土木研究所は昨秋、「AIを活用した道路橋メンテナンスの効率化に関する共同研究」を開始した。土木研究所が事務局となり、共同研究の統括、既往の知見の提供、点検データなどの貸与、調査、分析などの実施を行い、茨城県や富山市との管理者としての現場ニーズを提供し、現地調査などの際のフィールドを提供する。その下に点検AI(床版の土砂化などが対象)を開発するグループ、点検AI(画像解析)開発グループ、診断AI開発グループが所与の研究開発を進めていくもの。既存の優秀な技術者が持つ暗黙知について、AIをどのように活用して時代に継承していくのか、最新の点検技術を組み込んでいくのか、先行で研究を進める床版分野を交えつつ、西川和廣理事長に詳細を聞いた。(井手迫瑞樹)
最初は断るために勉強を始めたが……
「エキスパートシステム」を再発見し一転積極的に
――西川さんが、AIを活用した道路橋メンテナンスの共同研究を立ち上げたのは驚きました。AIには否定的であったように感じていましたから
西川理事長 実際に当初は否定的でした。そもそもAIを適切に運用するためには学習のためのいわゆる「教師データ」が必要になりますが、道路の維持管理の分野にはそのようなものはありません。カルテや点検調書が一見ビッグデータとして使えそうな気がしますが、記述が定型的になっていませんし、そもそも人間が作成してきた点検調書がそれほど信頼できるとは考えられません。時に予算の制約を配慮して手心が加えられている可能性については、多くの方がご存じではないのでしょうか。AIの導入を迫る人々はそのような実態を分かっていないのでしょう。そこで、導入を断るための理由を見つけ出すため、AIの解説書を読んで勉強しました。
――しかし、AI導入に積極的になった。それはなぜですか?
西川 まずAIというのは大きく三つに大別されますね。
――よく知られているのはディープラーニングですね
西川 そう。流行しているのが脳神経の構造を模したニューラルネットワークで、その一つがディープラーニングです。無数の写真から特定の写真を見つけるなどの単純な作業には適しています。無数の写真を見ることで自ら学習し、特徴を把握する能力を高度化するものですね。単純作業には能力を発揮しますが、複雑な判断ができるわけではありません。
2つ目が遺伝的アルゴリズム(GA)です。これは、山ほどあるケースをすべて試し、最適な解を探っていくものです。囲碁や将棋のロボットが過去の棋譜をすべて覚えることで強くなったことはよく知られています。さらにAI同士で何百万回も対戦することでより強くなったと聞いています。
しかしこれら2つのAIは、正解確率が非常に高いとしても、所詮はブラックボックスであり、なぜそのような答えになったかについての説明が全くありません。メンテナンスサイクルの胆は「診断」にあると考えていますので、結果に対しての責任を果たせないAIの導入には消極的でした。
しかしもう一つの前世代のAIが、現在でも3つの柱に数えられていることを知りました。
――それはどのようなシステムですか
西川 「エキスパートシステム」です。
医療の分野などで今でも使われる古くて新しいシステムです。30年前に流行ったシステムで、暗黙知を形式知に変換することで熟練技術者のノウハウを伝える技術として注目をされていました。私も技術の継承ということに興味があり、少し興味を持ちましたが、当時のコンピュータが貧弱で使い物になりませんでした。でも、今のコンピュータならば可能だと思います。
――言葉にできないから「暗黙知」なのでしょうから
西川 今ならば、それを写真や動画を駆使して伝えられます。
「教師データ」は信頼できる技術者の診断したデータがベース
予防保全が可能になる段階で損傷の萌芽を見つけることがベスト
――しかし、先ほど西川さんが仰ったような「教師データ」の現状では難しいのではないですか
西川 ビッグデータを用いたいわゆる「教師なし学習」は考えていません。あるとしても点検段階で損傷の兆候を逃さず拾ってくる、スクリーニングの段階に限られると思います。メンテナンスサイクルの中心は、信頼できる技術者が診断したデータがベースのいわゆる「教師データ」になります。そこで行われた基本的な診断のロジックを教え込むだけでも膨大な入力が必要になります。その中で、優秀な技術者がどのような画像や事実を決め手にして、診断しているかも細かく入力します。これを私たちが信頼する診断技術者の方々に手伝ってもらって行うことになりますが、この過程こそが外部への説明、技術者の育成にとって死活的に重要なものです。
医療の分野ではエキスパートシステムは、患者への説明責任を果たすことのできるシステムとして用いられているようで、我々の置かれた状況に極めて適合しています。さらに現場では、技術者および技術力の不足が深刻であり、次世代の担い手である若い人も足りません。何より信頼できる技術者がたくさんいるわけでもありません。そのような状況下において円滑な技術継承を実現するには、エキスパートシステムに優秀な技術者の経験をノウハウとして集積することが最適と考えました。うまく進めば若い人がAIに手伝ってもらいながら診断の仕事をすることで育ててもらうこともでき、まさに技術の継承が可能になります。これでなぜ突然AIの導入に積極的になったのかお分かりになったと思います。
メンテナンスサイクルのイメージ
――土木・橋梁におけるAIの導入に必要なことはどのようなことでしょうか
西川 AIに学習させるためには、教える我々が教えるべきことをすべて理解していなくてはなりません。我々自身が理解できない未解明なことがたくさんあれば学習させることはそもそもできません。橋に生じる様々な損傷について、部材毎、損傷の種類毎にどのような原因により損傷が発生して、進展し、どのような破壊に至るのかというメカニズムと、その兆候をどの段階でとらえれば予防保全が可能になるのか、さらにどのような措置が適用可能でどの程度の効果が期待できるのかを知らなければなりません。
しかし点検段階で顕在化し、深刻化した損傷を見つけることは無益とは言いませんが、長寿命化の観点からは手遅れの感が否めません。予防保全が可能になる段階で損傷の萌芽を見つけることがベストですが、それはなかなか外観変状としては現れません。そうしたものを見つけ、判断し、適切に対応することが必要かつ重要です。
仮説を立てることも重要
「教師データ」はこれから作る
――しかし全ての事象を解明するというのは無理でしょう。新しい損傷事例も出てくるでしょうし
西川 もちろんすべての解明を短期間に行うことは無理です。それでも仮説を立てることで対応は可能です。損傷状況との矛盾が小さく、大半の技術者が見ても異論がない仮説であれば十分機能します。それでいて新たな事実が見つかれば、プロセスを更新すれば良いのです。
――どのような記録を入力していくのでしょうか
西川 部材ごとに点検AIからの情報を入力していきます。
例えばひび割れが生じている損傷の場合、点検AIが発生位置、ひびわれ幅、長さ、方向、密度などの情報を分析し、調書に入力しますが、この情報を診断AIに入力すると、可能性のある損傷種類などがすべて抽出されます。その上で設計基準、建設時期、材料の情報詳細、交通量、補修履歴となど点検調書の情報により可能性を絞り込んでいきます。一つに絞りこめなかったら詳細調査の指示を行い、その結果の情報で再度絞り込みを行うことになります。
さらに判断が難しい案件については、「信頼できる熟練技術者」によって入力された「教師データ」、例えば何を決め手にして判断したかや、そのときの写真などの情報をもとに最終的な損傷の種類とその原因について絞り込みを行います。そこまで達成できれば措置について、どんな手法が適切かの判断に移行することができるようになります。
そして診断不能な事例が生じたら、土研を中心としたグループ(現在始めたばかりの共同研究グループを想定)で検討を行い、新たな判断プロセスをシステムに組み込みます。
――そのような教師データはどのように収集していくのですか
西川 収集するのではなく、これから作ります。ビッグデータからAIが判断するというパターンは忘れて下さい。
目標は誰でも現存の最高レベルの熟練技術者に近い判断ができるようになることで、それを超えるようなレベルをAIに求めることは考えておりません。
RC床版分野では電磁波レーダを活用
水の存在の有無で劣化の有無を調査
――外観以外の点検手段としてはどのような方法を考えていますか
西川 最初に取り組もうとしているRC床版を例に挙げると、従来、疲労損傷が主たる損傷メカニズムであったため、下面からひび割れパターンを観察することで診断が可能でした。したがって、点検AIの開発では、ひび割れを認識することが大半を占めています。しかし、設計基準は何度も改訂され、床版厚が大きな昭和60年代以降の床版では、疲労による損傷は起きなくなりました。ほとんどが水の影響による上面の土砂化です。現にNEXCOで更新している床版でも土砂化や塩害により劣化したものが少なくないと聞きます。そうした床版は舗装上や桁下からの目視では損傷を確認することはできません。
AIに教えるRC床版の損傷/床版の疲労実態の調査結果
RC床版土砂化のメカニズム①
そのため電磁波レーダにより床版上面の状態、特に舗装の下の水の存在を確認することにしました。電磁波レーダにより床版の損傷状態を分析するには一種の名人芸が必要になりますが、水の有無を判断するだけであれば、かなりハードルは低いと聞いています。土砂(砂利)化や複合して作用する塩害、ASRなどは、必ず水の存在を伴っているので、単純に水の有無だけで判断できるからです。さらに、水の浸入経路を確認することができれば、遮水対策を行うことで予防保全できるわけです。
RC床版上面土砂化のメカニズム②