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増渕基氏の足跡をたどり、日本の橋梁デザインについて語る

2024年新春特集③ 『橋をデザインする』座談会

(座談会参加者)
(写真上)
三井住友建設株式会社
執行役員副社長
春日 昭夫 氏

(写真中)
大日本ダイヤコンサルタント株式会社
CSR本部 理事
松井 幹雄 氏

(写真下)
富山大学
教授
久保田 善明 氏

公開日:2024.01.01

 橋梁技術者の増渕基氏は、2019年3月にドイツの自宅付近で全く不意の事故に遭遇し、40歳という若さでこの世を去った。将来を嘱望されていた彼の死を悼み、その足跡を残すために書かれたのが、昨年春に出版された『橋をデザインする』(技報堂出版刊)である。これは彼と親しかった8人が執筆したもので、藤野陽三・東京大学名誉教授が編著者となり、畑山義人(JR東日本コンサルタンツ)、佐藤靖彦(早稲田大学)、久保田善明(富山大学)、松井幹雄(大日本コンサルタント)、八馬智(千葉工業大学)、春日昭夫(三井住友建設)、安江哲(佐藤鉄工)(いずれも執筆当時の所属)の各氏が名を連ね、著者に支払われる印税はすべて遺族に寄付することとし ている。当初は増渕氏が『橋梁と基礎』誌に投稿した記事に8人がコメントを付けて、彼の構造・空間・デザインに対する思いを広く紹介しようと企画していた。しかし、議論を進めていくうちに、発表済みの論考を再構成するのではなく、彼が理想としていた構造芸術やコンセプチュアルデザインに関連して8人がテーマごとに書き下ろし、若い技術者に設計思想を伝えられる本にしようということになったという。彼が生前「日本には優れた橋が多いのに、その設計思想を語る本が少ない」と残念がっていたからである。


『橋をデザインする』(技報堂出版刊)

 このたび、その執筆者のうち春日・松井・久保田の3氏による座談会を開催した。増渕氏と本に関する話だけでなく、内容は膨らんで、日本の橋梁を覆う課題についても非常に鋭く指摘する内容となった。(井手迫瑞樹)


写真左から 久保田氏、春日氏、松井氏(井手迫瑞樹撮影)

彼と共に『橋の本』を作るというスタイルにしよう

 ――まず、増渕基さんの経歴を教えてください
 松井 1979 年の鎌倉生まれで、北海道大学土木工学科を卒業。その後、「構造物が創る美」を学ぶべく、スウェーデンのチャルマース工科大学に進学、国際理学修士課程を修了。少し日本に滞在した後、藤野先生の紹介のもと、ベルリン工科大学の Mike Schlaich 教授のもとで可動式膜構造の研究を行い、博士号を取得しています。その後、ドイツの設計事務所で経験を積んで、南ドイツのケンプテンにある Dr. Schütz Ingenieure 事務所に落ち着き、橋梁設計技術者として活躍していた、という経歴です。

 ――鎌倉から北海道、スウェーデン、ドイツですか。大志を感じますね。執筆者とはどこで知り合ったのですか
 春日 私はSchlaich 教授を訪ねる機会に彼と会い、そのたびに橋談義に花を咲かせ、親しくなっていきました。そして、彼が亡くなる前の年のクリスマスに、彼から「家族と共に帰国することを考えているのですが、三井住友建設で働かせてもらえませんか」と申し入れがあり、翌年(2019年)2月に日本で面接し、7月に入社することが決まりました。しかし、その直後に彼は事故に遭ったのです。
 松井 私は彼のお父様の増渕文男(ものつくり大学名誉教授)先生を通じて彼と知り合いました。彼がベルリンに行ってから互いの SNS を通して交流し、ドイツ人学生 20 数名とともに会社訪問を受けるなどして親交を深めていました。なお、このときのツアーは大変ユニークで、後に増渕さんが参加メンバーと共著で『日本で見た構造芸術』と題して『橋梁と基礎』誌に記事を書いています(2010年4月号)。


増渕基氏(最左の人物、ベルリン工科大学提供)

 久保田 私は彼がドイツに留学する前に千葉大の杉山和雄先生を通じて知り合い、後にMike Schlaich 教授らが著した歩道橋に関する本を共同で翻訳出版するなどしました。私は彼より7歳上ですが、彼にとっては橋の構造デザインについて相談することのできる日本の技術者の中で最も年齢が近かったので、いろいろとよく相談を受けていました。他の執筆者との関係も紹介すると、安江さんは彼が北大在学中にドーコン構造部でバイトをしていた際の構造部長で、かつ、お父様の増渕文男先生が安江さんの大学の先輩でもありました。また、畑山さんと八馬さんも当時ドーコンにおられたので、共に増渕さんに橋梁設計や道路景観設計のお手伝いを通じてデザインの面白さを伝えていました。畑山さんは北大の非常勤講師としても彼に構造デザインを教えており、八馬さんは後年千葉大、千葉工大に異動してから研究仲間としても彼と親交を深めました。佐藤さんは北大時代の恩師であり、彼の海外留学を後押しし、叱咤激励を続けた方です。藤野先生は東大の橋梁研究室によく顔を出す彼と知り合って、ベルリン工科大学の Mike Schlaich 教授に推薦しました。

 ――『橋をデザインする』という本の出版経緯を教えてください
 春日 増渕さんは『橋梁と基礎』誌に記事を8本書いています。また、個人ブログでは『スパン35メートルからのデザイン・ブログ』には示唆に富む論考が遺されており、これは今も閲覧することができます。設計思想に関しての議論が日本で少ない中、欧米の考え方や作品を日本語で積極的に紹介し、自分でも実践してきたことは、エンジニア・増渕基の大きな功績です。
 当初はその遺稿集を中心とした本を作成する方針でした。それに加えて彼と縁のある橋梁技術者が寄稿して『橋の本』に仕上げたいと考えました。
 話を深めていくうちに、増渕さんの考えていたエッセンスを汲み取って「橋をデザインする」というコンセプトを築き、これに基づいて8名の研究者・エンジニアが「今後の日本の橋梁界のために」論考を重ねる、という橋梁計画思想の本に仕上げようということになりました。
 久保田 この本づくりが本格化する前に、私と八馬さん、それに大日本ダイヤコンサルタントの末松さんの3名が発起人となって、追悼文集を作りました。残された奥さんと幼い息子さんが心配で、特に息子さんには、「お父さんってこういう人だったんだよ」というものを遺してあげたいと思ったんです。国内外から50人以上、土木分野だけでなく、建築家、音楽家、ライター、プロダクトデザイナーなど様々な分野の方が追悼文を寄せてくださり、彼の一周忌に合わせて遺族にお届けしたのです。もちろん、8人の執筆者もこれに参加しています。しかしそれとは別に、畑山さんが呼び掛け人になって本書が企画され、この8人が集まったわけです。藤野先生が進んで編著者を引き受けてくださり、それぞれの専門に応じた執筆テーマを議論し、調整しました。
 松井 増渕さんの交流範囲は幅広くて、あの人に会いたい、と思ったらすぐ行動に移すタイプでした。興味の対象の究極が橋でしたから、自然、私たちと仲良くなったんだと思います。それに、人なつこくって、会うと好きになるんですよね。
 春日 我々が彼に引き寄せられたのは、そこだと思うんですよね。彼の世代に技術に対してあれほど貪欲な人はいなかったから。自分の腕を試すために海外を渡り歩く侍魂を持った人間はいなかったんです。そして、人懐っこくてジェントルマンで。私にとってはちょうど息子に当たる年齢なんですよね。ベルリンまで行ったら、あいつ何してるかなって気になる存在でした。会うと一日付き合って話したものです。

 ――増渕さんはどんな橋を作ったのですか。また、どのような専門家であり、何をめざしていたのでしょうか
 久保田 ベルリン工科大学の博士課程在学中にSchlaich Bergermann und Partner 事務所でアルバイトをし、その後Wernar Sobek Stuttgart 事務所に就職して暫くいて、その後ケンプテンという地方都市のDr. Schütz Ingenieure 事務所で本格的に橋の設計業務に携わっていました。どのようなプロジェクトにかかわっていたかは『橋梁と基礎』誌の2019年5月号に掲載された『作り方から橋をデザインする ~欧州アルプスの橋梁デザイン~(Structural Art in the Alpine Region: Works by Dr. Schütz Ingenieure)』に詳しく掲載されています。実は、この記事は亡くなった当日に最終原稿を建設図書に送信したもので、後日査読結果を受けて恩師の佐藤さんが仕上げたものなのです。
 松井 このうちボーデン湖畔のシィアーシュ通りに架かる 跨線橋Thierschbrückeが彼の最後の作品となりました。これは構造計画から施工計画に至るまで増渕さんがアイデアを出してコンペティションに臨み、ネイ事務所なども参加していた中で勝ち抜いたものです。長く勉強を続けた彼の到達点です。

 ――日本に帰ってきて、これからというときだったんですね。
 松井 本当に楽しみでした。彼自身の活動だけでなく、彼に触発される若い世代がたくさん出てくると思っていたので、その機会が失われたことも、本当に残念でした。

 ――春日さんは増渕基さんに対して何を求めていましたか
 春日 はっきり言って、実力のほどは分かりませんでした。一緒に仕事をしてどれぐらいの実力かを図っていこうと考えていました。歳も40だし、若い人を付けて、橋の設計から入って、特に高速道路橋は様々な新しい技術を入れられるから、色々頑張ってもらおうと考えていました。今まで彼と議論しあっていたことも実現できると楽しみにしていました。
 また、私の次の世代として、fibなど国際的な学会へ参加していただくことも念頭にありました。

設計コンペの積極的な採用が橋のデザインを活性化する
 私淑の大切さ

 ――「橋のデザイン」を実現するために、現在の日本の橋を取り巻く技術的環境や発注的な環境についてどんな問題があるのか。またどんなアンテナを立てるべきなのか
 松井 手段としては設計コンペの積極的採用と思います。それが達成できれば、時間とともに事態は良い方向に向かうと確信しています。道路橋示方書に準拠していることは当然ですが、それで全てがOKというわけではありません。人々が求める橋の姿は、コンペを行うことで、だんだん明確になってくると思います。今はその場があまりにも少ないことが問題です。

 春日 チャレンジしていくにはやはり本の中でも書いていますが、私淑だと思います。○○が設計した橋のようなものを私も作ってみたい、というね。私はジャン・ミュラー(プロトンヌ橋やCD運河橋などを設計した)が大変好きで、私と同じようにゼネコンで橋の設計を行っていた人で、世界中でいい橋を架けていますが、ああいう橋を架けるようになりたいと考えることが、若いうちから必要だと思います。増渕さんと話した中では、彼の中に明確にそれはあった。今の若い人はレオンハルト(フリッツ・レオンハルト、「ブリュッケン―F・レオンハルトの橋梁美学」などに詳しい)なども知らないしね。本当に外を見ていない。日本でも歴史的に見れば、木コンクリート床版などの構造を考え出した人もいました。あれを見た時は衝撃でしたよ。
 学校の教育課程や会社に入ってからもそうですが、仕事をこなすだけで刺激がない。これは我々の責任でもあるし、若い技術者一人一人の姿勢の問題でもあると思います。増渕さんは、外から吸収しようとする気概や自分で刺激を造ろうとする姿勢が非常にあったんです。

 ――刺激を投げかける上司というのは凄く重要ですね
 春日 我々の若いころはざらにいましたよ。日本で初めて張出し工法によるアーチをかけたりとかね。そういう時代に会社に入ったんで、非常に刺激がありました。
 松井 新人時代に、先輩、上司に恵まれたことが、今思い返すと本当に幸運だったと思っています。なんでも、やってみたら、という雰囲気でしたから。逆説的に、何かやらないと勝てないコンペは、上司云々でなく、制度として技術的刺激を与えることになると思います。もう一度、コンペ推しを言っておきます(笑)。
 久保田 私は大学で教え始める前に一般企業に10年余りいまして、メーカーとコンサルタントにそれぞれ勤めていました。しかし、根幹の部分として発注制度のところを改善していかないと、個人の努力だけでは限界があることを痛感し、大学に移ってからライフワークとして、デザインコンペの普及活動を行っています。具体的には、土木学会の建設マネジメント委員会の中に小委員会を作って、『土木設計競技ガイドライン』を2018年に出版し、今は全国の大学教員を中心に60名以上の委員がいまして、それぞれの地元で普及活動を行う体制を構築しています。大学教員も忙しいので、なかなかボランタリーには動いていただけないのが悩みではありますが、時間をかけてでも機運を醸成していく必要があると考えています。


『土木設計競技ガイドライン』(久保田善明氏提供)

神戸市のコンペ(三宮駅周辺歩行者デッキ)の最優秀案(画像提供:中央復建・安井設計・JRNC設計共同体)

 いくつかの自治体でガイドラインに基づいたデザインコンペが実施されてきました。また、橋がメインのものではありませんが、来年(2024年)も比較的大きな国際デザインコンペが実施される予定です。技術的・社会的に成熟した環境において、様々な創意工夫を引き出すにはコンペは合理的な手法です。

橋梁コンペは設計会社とゼネコンが共同であたる
 どう作るか、どう架設するかが分かってこそ

 ――外国ではデザインコンペは普通になされているんですか
 春日 橋梁コンペの仕事は設計会社とゼネコンが一緒に仕事をします。設計・施工にコンサルタントとゼネコンが互いに入り込むんですよね。ものすごく距離感が近いんです。
 松井 だから設計技術者が伸びます。どんな姿の橋を、どう作るか、どう架設するか、が分かっていないと設計者はつとまらないと思います。が、若い技術者にその教育をしっかり出来ているかと言われれば、心許ない現状もあります。興味を刺激して、現場に接する機会をより一層増やしたいと思っています。
 久保田 欧州では建築と土木の境界が日本とは異なります。日本は対象物の違い(建築物or土木構造物)で分けられていますが、欧州は知識体系の違い(芸術・意匠or工学技術)で分けられています。芸術・意匠と工学技術が分かれているからこそ実務では協働しやすい面もあるのでしょう。とはいえ、コンフリクトもあるとは聞いています。いずれにせよ、コンペは欧州ではもちろん、世界の多くの国々で普通に行われています。
 春日 建築だって錚々たるメンバーを集めても、敗れることがあるんだから。

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