出版記念座談会
土木学会の景観・デザイン委員会鉄道橋小委員会が『鉄道高架橋デザイン』を発刊
(写真上)
国士舘大学
理工学部まちづくり学系
教授
二井 昭佳 氏
(写真中)
東日本旅客鉄道株式会社
執行役員 構造技術センター所長
野澤 伸一郎 氏
(写真下)
パシフィックコンサルタンツ株式会社
グローバルカンパニー 鉄道部 副部長 兼 橋梁構造室長
池端 文哉 氏
「たわみ制限」 在来線では≦L/1,000、新幹線に至っては≦L/2,000が要求される
地中梁を省略した構造も
――次に道路橋との違いについてお願いします。
池端 鉄道高架橋は、列車荷重やたわみ制限を抑制しなくてはいけないこともあり、基本的には道路橋より重厚な構造物となります。同じ支間、幅員で活荷重を比較すると、概ね、在来線でB活荷重の道路橋の1割増し、新幹線に至っては3割増しの死荷重が必要との試算結果になっています。かつ、レールの上を鉄輪が走るという事で、乗り心地や走行安全性を確保するため、たわみの制限は道路に比べて厳しくなっています。道路橋は一般的には≦L/600ですが、在来線では≦L/1,000、新幹線に至っては≦L/2,000が要求されます。同じような条件で設計しようとすると、新幹線では道路高架橋に比べて3割増しぐらいの桁高、在来線で約2割り増しぐらいの桁高が必要になります(PC桁)。それらを踏まえると、最終的に連続する鉄道高架橋は10mぐらいの小割なスパンで建設してくのが理想的ということに落ち着いたのだと思います。
国内の鉄道高架橋で現存している古いものは、新橋~東京間の高架橋で、これが約110年前、1909年に完成しました。構造的には無筋の煉瓦アーチ橋です。その後、1919年に初めて、東京~万世橋間にRC高架橋が出来ました。同高架橋はRCアーチ橋のほか、RCスラブ橋などが造られました。
国内最古の現存する鉄道橋である新永間市街線高架橋(新橋~東京間)
現在に至る画期となったのは、阿部美樹志が阪急(十三駅近くの高架橋など)も含め設計したRCビームスラブ式ラーメン高架橋です。
ビームスラブ式ラーメン高架橋
同形式の高架橋は阿部美樹志というエンジニアが開発した日本独自ともいえる構造です。阿部はイリノイ大学で最新の鉄筋コンクリート工学と構造工学を学んできたわけですが、そこで学んだことを鉄道高架橋に昇華させ、建築構造物のように柱があって梁があって床があるという道路にはない高架橋を作り出しました。
その後、ビームスラブ式ラーメン高架橋は発展していきます。基本スパンは8m程度であったのが、10mまでスパンが伸びていきます。しかし基本構造はずっと変わらず、1990年代まで来ました。それを飛び越えようとしたのが、今の中央線の東京駅付近にあるPRCラーメン箱桁橋です。同橋はビームスラブ式RCラーメン高架橋を文字通り脱却しようとしました。
一方で、同じような構造形式ですが、発展形が三鷹~立川間の連続立体交差でRCラーメン高架橋の15mスパンを実現しました。さらに、東日本大震災後の常磐線の復旧工事で作られた高架橋は、20mまでスパンを飛ばしています。また、地中梁を省略した構造や、施工性や景観に配慮したものも出てきています。
スパンを20mに伸ばした常磐線・第3埒木崎高架橋
――JR中央線の三鷹~立川間連続立体交差化事業は当時私も取材しましたが、地中梁の省略には少しびっくりしました。こういう構造が成り立つのだ、と。
池端 地中梁の省力も単に無くしたのではなく、場所打ち杭が先端プレロード方式ということで、杭の先端が拡底部のようになっており、ラーメン構造の中での不等沈下も回避できるという工夫もされている構造です。
地中梁省略を可能にした先端プレロード工法
野澤 地中梁を無くす最大のメリットは近接している営業線に影響を与えず、高架橋を建設できるという点です。隣に高架化する前の中央線が走っていたので、地中梁を設けると営業線に影響が出るとか、あと施工中にダンプが走る側道がないため、造っている高架橋の柱の間にダンプを走らせたいとか、そういう理由で地中梁を無くしました。地中梁を無くす時には、様々な先輩や学識経験者から懸念や課題を指摘されましたが、先端プレロード場所打ち杭を開発して、これを使うことで懸念や課題を払しょくすることが出来ました。
池端 施工中の排土が少なくなるため、環境負荷低減にも寄与します。
――先端プレロード場所打ち杭を採用することによる地中梁の省略は今後の鉄道高架橋において標準化されていくのでしょうか。
野澤 まだ地中梁を省力するには不安のある事業者も少なからずいます。しかし、営業線に近接している個所においては用いられる頻度が増えてくると思います。新幹線でさえも熊本駅付近などにおいては、在来線の鹿児島本線熊本駅に隣接しているため、新幹線高架橋は地中梁のない構造を採用しています。
ビームスラブ式高架橋は配筋が密で作るのが大変
あらゆる無駄を削ぎ落した最も経済的な構造
――海外ではこうしたRCビームスラブ式ラーメン高架橋が採用されていない理由はどこにあるのでしょうか。
池端 新幹線建設の影響が大きいと思います。新幹線は先ほど野澤さんが仰ったように踏切を許容しないため、必然的に連続高架橋となります。こうした高速鉄道を専用軌道で運用しているのは日本だけです。ヨーロッパは在来線と高速鉄道が同じ軌道を使っています。
ビームスラブ式ラーメン高架橋の典型例 北陸新幹線・長野市赤沼付近
ただ一方で、日本が輸出しているインド新幹線は日本流であり、専用軌道の上を走っています。しかし、ここでもビームスラブ式は駅舎付近だけで、あとはPC箱桁をスパン40mでとばす構造となっています。その理由は、ビームスラブ式高架橋は作るのが大変であるためです。
野澤 配筋がすごく密な構造なんです。
池端 ある意味、職人技の構造といえるので、海外には向きません。また海外は施工時に広大なストックヤードを確保できます。沢山PC桁を作って、現地に置いておけるわけです。バタバタと作っておいて、それをスパンバイスパンで架けていけます。
――構造はよりごつくなるんじゃないですか
池端 ごつくはなります。日本のビームスラブ式ラーメン高架橋は、あらゆる無駄を削ぎ落した最も経済的な構造です。
野澤 特に材料費に関しては最も安くなります。
池端 戦後の復興の中で、新幹線網を伸ばしていくには、ビームスラブ式ラーメン高架橋が最適であったわけです。しかし海外においてはコストメリットよりも、より急速に路線網を伸ばしていくことが求められています。そのためラーメン高架橋が根付かないのだと思います。
野澤 日本で独自にビームスラブ式ラーメン高架橋が発達したという話がありましたが、ある面では阿部美紀志のデザインから90年代まで発展しなかったといえます。
――なぜなんでしょうか。
野澤 国鉄の財政悪化が大きな要因だったと思います。景観などへの配慮はとても考えられず、とにかく一番安くという考えと連動していたように思えます。それだけで留まればいいのに、地方鉄道や大手私鉄でも同じような形式が使われていて、日本全国で8mスパンのビームスラブ式ラーメンが施工されていたという時代が長く続きました。それが鉄道高架橋が醜いと言われている原因の最たるものであると思います。それを90年代後半から払拭すべく我々は励んでいます。
また、池端さんが新幹線高架について話してくれましたが、都市部では新幹線だけじゃなくて、在来線でも街を分断されたくない、踏切を無くしたいという要望は非常に多くあります。
山手線は東京駅ができるまで「の」の字運転だったのはご存じでしょうか。今の環状線になったのは大正14年に上野~神田間が開通してからです。その際に、鉄道で街を分断されたくない、踏切を絶対に作ってはいけないという住民の反対があり、秋葉原~上野までは全部高架橋にしました。阿部美樹志が設計したのは東京~呉服橋間というほんの一部で、神田あたりから少し形式は変わっていますが、秋葉原のあたりでフラットスラブなどもあるのですが、基本的には上野までビームスラブ式高架橋で統一しました。同形式がはやり出したのはそのころからです。
ちなみに昔は国鉄の御徒町駅付近に御徒町試験室というのがあって、そこでコンクリートの配合をうんと研究して、コンクリートの配合を決めた土木学会の示方書が昭和6年にできました。その仕様は、日本全国の構造物に適用されました。
「建築的概念」から出発したビームスラブ式高架橋
100年を過ぎてもなお景観に優れた構造物が現役として保持できているか
――国鉄の財政悪化が、高架橋技術の発展や景観性への配慮の阻害になっていたという話は、蓋然性があります。さらには大手私鉄や地方鉄道も、技術的ヘゲモニーを握っていた国鉄の構造物設計事務所を向こうにおいて、自社だけで新たな高架形式を試みるなど難しかったという事は想像に難くありません。ということは国鉄民営化後の経営の好転が、東京駅付近中央線高架橋のような技術的な発展を促したと考えてよいのでしょうか。
野澤 それは多分にあると思います。
池端 それだけでなく、昭和から平成、令和に時代が変わり、景観デザインというものに目が向くようになるほど、市民社会が成熟してきたという事も一因としてあると思います。
再び、阿部美樹志の業績に触れますが、同氏はビームスラブ式ラーメン高架橋を独力で開発されたエンジニアといっても過言ではありません。
二井 私は以前建設コンサルタントで道路橋の設計をしていたのですが、この委員会に加えていただいた時に驚いたのが、鉄道高架橋の部材の呼び名です。道路橋でいう橋脚は「柱」で、桁は「ビーム」と呼ばれていて、建築と同じだったからです。阿部美樹志は土木だけでなく建築も手がけていて、彼の考え方がずっと令和の今になっても引き継がれていることが部材の呼び名にも表れています。
池端 建築と土木が融合した構造といえます。初期に作られた阪急電鉄淀川付近の高架橋などは、装飾なども施されていまして、そういうディテール的な部分においても建築的な要素がありました。その後の戦後復興で経済性が追及されるあまり、デザイン性が軽視されていったのは少し寂しい限りなのですが。
――十三駅付近の高架橋にデザイン性が付与されていることは私も実際に見て知っています。ただし、保存状態はお世辞にも良いものとは言い難いですね。
池端 その通りです。本の最後の方にも書いていますが、美観保持などは今後の課題であると考えます。また、東京駅付近、新橋駅付近の煉瓦アーチなど、100年を過ぎてもなお景観に優れた構造物が現役として保持できているか? というのは今後も考察していく必要があると考えています。
阿部美樹志が設計した阪急淀川梅田間高架鉄道橋
野澤 それは元の構造物がきちんと作られている、という事が最大の要因です。景観性だけでなく、品質も良かったから保つことが出来るのです。耐震補強工事などを施しており、必ずしも建設当時の姿ではありませんが、まだ100年、使用することは十分可能です。
池端 耐震補強も景観に配慮した工法を採用しており、景観的には当時のプロポーションそのままを保持しています。
野澤 煉瓦アーチに関しては外側の景観には手を付けず、内側だけを巻く形で耐震補強を施しました。
東海道新幹線では壁式ラーメン高架橋を用いている
東京駅付近中央線高架橋では、柱を細くするデザインを実現するため軸方向主鉄筋を9%も入れる
――鉄道高架橋ができてから150年間でエポックとなった構造は
池端 やはり阿部美樹志が作ったビームスラブ式RCラーメン高架橋がずっと続いたというのは申し上げた通りです。但し、東海道新幹線では壁式ラーメン高架橋を用いています。一番長い延長で100mぐらいある構造物なんですが、鉛直力だけを支える壁と水平力を支える箱形状の橋台が完全に機能分離しています。
東海道新幹線の壁式ラーメン高架橋
1990年代から先は国鉄が民営化した直後に作られた東京駅付近の中央線高架橋でラーメン高架橋を脱却しました。
――この本に書かれているとおり、今まで鉄道高架橋というと、同じような形式が続く「再起性」や「反復性」のイメージが強かったのですが、東京駅付近の中央線高架橋において、デザイン性に富んだ構造物を造るために、1径間丸ごとに渡る鋼製型枠を用いて場所打ちし、デザイナーの意匠を貫徹させた高架橋を作っているとは知りませんでした
野澤 当時はPCファブ業界からみんな反対されました。その中で1社の前向きな技術者を石橋さんが口説き落として、もう1社の協力してくれたファブと共に、あの施工を実現しました。
1径間丸ごとに渡る鋼製型枠を用いて場所打ちし、デザイナーの意匠を貫徹
――石橋さんが良く、あのデザイン性に富んだ構造物を実現しようとしましたね。
野澤 デザインを先生方に頼んだ以上は、そのデザインを達成することが、構造屋の使命と考えて、PCファブを巻き込んで建設にまい進されました。
ちなみに同高架橋は柱も非常に細くなっています。土木学会のコンクリート標準示方書では(橋脚における)軸方向主鉄筋は断面の6%までしか入れてはいけないことになっています。それ以上入れると圧壊する危険性があるため、本来はRCとしては使ってはいけない構造なんです。それを同高架橋の柱では軸方向主鉄筋を9%も入れています。反対意見もありましたが、当時の若いJR社員たちが、その程度の鉄筋量でも、外側に薄い鋼板を巻いて補強すれば圧壊しないことを実験で確認し、使用しました。
デザイナーから絵を示されれば、それを現実に達成するのが構造技術者の役割であると達観されていました。
デザイナーから絵を示されれば、それを現実に達成するのが構造技術者の役割
もう一つはビームスラブ式ラーメン高架橋のスパンを伸ばすという形で中央線三鷹~立川間の高架橋が生まれました。それが大きなエポックでしょうね。
更に細分化すると文中でも『現代のトレンド』という項に書いてあるのですが、鉄道・運輸機構はビームスラブ式ラーメン高架橋だとフォルムが凸凹しているため、より洗練されたアーチスラブ式ラーメン高架橋を採用しています。地方に目を向けると土讃線の高知駅付近の連続高架橋ではRCホロースラブ桁を連続して用いています。さらについ最近においては仙台市営地下鉄でRCスラブ式CFT柱のラーメン高架橋など形式的にも広がりを見せています。
土讃線の高知駅付近の連続高架橋(下2枚は井手迫瑞樹撮影)
――土讃線の連続RCホロースラブの景観は見ていて面白いですよね。
池端 同高架橋はしっかり地域住民とワークショップなどを行いつつ、デザイン性と高架下の利用性を詰めていった秀作だと思います。
野澤 土讃線は篠原修先生等の研究者も入って、検討会でプロポーションなどを決めて、進めたと聞いています。
池端 防音壁なども特殊なものを採用し、橋脚にもテクスチャーなどを入れています。
――文中にある東北本線の衣川高架橋もすっきりとした印象がありますね。
野澤 これに関しては特段、研究者などに相談することもなく、構造を決めました。ただ、地方線区なので、遮蔽物がなく、スレンダーに格好良い景観を形成できています。
東北本線の衣川高架橋
池端 径間長も長いですよね。
野澤 20mあります。実は柱の高さが低くて、スパンを伸ばすと乾燥収縮で柱構造が厳しくなります。なおかつ柱の高さが低くなると、胴長短足に見えますので、実はクリアランス高が低いところまでスパンを飛ばすのは反対しました。最後には現地工事事務所の意見が尊重されました。津波からの震災復旧としての仙石線の付け替え高架橋などは、ある程度、柱の高い箇所はスパンが長く、低くなると短くなるようにしました。
池澤 低くても衣川高架橋のような構造が成立しているのは、地中梁を省略した構造にしたからできたといえますよね。
野澤 外さなかったら構造的に成り立ち得ませんね。技術開発の賜物です。
――高架橋と高架橋のつなぎに関しては最近は背割り式が主流でしようか。
野澤 中央線の三鷹~立川間高架橋を設計した時、メンテナンスを考えて、約9kmの高架区間に支承を一つも設けない構造を目指すことにしました。高架区間におけるメンテナンス上のトラブルは多くが支承部で発生しているためです。この時点でそれまで最も実績の多かったゲルバー式を排除しました。張出しでも支承は無くせますが張出しがRCでは3m程度しか設計できず、高架橋のスパンを長くしているのに、接続部では3m×2程度では連続性がなくなってしまいます。先行して設計していた南武線稲城長沼駅付近の高架橋では張出し部にPC鋼棒を入れて緊張し、5mとしましたが手間がかかりました。そこで東北新幹線の高架橋でも実績のあった背割り式を使用することにしました。
ただ、背割り式にも課題はあります。配筋が密になるなど施工し難い面もあります。現在でも背割れ部分の間隔を調整したり、角度をつけたりして施工しやすさを模索しています。
それでもJR東日本の高架橋ではメンテナンスに配慮して高架橋のつなぎは背割り式が主流になっています。