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第54回 設計では設計者=発注者の意思が重要だ

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
政策参与
植野 芳彦 氏

1.はじめに 

 4月から、新型コロナウイルスの関係で、ほとんど何もできなかった。リモート会議が流行してますが、どうも疲れます。タイミングがずれるからでしょうか? よく聞き取れない場面もありますし。PCのせいなのか? 通信のせいなのか?

 朝は4時起床、ボーッとしながら、身支度をし、まず歩きに出る。ここ(小山)を離れて6年の間に結構、近所の家も店も変わっているので新鮮である。朝早くから、歩いている人や、犬の散歩、ジョギングなど、大体決まったメンバーに会う。家が増えたせいか? 意外と昔からの知り合いには合わない。家に戻ってから、鍛錬棒での素振り……、と昔に戻った。これで、体調を整え、いつでも闘える戦闘モードを取り戻しつつある! しかし、晴耕雨読ではないが、実際に仕事は今のところ、ほとんどない。

 実は、富山市に行く前の7年前以前の数年間は、同様な感じだった。なので、感慨深く、あの時もいろいろ勉強させられたのを思い出す。つまり、天が「もっと修行を詰め!」ということなのだろう。どうも私の運命は数年に一度、干される時期があるらしい。世に棲み、一剣を磨くには、もう歳かもしれないが、最近気力は充実している。


2.設計について

 新型コロナウイルスの緊急事態宣言は解除された。人々は、ホッとしていることであろう。いつまでも活動を自粛していると、経済は破壊され、様々な弊害が起きてくるだろう。それで気になるのが医療崩壊である。患者数が多いと医療は崩壊する。インフラの老朽化も同様である。管理物が多いと、病床が埋まっているのと同じである。そのことに気づいているだろうか。予算が間に合わなくなる。そんな中、やっと、富山に行ってきた。改めて問題を感じた。

 まずは「設計」である。「設計」という言葉は皆よく使う。この「設計」ということは何をするものなのか、目的がよくわかっていないのではないか? 私は、長年コンサルタントに在籍した。コンサルタントにいた時も、実は単に「一件設計」というものはあまりやっていない。システム開発や、基準、国総研や本省の仕事が主でやってきた。なぜか?

「自分は一件設計よりも、多くの人の役に立つものを作りたかったからである」

「設計」というとコンサルだけがやっているわけではない。メーカーやゼネコンは、コンサルの設計成果を見直して、施工できるようにしていくわけである。さらに、発注者の行う設計では、上位計画に基づき、予算を明確にし、周辺の状況を把握して、用地を決めたり課題解決などを行う。つまり、「設計」とは立場によって、目的と内容が少しずつ違ってくる。


 Wikipediaによると、

 設計(せっけい、英: design)とは、建築物や工業製品等といったシステムの具現化のため、必要とする機能を検討するなどの準備であり、その成果物としては仕様書や設計図・設計書等、場合によっては模型などを作ることもある。

 時間的なものとしては、製作開始時期・供用開始時期・想定使用期間・量産品の場合の製作継続期間などがある。機能的なものとしては、使用目的・体積・面積・質量などがある。社会的な状況・環境としては、法的規制・地球環境などがある。試作は、仕様の検討のための手段であり、納得または合意するまで試作を繰り返す。使用できる資源の組み合わせは多くある。ライフサイクルコスト(生涯費用):調達可能な金額であるか。また、保守、廃棄を含めて、一番安く済む手法であるか。機械・器具・部品など:製作開始までに調達可能であるか。量産品の場合の製作継続期間中に途切れることなく調達可能であるか。保守:想定使用期間の間、保守に必要な部品・器具・作業員などが確保できるか。製造・試験・保守・廃棄作業を考えると、使用できる組み合わせが少ないことがある。

 ――とあった。


 何度か、ここにも設計に関して書いてみた。髙木千太郎さんも、よく書かれている。今回何が言いたいかというと、「設計」という行為を行うにあたり、目的がなく、何のためにやっているのか? 意思が見えなくなっている。だから、設計ミスもするし、目的や思想がない。

「老朽化」や「予防保全」が話題になっているが、そもそも、構造物を作る際に計画・設計が甘く、「作ればよい」という思想? で作られたものを、「管理しろ」「老朽化対策をしろ」と言われても、なかなか難しい。最初から出来の悪いものをいじっても、良い結果は出ない。

 自治体で管理している構造物を見ていると、信じられないものが時々出てくる。結局は、わかっていないで、作ってしまったのだ、そして甘かったのである。つけを子孫に回しているだけなのである。

 誰が一番責任が重いかというと、私は官だと思う。結局、素人同士が、よく考えないでやっているのが一番悪い。わからない部分は、専門家に聞けばいいのだ。よく、コンサルタントは「設計のプロ」だということを自ら言う方々がいるが、どうも怪しい。「設計」の本質は、作るために行う仮定の作業。作れないものを“計算”していたのでは、設計とは言わない。