長野 綿半テクノスが飯田市に建設
新橋梁工場が本格稼働
綿半グループの建築鉄骨事業部門会社、綿半テクノス(稲垣孝光社長)が昨年末に長野県飯田市松尾寺所7223に建設し、年明けから生産活動に着手した新橋梁工場が、本格稼動体制を整備した。
新工場全景 施工中の橋梁
綿半グループの橋梁部門はこれまで、同じグループの綿半インテックが統括していたが、グループ企業を再編した一環として、昨年綿半テクノスに事業統合し、これと並行して綿半ホールディングスが所有していた用地に新橋梁工場を建設し、橋梁製作部門を長野県塩尻市から人員を含め全面移転した。同時に、これまで同社飯田工場(下伊那郡高森町下市田)に置いていた本社を新工場と同地に移転、新工場は綿半テクノス本社工場とした。
新本社工場は塩尻の旧橋梁工場とほぼ同規模で、スパン30㍍×長さ100㍍の製作・組立工場と、同棟に直交するかたちでショットブラスト工場と塗装工場で構成。また工場棟に沿って長さ160㍍のヤードを設置し、橋梁の実仮組み立てによる部材精度や組み立て精度の確認を行っている。
製作はI桁橋を中心に、ボックス桁橋、トラス橋など鋼橋を中心としているが、橋梁の出荷後などの合い間には鉄骨も加工できる体制としている。鉄骨は飯田工場や静岡工場(静岡県焼津市中島)向けの梁加工やBH鋼などを製作している。このほか、橋梁仕様の津波避難タワーの製作・据付け工事も展開し、すでに静岡県の案件を数件受注し、竣工した。飯田工場の分工場として鉄骨製作工場の性能評価Hグレードも取得した。
同社の橋梁事業の特徴は、「地元の長野県や静岡県に密着した営業を展開している」(向田賢二・橋梁営業部担当部長)ことで、「鋼橋に長野県産の木材を意匠に使い、外観は完全な木製橋とするような地元ならではの要求にも、きめ細かく対応している」(森本雅也・橋梁営業部担当次長)などの特徴を整えている。
「えびの子橋」(長野県塩尻市)
発注先は長野・静岡両県や両県内の市町村発注物件が大半を占め、県道や市町村道に架かる鋼橋のほか、県が管轄する三桁国道に架かる鋼橋などの実績が多い。 現在、地元に本社を置く橋梁メーカーは長野県は4社(同社のほか角藤、トライアン、ヤマウラ)、静岡県は皆無だが工場を保有しているのは同社のみで、静岡県では地元企業として位置づけられている。
製作は塗装の一部を除き、仮組みや検査に至るまで社内一貫体制とし、月産100㌧の鋼橋製作能力を整えている。しかし、近年の新設橋の発注量縮減傾向もあって、コンスタントに100㌧を維持する体制は構築したが、思うような受注に至らず、稼働率のバラツキが生じることも生じている。このバラツキを補完すべく、年々増加傾向にある既設橋の保全工事に対応し、「今後は保全や補修部門の拡充も進めていく方針」(稲垣社長)としている。
綿半グループは、慶長3年(1598年)に綿屋として飯田城下で創業、以降当主が代々「綿屋半三郎」を襲名し綿半の名の由来となった。明治初期に金物事業に転換、1966年に綿半鋼機に商号変更、61年に塩尻市に最初の鉄骨工場を開設した(4年前に閉鎖)。綿半テクノスは95年に綿半鋼機から鉄構事業部を分社化して発足した。
(鋼構造ジャーナル12月15日号より転載)