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⑨ 道路 PCグラウト

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)
石橋 忠良 氏

はじめに

 今回はPC鋼材の破断についての話をします。戦後に広まったPC構造は、多くの橋に使われています。初期のころは慎重に施工されていましたが、一気に数量が増えたことから、PCグラウトの施工の不十分な橋が多く造られてしまったようです。


1. PC構造は戦後に始まる

 PC構造は、戦時中、鉄道技術研究所にて、吉田徳次郎博士のもとで、仁杉巌博士が若い時に研究していました。戦中には物にならず、戦後、PC枕木に使われ始めました。その後、1951(昭和26)年ごろから、東京駅や大阪駅の構内の軌道桁やホーム桁に使われています。

本格的なPC鉄道橋としては、1954(昭和29)年の信楽高原鉄道の第一大戸川橋梁がスパン30mで造られました(写真-1)。



写真-1 第一大戸川橋梁


 1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線には、中スパンの橋梁としてPC橋が大量に採用されました。その数は約400連になります。PCの多くはI型の桁を4本から8本並べて、それぞれをPC鋼棒で横方向に結んで、1つの桁とするものが大半です。この横方向に結ぶPC鋼材を横締め鋼材と呼んでいます。東海道新幹線や山陽新幹線のころはほとんど鋼棒が使われていました。シングルストランドが出てきてからは、徐々に取扱いの楽な鋼線に変わってきました。


2. 横締め、鉛直鋼棒の破断、飛び出し

 PC桁の横締め鋼棒の破断は、東海道新幹線の開業後5年目ころから発生しています。東海道新幹線では長大橋は鋼桁ですが、中スパンの橋梁はほとんどがPC桁です。その後の新幹線では長大橋も含めてPC桁となっています。新幹線の鋼橋の騒音が東海道新幹線開業後問題となり、その後は、新幹線での鋼構造はほとんどなくなり、コンクリート構造が中心の新幹線となっています。

 PC桁の横締めは、シースと鋼棒の隙間が小さいことと、グラウトの材料が隙間を十分に埋めるのに適していないことで、今の粘性のあるグラウトとシース径を大きくするまでは、空隙があることが多いのです。

 その後の山陽新幹線でも横締めの鋼棒の腐食破断と飛び出しは続いていました。飛び出した写真がときどき当時の新聞にも載っていました。

鉛直鋼棒の使用は鉄道橋では、主に下路桁に使われていました。この鋼棒も破断して飛び出すということが起きました(写真-2・3)。



写真-2 横締鋼棒の破断、飛び出し


写真-3 鉛直鋼棒の破断、飛び出し


3. 鋼棒の破断、飛び出しの対策

 いまでは、飛び出したら人などにあたる恐れのある箇所はすべて飛び出し防止の対策が取られています(図-1)。



図-1 PC鋼棒の飛び出し対策


 その後、グラウトの材料の変更や、シース径の変更、未施工をなくすように1本ごとのグラウト注入量を記録するなどのルールに変えてきました。グラウト材料は、セメントミルクをアルミ粉末で膨張させる材料から、ノンブリージングの粘性のある材料へ変えられてきました。

 しかし変えた後でも、鋼材の飛び出しが生じています。一本ごとのグラウト注入量は記録されているのですが、実際は未施工の箇所があるのです。写真-4は、新幹線の開業間際に施工したPC桁から飛び出したPC鋼線です。



写真-4 PC鋼より線の破断、飛び出し


 鉄道の開業日時を発表し、それに間に合わせるべく皆、頑張ったのでしょうが、どうしても間に合わない箇所は、施工したことにして注入ホースを切断しているのです。開業後10年程度してから横締めの鋼線が破断、飛び出し、調べたらその付近のPC桁の横締め鋼材には皆グラウトの施工がしてなかったということがわかりました。

 現場での優先順位は、開業が1番ということになると、すぐにはわからない工種は省かれることになります。悪意があったわけではなく、人間は弱いので、できないと言えずに結果的に手を抜くことになったのだと思います。工期はちゃんと確保してやることが大切です。また、ごまかしたことが外観からわからない工法もやめていくことも大切です。

 現金を扱うと,でき心でとってしまうということも人の弱さから起こります。罪人をつくらないためにも駅などで現金を扱うことを少なくしてきています。同様に、ごまかし可能な工法を残しておくことは罪人をつくる原因ともなるので、変えていくべきです。今は、JR東日本では横締めはすべてプレグラウト鋼材(写真-5)としています。



写真-5 プレグラウト鋼材