合、5%(止むを得ない場合8%)であるが、実際に2%勾配の取付けから3%アップした5%勾配の取付けを体験すると、高齢者、視覚障害者、車椅子使用者には「これはキツイ勾配だろうな…」と感じる。技術も材料も進歩し、高度な計算技術やICTを駆使できる環境下において、使いにくい橋に架け替える現状を変えなければ橋の専門技術者不要論を突きつけられるのは遠くはない。
「こんなに補強工事するなら架け替えればよかった」
こんな意識では循環型社会への転換はありえない
今、世間は、長寿命化対策に転換するかのような風が吹いている。私は、喜ばしいと感じてはいるが、つい先日とんでもない状況に出くわした。著名な橋を補強している現場において、それを担当している行政技術者が「こんなに苦労して補強工事するなら架け替えれば良かった、今の景気なら予算はあるのに!」と話したことである。この考え方が無くならない限り、貴重な遺産は次から次へと更新され、我が国に消費社会から循環型社会への転換はあり得ないと感じた。とても残念で、むなしい思いだけが残った。