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熊本市内~益城町~南阿蘇村を回る

熊本震災報告①

 熊本・大分に大地震。阿蘇大橋が崩落。そうした第一報を聞いた時、思い出したのは平成24年7月の九州北部水害だった。水害時には、被害の大きかった大分県の山国川水系、熊本県の阿蘇市、南阿蘇村、菊池市付近を回った。山国川、黒川(阿蘇市内 白川支流)、白川、菊池川等に架かる多くの中小橋が流され、道路が寸断された。幹線道路では国道57号の滝室坂付近で大規模な土砂崩れが起きて国道を塞ぎ、復旧まで仮橋で供用、復旧した後も現道の危険箇所をトンネルで回避するため「滝室坂道路」事業が採択され整備が始まったのは記憶に新しいことと思う。あれから4年経ち、新天門橋の現場取材を行う一方で、阿蘇地方に足を伸ばし、当時取材した担当者に話を聞きたい、そうした準備をしようとしていた時だった。詳細は土木学会西部支部などが報告しているが、ここでは記者が4月26、27の両日歩いた箇所を中心に紹介する。(井手迫瑞樹)


1、初日

 4月14日夜半に前震、16日未明に本震が発生した本地震は熊本県を中心に大きな被害をもたらした。当時は沖縄におり身動きができず、その後の取材も詰まっており、漸く26、27日に現地に行ける手筈がついた。しかし、現地は当たり前だが宿がない。車も自らの運転スキルのなさに加え土地勘も無く、一人では難渋してしまうことは目に見えていた。そこで、福岡の知人に電話を架け、応援を仰いだ。医療系のベンチャービジネスを生業としている彼は、フットワークも軽く、連絡を取る以前から熊本にボランティアで食糧や水などを運んでいた。現地の情報にも明るく、運転技術も優れている彼に同行してもらったことは、その後の取材の効率に大きく寄与したことは疑いえない。ここで大塚隆一郎氏に謝辞を述べておく(エヴァ水HP)。

 福岡空港に8時20分に到着。直ぐに合流し、福岡都市高速経由で九州道に乗る。九州道の跨道橋である府領第一橋の崩落が既に報じられていた。同橋はロッキングピアであり、西日本高速道路では同種の橋脚について対策の検討を行っていた(本橋部分だが)。同構造は、鉛直力のみを支持し、水平力は支持しないため、地震時に作用する水平力には他の固定支承と橋脚で橋軸方向と橋軸直角方向を受け持つ構造が一般的となる。今次地震は、後にも示すが、桁の横ズレ即ち水平力に特徴があった。被害集中個所に近い府領第一橋の崩落は今後の耐震補強対策に一石を投じることになるだろう、と思いつつ走行しながら跨道橋に目を凝らしていた。なお、崩落しなくても脚が傾斜するなど損傷したロッキングピアの橋は他にもあったようである。



様々な形式、さまざまな状況の跨道橋が九州道上にある


橋脚が損傷し、桁が高速道路上を塞いでしまった府領第一橋(読者提供)


(左)熊本IC のR57 を跨ぐランプ橋 北側橋台に竪壁を貫通すると思われる亀裂あり(読者提供)

(右)傾斜が残留するロッキングピア(読者提供)


(左)北側橋台左側の亀裂 直角方向の耐震RC壁の付け根から竪壁に亀裂(読者提供)

(右)北側橋台右側の亀裂 直角方向の耐震RC壁の付け根から竪壁に亀裂(読者提供)


(左)熊本IC南側の本線跨道橋 ロッキングピアに傾斜が確認される(読者提供)

(右)東側の桁端部 50㌢ 程度の上部構造の変位が残留(読者提供)



 合わせて、オーバーブリッジでは翌朝訪れた日向2号橋(熊本市道、熊本市東区戸島西6丁目)の歩道橋部分も鉛直材にせん断クラックが生じており、現場を訪れた時にはきれいに撤去されていた。当初の状況はうかがい知れないが、桁だけでなく、薄い壁状の橋脚2基も撤去されていた。

 さて、当時は植木ICから先が閉鎖されてしまっていたため、同ICで降り、国道3号沿いに熊本市内へ向かう。道すがらは1時間ほどの大渋滞であったが、これでも「当初に比べたら大きく解消された」(大塚氏)という。途中橋梁部で段差があったが、これも概ね応急復旧で緩和されており通行可能になっていた。


段差修正箇所/1階が崩れた店舗

 当初はルートを探すだけで四苦八苦だったらしい。市内は人も歩いており、市電も通行していた。地震からは大分立ち直っているようだ。最初の目的地である南区の保育園に物資を収めた後、早速取材に向かう。事前に九州工業大学の幸佐賢二教授や熊本大学の松田泰治教授に、情報をいただいていたこともあり、木山川、秋津川といった川沿いに調査を進めることにした。

 最初に訪れたのが、木山川近く、南区広木町の水前寺江津湖公園の南を走る道沿いにある下江津避越橋だ。同橋は平成16年3月に供用されたPC橋であるが、今回の地震では橋台の落橋防止ブロックが根本から割裂していた。おそらく桁が地震で横移動し、衝突した結果、こうした損傷が起きたのだろう。また、橋台付近も沈下が見られる。公園施設の損傷も同様のものが見られた。


下江津避越橋北側橋台部の落橋防止ブロックが根元から割れている


下江津避越橋北側橋台部のもう片方でも一部損傷が生じている



下江津避越橋、かなりの規模の長大橋だ


同橋南側アプローチでも地震による影響が少し見られた

 同橋を調査後、下江津川橋、次いで上益城郡嘉島町との境にある大六橋を渡って南岸に出て、さらに矢形橋、間島橋(いずれも東区秋津町秋田)を渡って再び木山川の北側に出て(こうした手間をかけなければ当時は戻れなかったのだ)堤防道路上を九州道木山川橋をめがけて走る。

最短ルートは通過できず引き返す羽目に/矢形橋


間島橋/堤防と道路が地震によって離隔を生じていた


地震によって損傷した路面。遠くに見えるのは九州道木山川橋

 しかし、そこはまさにオフロードごとき状況だった。陥没もあれば隆起もあり、油断するとタイヤが嵌る。細心の注意を払いながら走る。傍らの側溝と認識していた堤防と道路の間の窪みは実は、地震によって離隔を生じた際に生まれた溝だった。それが100㍍以上にわたって続いている。残念ながら、木山川橋近くにはバリケードがあり、ここからは行けなかった。やむを得ずバックでターンスペースがある箇所まで戻り、ターンした後、来た道を戻る。

 もう一度別ルートから木山川橋に近づくため、秋田樋門(同)の近くからショートカットしようとするも、ここにも大規模な陥没が生じていた。水辺の地盤が弱い箇所は少なからずこうした損傷が起きているようだ。やむを得ず新浦川橋(同)まで戻り田園地帯を突っ切って木山川橋と並行移動した。広範囲に桁の衝突や座屈、支承の損傷が認められた。次いで九州道秋津川橋では桁掛け違い部の鈑桁側で支承の損傷や沓座の損傷が見られた。また、橋台部で背面盛土が崩れ道路陥没が見られた。両橋は翌日も調査することになる。


秋田樋門近くの道路陥没


木山川橋

(左)桁下フランジの座屈、支承の損傷/(中)桁衝突が起きたのか桁の上下位置が少し違う/(右)橋台部


秋津川橋の損傷状況