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床版などを全面取換

歴史的名橋「九年橋」をリニューアル

 JR北上駅の西南、奥州街道(陸羽街道)沿いの一級河川北上川水系和賀川を渡河する個所に「九年橋」は架かっている。名称の由来は、明治九年、当地に明治天皇が行幸する際に初代の木橋がかけられたことに由来する。現在の橋梁は左岸側9径間179.2㍍が大正11年に建設され、その後、昭和8年に右岸側へ延長するため9径間154.8㍍が架設された。今回の長寿命化工事は、全面通行止めし、交通を上流の新九年橋などに振った上で、桁の補修および連結、床版・地覆・高欄・舗装の全面更新、支承の交換、歩道橋の新設などを行う。工期は平成27年3月末の予定。

 右岸側の桁が著しく損傷 
 床版の質が関係?

【構造】
 九年橋の上部構造は17径間単純鋼鈑桁橋である。大正11年に8径間の単純4主鈑桁橋が供用され、次いで昭和8年に9径間の単純2主鈑桁橋が供用され現在の形となった。当時は国道4号として供用されたが、戦後別の橋梁に4号が振られ、昭和50年に岩手県管轄となった。40年には歩道部が拡幅され、50年の移管の際には桁の一部を当て板補強し、床版の一部を鋼板接着により補強するなどしている。平成10年3月に県から北上市に移管されて現在に至っている。

九年橋


橋梁概要図


 今回の補修補強工事の内容は下表の通りだが、左岸側に比べ右岸側の桁の劣化が進行している。また、これは全橋で言えることだが、歩道部を設置した下流側の外桁の劣化が著しく進んでいる。
 理由はまず床版の質がある。左岸側の大正11年に架けられた桁は、面白いことに対傾構が垂直だけでなく、床版に並行するように上フランジ近くにも設けられていた。

対傾構が床版に並行するように上フランジ近くにも設けられていた


「個々につけても応力上はほとんど強度向上に寄与しない」(横河工事・柿沼氏、以下同)にも係わらず、「鉄道橋と似た構造のようについている」。大正年代は未だ自動車の普及が進んでおらず、橋梁の設計も鉄道省がリードしていた時代である。同橋の設計・施工はもちろん当時の内務省(鋼桁制作は石川島重工業東京造船所)であろうが、設計思想は先駆者である鉄道省のものを援用した可能性がある。床版は、厚さが230㍉もありさらに50㍉厚のコンクリート舗装を配置、現在はさらにその上に70㍉厚のアスファルト舗装を敷設している。加えて、床版下面には1,800㍉ピッチで「鉄道橋の枕木のように」橋軸直角方向にI形鋼を配置している。

1,800㍉ピッチで「鉄道橋の枕木のように」橋軸直角方向にI形鋼を配置


RC床版内部の鉄筋は「橋軸方向の主筋(φ13㍉の丸棒鋼)しかないことからI形鋼の配置は主筋のような性能を期待したのかもしれない」。I形鋼はハンチを付けてコンクリートで覆われた構造となっており、下フランジと桁の上フランジをリベットで止めていたが、剥落して露出した部分を除いては健全な状態だった。一方、昭和8年に建設された右岸側のRC床版は200㍉と30㍉薄く橋軸直角方向のI形鋼がなかった。補強を施しているものの貫通ひび割れや凍結融解による土砂化が広範囲に生じている状態だった。