奥武山米須線 残り3kmを整備中
平和の道線 アクセス性および景観性に富む海岸沿いの道路
――那覇市近郊だけでなく、南部地域全体の進行としては、本島南端の海岸部や平和記念公園などへのアクセスも重要であると考えますが、そうした関連道路の整備状況は
我那覇 まず主要地方道奥武山米須線事業があります。これは県道7号の拡幅事業で、糸満市照屋~米須間4.89kmが事業延長です。そのうち照屋~県道250号交差部までの1.9kmの拡幅が完了しており、現在は、残りの米須までの3km弱について整備を進めています。同工区内には橋梁が1橋ありましたが既に建設を完了しており橋面工を除き完了しています。
――同様に南部振興として期待の高い平和の道線の進捗状況は
我那覇 糸満市の南部海岸は、沖縄戦の最後の戦いの場となり、現在では全国で唯一の戦跡国定公園にしてされており、多くの修学旅行生や慰霊団が訪れています。一方で美しい景勝地や海浜(北名城ビーチや名城ビーチなどが有名)があり、多くの観光客も期待されますが、主要道路は比較的内陸部を走る国道329号のみであり、主要な施設、観光拠点を結ぶアクセス道路は未整備な状態といえます。
平和の道線概要
平和の道線は、国道331号との交点である糸満市真栄里から喜屋武岬を通って平和創造之森公園の県道223号に至る海岸に沿ったアクセス性および景観性に富んだ(シーニックバイウェイ)道路整備事業です。同市真栄里~喜屋武間の2.6kmについては用地買収が進んでおり、 2017年度から一部の工事に着手しています。同市喜屋武~山城間5.2kmについては用地についての交渉を進めている段階です。道路構造は切土および盛土であり橋梁・トンネルなどの構造物はありません。
平和の道線という呼び名は地域全体が大きな戦火にあった土地であるため名づけられました。荒崎はひめゆり部隊が集団自決を遂げた場所であり、摩文仁の丘(旧陸軍第32軍司令部が首里撤退後移動した)などがあります。
同地の施工にあたっては、南部全体で言えることでもありますが、不発弾対策としての磁気探査は必須であり、慎重に調査を行う必要があります。不発弾の処理は現在でもあと60~70年かかると言われています。私も現場担当者であったときに1つの現場で迫撃砲弾が60発ほど見つかった場に居合わせたことがありました。
沖縄県では、1973年8月に起きた那覇市小禄にある聖マタイ幼稚園の爆発事故(不発弾の信管を基礎杭施工中の重機が叩いて爆発、重機オペレーターおよび幼稚園児多数が死傷)による死傷事故、近年でも平和の道線において施工中の爆発による重機オペレーターの失明事故などがあります。こうした事故を起こさないようにしなければなりません。
加えて、南部では建設中の現場において戦死された方の遺骨が見つかることもあります。特に糸満市真栄里は沖縄戦でバックナー中将(米第10軍司令官)が戦死した箇所であり、その後で特に戦闘が激しくなり、亡くなられた方も多数おられます。慎重に事業を進めなくてはなりません。
上之屋道路 国道58号と西海岸を結ぶ重要道路事業
土被りや直上の施設に配慮しながら施工
――那覇市の市街地交通の円滑性確保のための上之屋道路の整備状況は
我那覇 同道路は延長こそ390mと短い事業ですが、国道58号の上之屋交差点と沖縄西海岸道路を結ぶ非常に重要な路線です(右図:完成予想イメージ、沖縄県提供)。
2017年度に都市計画決定され、警察協議も終わった状態です。同道路が供用されれば、上之屋交差点で結節している県道221号那覇内環状線を通じて沖縄自動車道とも結ばれるため、物流支援道路に指定される可能性があります。同事業では170mのトンネルを設置しますが、トンネルの断面が(物流支援道路として指定されることで)計画より大きくなり可能性があります。トンネルの直上にはお墓や防空壕などが存在し、土被りも薄いことから観測体制を強化する必要があります。現在は工法などについて委員会を設置し検討を進めています。現在はNATMおよび補助工法を考えています。
また、同道路の整備に呼応して国でも西海岸道路の結節部に新たなICを建設されます。