増渕基氏の足跡をたどり、日本の橋梁デザインについて語る
2024年新春特集③ 『橋をデザインする』座談会
(座談会参加者)
(写真上)
三井住友建設株式会社
執行役員副社長
春日 昭夫 氏
(写真中)
大日本ダイヤコンサルタント株式会社
CSR本部 理事
松井 幹雄 氏
(写真下)
富山大学
教授
久保田 善明 氏
越境できるマインドが必要
――第2,4章でも新しい材料や工法を入れることの大切さを説いていますよね。材料が変わると工法や構造も変わっていきますよね。それをスムーズに実現するためにも5%のスペシャリストをどんどん増やしていくことが大事ですね。
春日 なかなかそれは難しい。でも5%の判断は、たいてい正しいわけです。却下される場合も含めて。だから採用された場合は、そのまま全社的に使われていくことが多くなります。彼らはただ挑戦するだけでなく、経験も持ち合わせて判断できるリトマス試験紙なんです。
久保田 挑戦という意味では、本のタイトルのように「橋をデザインする」ためには越境するマインドを持つことが大切だと思います。執筆者もみな会社を変わったり、分野を変わったり、あるいは春日さんのように同じ会社でありながら設計・施工・開発も行う、など越境しています。そのマインドを持たないと、構造、景観、施工プロセスなどを総合的に考えなくてはいけない橋梁デザイナーにはなれません。もちろん、それぞれに得意分野や専門分野を持っているわけですが、マインドとしては、越境できる広いマインドを持たないと橋のデザインはできないだろうと思います。
松井 私はたまたま最初に橋梁メーカーに入ったことが良い経験となりました。様々な施行現場を見に行きました。小学生のころから日曜大工が好きで、工夫することが楽しくて、橋の設計もそれほど苦労したという記憶はありません。工夫するためには「知りたい」という好奇心が重要です。また、橋は規模が大きいので、事前の状況把握に繋がる模型作りなど手を使う作業も大事だと思います。話が飛躍しますが、設計と施工が分離しているという感覚は自分の中ではありません。
一方、橋はエンジニアリングだけの仕事ではありません。暮らしを変えていく原動力でもあるし、文化に与える影響も、文化から受ける影響も大きいといえます。増田淳さんはエンジニアですが、作品の姿に気品というか、文化的な香りを感じます。思うに、設計した人間そのものが投影されるのだと思います。それが橋の魅力のひとつだと思います。
歩いて生活する生活圏にこそ橋は必要
小さい60m程度の橋でも地元はお祭り
春日 私が橋梁技術者として、方向がぐっと曲げられたのが、アメリカのNPOなんですよ。橋の無いところに橋を架ける仕事を行っているNPOです。
世界で毎年、子供が川の氾濫で学校に行くことが出来ず、それどころか何十人と亡くなるという話をNPOから聞きました。そして彼らが、アフリカや中南米のそうした箇所に橋を架けてきたということを知りました。私の会社も寄付をして、若い技術者も派遣しました。
基本的には簡易な吊橋です。険しい山の中ですからクレーンなどは使えず、タワーを立てるのも人力。石を入れてセメントを練って、基礎を作って、ケーブルを張るという、60m程度の無補剛吊橋ですよ。今まで私たちはODAででっかい橋を架けることこそ貢献だと思っていましたが、地球上の多くは歩いて生活する生活圏です。その生活圏に橋が架かってないことが非常に多いことを知りました。橋を極めるのもいいけれど、その橋が出来たことにより、どう社会を変えるかなどを想像しなければならない。
本四の若い人が、供用後30年間で40兆円を超える経済効果をもたらしたというから「それは終わった後に言っても注目されない。これからは色々な解析ができるわけだから、やる前に30年間で40兆円の経済効果があります」と言えば、みんな注目するしPFIなども成立する、と話しました。私はそうした分野に興味を持っていますが、その原点がブリッジ プロスペリティ(和訳すると繁栄の架け橋)の活動なんです。
それに若い人たちが行って、村の人たちと架ける活動。これは橋屋の原点なんですよ。橋を架けるという事は。出来上がったたかが60mの吊橋だけど、祭りを行って大喜びするんですよ。これを私は忘れてました。こういう話を増渕さんともっとしたかったんですよ。新工法とかでかい橋を追うだけではなく、必要なのはこうした小さい橋によって生活圏が広がることがほとんどで、これによって子供が死なずに済む。病院にも学校にも行けるようになり経済も潤うんですよ。
そのNPOには、残念ながら一人送ったあとに、もっと手が上がると思ったら誰一人手が上がらなかった。
歩行用の簡易吊橋(三井住友建設提供)/完成を祝う人々(Bridges to Prosperity 提供)
貧乏でも知恵を絞って橋を架ける。そして橋は地域を変えられる
橋の建設の過程もお祭り 地域との一体感が必要
――北海道で建設された木コンクリート床版橋(もっとも古い橋は昭和18年)も日本で自給できる数少ない素材を使った知恵の結晶ですね。長い橋は作れないが、70年以上たっても使われている橋がある
春日 スイスでは第二次世界大戦前後に薄い鈑桁をPC鋼棒で補強した橋梁やコンクリ―トラス橋なども作られています。当時は鉄が欠乏していたための窮余策ですが、貧乏な時はこうして知恵を絞るんです。それでも5m、10mの短い橋を架けるだけでも地域は大きく変わります。人々の生活をより良く変えるために限られた材料で橋を造るのもエンジニアの使命の一つです。
日本がなぜ戦前において関門海峡に橋を造らなかったかというと、落とされると海峡が封鎖されるためトンネル構造にしました。
北朝鮮と中国の国境にある鉄橋は今でも使われていますが、あれは日本が架けました。トラス材が1個か2個爆撃されても壊れない頑丈な橋です。これを当時の技術者は手計算で行っていました。今の技術で解析し直してもほとんど間違いはありません。こうした橋の進歩の歴史をも若い人たちは学ぶべきです。
――橋の文化的な価値を高めるための美の追求とその後の価値創造について。先ほど、春日さんが、価値創造という点では非常にわかりやすく、意味のある取組みを話されました。1章と5章で、そのことが展開されていて、日本でも建設後のことを考えて、どのように使っていくか、また景観の点から書かれています。ただ、橋がどのように建設されるかを見たい人もかなり多くいると思います。通常の現場は囲われていて、何が起こっているかわからない状況です。戦前の東京都では、建設時に障壁を設けていなかった例もあるそうです。戦前に建設した田端大橋では、つくるプロセスを市民に見せることによって、土木に対する実感を持ってもらっています。そのようなことも含めて、橋の文化的な価値を高めるための美の追求とその後の価値創造について、お考えを聞かせてください
久保田 例えば、橋の架設はイベントとしてお祭りができるようなポテンシャルがあります。安全性や受発注者に余裕がないなどで難しいこともありますが、橋は本来の目的としての渡ることだけでなく、異なる活用の仕方もあるのです。文化的価値というのは、そういう「本来の目的とは異なる活用の仕方や意味の見出し方」の中からも生まれてくるものです。美しい風景に馴染んだ橋をデザインすることも、橋上を視点場や活動の場としてデザインすることも、施工プロセスや維持管理をイベント化することも、すべて橋の文化的価値を高めることに寄与します。もちろん、何でもよいわけではなく、それぞれの橋の個性に応じた方法が必要です。設計時からそういうことを考えておくことは重要なことです。しかし、これらはエンジニアリングではありません。橋の価値創造をエンジニアリングだけで実現しようとするのではなく、エンジニアリングは当然考えたうえで、それを超えた価値創造を柔軟に発想すべきと思います。まさに先ほども触れた「越境するマインド」です。そこから生まれた文化的価値は、橋をはじめとするインフラへの愛着やリスペクト、あるいはメンテナンスへのやりがいや誇りを高めてくれることでしょう。
春日 私の中では「橋の美」というのはなかなか難しいです。建築と違って、スケルトンそのままだから、そこでどのように美を表現するかは難しい。先ほど、述べたように日本人の美とラテン系の国の美も違うし、永遠のテーマであると思います。
文化的なことで言うと、久保田先生が言われたとおり、渡るだけでなく、橋を素材にしてさまざまなイベントを行っていくべきだと思います。ひとつの例では、阪神淡路大震災後に、つくはら(衝原)大橋というエクストラドーズド橋を明石海峡の裏の山中に日本道路公団がつくりました。そのときの所長である松田哲夫氏(故人)がイベントとして、橋面に人を上げて薪能を行っています。
つくはら(衝原)大橋(春日氏提供)
橋と文化の講義を行う時に、3代渡り初めを調べました。根拠はよくわかりませんでしたが、3代100年にわたる人たちに橋も長く機能して欲しいという願いを重ねていることはわかります。渡り初めは日本のみです。フランスは最後の中央径間を閉合する時にシャンパンを割っています。当時は、首相(シラク首相)が来て、職人に橋のことを聞いていました。「100年でも200年でももちます」と労働者が首相に答える文化です。そして、(ディスカバリーでやっていたが)できている時に「あれはブリッジか、バイアダクト(高架橋)か」をフランス人が真剣に議論していました(結局、バイアダクト)。そのような文化もあります。それくらい、橋がフランス人の中には入り込んでいます。やはりエッフェルがいるからです。日本では、田中豊さんと言ったって、僕らしか知りません。そのような違いがあります。
松井 富山大橋の架替えでは、旧橋への感謝の気持ちを込めて、渡り納め式が行われました。新橋の設計時からの富山県の土木部長の発案で、粋だと思いました。新橋と旧橋が並列している時期があり、花火大会の桟敷にしたりもしました。
富山大橋旧橋の渡り納め式(富山県提供)
先ほどの話になりますが、橋の建設は投資なので対効果をどう評価するかが課題となります。先代の富山大橋は連隊橋でもありすごい富山の物語を背負っています。そういう歴史と見た目の風情を委員会では残したい、と。橋の形式検討委員会で、市民代表の委員が「橋の良さは富山連峰が見事に見えること」と言い、斜張橋やアーチ橋などという議論ではないと発言されました。川を渡る橋は開けている上に周辺地盤よりも目線が高くなるので、横は河だから開けている、かつ堤防を超えるから高いので、見晴らしのいい場所であるということです。橋の美しさは形式だけでなく、渡るときのアクティビティによって刻まれていくことを教えてもらいました。
富山大橋から見た立山連峰(松井氏提供)
――橋を含めた景観美ということですね
松井 立山連峰は富山のみなさんにとって誇りなので、毎日、橋を渡るときに見られるという特等席です。
橋も精神性においては芸術と言っていい領域がある
100年後を考えたデザインが必要
――さて、橋と文化芸術について。1~4章にもかかりますが、大量生産から少量多品種化、希少化とか、橋の選別にともなう1橋あたりの価値の増大などが今後出てくると思います。それらを含めてお願いします
久保田 構造芸術(structural art)という言葉があって、この本をつくっていくなかでもよく出てきたキーワードのひとつです。これは『塔と橋』の著者であるデビッド・P. ビリントン先生が、本の副題として使っておられる言葉です。『塔と橋』は近代以降の構造工学の発展の歴史が書かれた本ですが、そこにアートという言葉が使われています。
ここではアートという言葉の意味が広いのです。絵画や音楽、演劇などに限定するのではなく、人間の精神活動がなす最高レベルの仕事みたいなもののことを指しています。単なるマニュアル通りの計算をするだけではアートと呼ばれないでしょうが、常に挑戦しながら進歩してきたその都度の最先端のところは、精神性の高さで見た場合にアートと同じということです。
普通、橋梁技術者は自分の仕事をアートだとは思っていないと思いますが、常に自己研鑽を積みながら自分の技術や思想を最大限投入し、最終的な到達地点として統合性や全体性を高めることを追求しているのであれば、その行為は精神性において芸術的であると思います。そういったものを土木の仕事に取り戻したいですね。土木は技術的には成熟した分野ですので、これから若い人、特に優秀な若い人が入ってくるためには、彼らが彼らの夢、希望、エネルギーを投入するに値すると感じられる分野であることが必要です。そのような分野であり続けて欲しいと思います。
春日 フランス語では土木構造物のことをアート(ouvrages d’art)と言います。それから見ても、彼らが橋だけではなく土木構造物にその精神で取組むということを聞いて、驚いたことがあります。彼らは石の文化で何年にもわたり残るので、未来にどう評価されるかを気にかけています。日本でそれを考えているのは、宮大工のみです。我々はそこまで考えないし、橋は100年と言ってても、100年後にどうなるか(人口が減り、車が飛ぶ)は誰も考えないです。日本人の橋に対する思考のスパンが短いと感じています。宮大工では、改築の時に自分の存在を示すために、名前を書いたり、釘に残したりします。そういう認識は、寺社建築にはありましたが、いまの建築、土木にはないと感じています。
――それを取り戻すためには
春日 これまで建設業は先のことを考えない産業でした。いまになって初めて2050年のことを考えるようになりました。そこから、いま何をすべきかを考える世界が初めて建設業に入ってきました。橋屋として、車が空を飛んだらどうするのか、ということをある大学のレポートで出したことがあります。自分のつくった橋が100年後に車が通らないで歩道になったりする機能変更もあり得ます。それを設計者やつくる人たちが、先のことも考えて、どのようなデザイン、構造にしたらいいかを考える必要があると思います。
青雲橋(春日氏提供)
――これからの橋にはストーリーがいると感じています。地方自治体や国がつくる地域の人たちが使う橋は、ストーリーのなかに住民を巻き込まないと簡単に見捨てられるという恐怖を感じます
春日 富山市では橋のトリアージができていますが、これからそういう世界に入っていきます。ただ、撤去するにしても橋を使っている人がいるわけですから、管理者は丁寧に説明をしなければなりません。
アメリカのミネソタ州とウィスコンシン州の間に、初めてアメリカがエクストラドーズドを架けるときに、専門家として呼ばれました。最初の仕事は、市民センターで市民に橋の話をすることでした。とてもまじめに聞いてくれましたし、変な質問も出ず、前向きに形式のことや採用理由などを聞かれました。そういう文化があるわけです。建築家は住民に近いところがあります。土木も役所を含めてお上が住民に道路、橋を与えますではなくて、下りてきて住民を巻き込んでいくことは重要だと思います。自分たちの税金の使われ方を真剣に考えることにもつながります。
松井 世界遺産に選ばれている土木構造物はいっぱいあります。そして、その全てが美しい。本来の機能として使われなくなっても世界遺産になって、人々に愛され続けています。美しさにはさまざま種類があって、ストーリーで美しく感じるものもあれば、見た目に美しいものもあります。気品を感じる橋に接していると、こちらの人間も浄化されていく効果を感じます。一方、その逆もあります。気品のないものに日々接していると、こちら側も雑になってしまいがちです。いまは逆が多すぎる気がします。これを元に戻すためには方法はひとつです。私達プロフェッショナルが歯を食いしばって、変えていくことです。いつか「橋をつくる人は30年も前からこんなことをやってくれていたのだ」と社会が気がついてくれた時に、初めて世の中は変わっていくと思います。
――どのように変えるのですか
松井 プライドを持って、我々が関係する橋はすべて美しく(魅力的に)することです。効率一辺倒を卒業して、本当の投資対効果の最大化を目指しましょう。そして、プライドは哲学がないと、育まれません。加えて、関東大震災後の復興橋梁という手本も現存しています。資金を投入したモノばかりでなく、ギリギリの予算で対応した橋も魅力的だったことを思い出したいです。土木構造物に興味を持つ人も増えてきている今は、再起動するチャンスだと思います。
――ありがとうございました