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インタビュー詳細

技術開発、働き方改革を積極的に進め、より魅力ある会社に

阪神高速技術 立石新社長インタビュー

阪神高速技術株式会社
代表取締役社長
立石 泰三 氏

 阪神高速道路の中核子会社である阪神高速技術の新社長に阪神高速道路元経営企画部長の立石泰三氏が就任した。同氏は徳島県出身。夢の架け橋=本四架橋から土木に惹かれ、阪神高速道路公団に入社以降は同社で初めてNATM工法が採用された長坂山トンネルなどの現場に従事し、キャリア後半は対距離料金制の導入やアドバイザリー会議の創設などに携わった。阪神高速技術の新社長として、現場の負担を減らす新技術の導入やポストコロナ後の働き方改革をどのように進めて行こうとしているのか聞いた。(井手迫瑞樹)


往復10時間の万博日帰り弾丸ツアー

 徳島から大阪 距離を縮めるのは土木だ

 ――土木業界に入ったきっかけは

 立石社長 大学に入学した際に土木を選んだ、その時点ですね。しかしその源にあるのは本四架橋かもしれません。

 私は徳島の出身なのですが、当時、四国から本土に渡るのは大変でした。小学校6年生の時に大阪万博が開催されました。万博会場までの旅程は、南海フェリーと南海電鉄など電車を乗り継いで、片道5時間以上かかりました。しかも日帰りの弾丸ツアーでした。

 ――往復10時間越えですが、よく行きましたね

 立石 アポロ11号が採取した月の石を見に行きたかったのです。大人気で2時間待ちという盛況ぶりでしたが、それをものともしませんでした(笑)。

 ――その日帰りの大変さが原体験となった、と。

 立石 四国に住む人間として、やはり夢の懸け橋=本四架橋に対する期待は大きなものがありました。高校時代は大鳴門橋の建設が始まりました。オイルショックも重なりプロジェクトは停滞気味でした。それでもトンネルの掘進や橋梁の架設など大きな仕事で社会にも貢献できる土木の世界に入りたいと希望しました。

 大学(名古屋工業大学)の卒論では鋼部材の疲労の実験を行いました。指導教授は長谷川彰夫先生でした。部材に切り欠きを入れてみたり、溶接で接合して見たり、色々な試験片を作って210万回におよび移動実験に携わりました。そこで忍耐強さが鍛えられたように思えます。


長坂山トンネル建設工事で感じた経験工学としての土木

 初のNATMに「気合」が入った

 ――阪神高速道路に入社後は

 立石 阪神高速道路公団に入社したのは1981年、3号神戸線が全線開通した年です。その頃の阪神公団はなかなか新規路線がありませんでした。当時は環境問題が非常にシビアであったからです。それでも、入社した年の秋に関空のプロジェクトが始まりました。国から関空の整備計画、環境アセスメント、それと地域整備の3点セットが提示されました。阪神高速湾岸線は大阪中心部から関空へのアクセス道路として計画され、その建設が動き出しました。

 ――湾岸線建設時の苦労は、阪神高速道路の幸前社長からも聞いたことがあります

 立石 今とは比べ物にならないくらい、環境問題に対する重圧は凄くて、事業の先は五里霧中という印象でした。

 ――入社後の印象に残った現場は

 立石 入社後は神戸建設部に配属され、現在の北神戸線の長坂山トンネルに携わりました。同トンネルは阪神高速道路のトンネルとしては初めてNATMによる掘進が採用されました。初採用ということで気合を入れて臨んだことが思い出されます。NATMは基本的に地山のアーチアクションを生かして、足らないところをロックボルトや吹付コンクリート、鋼製アーチで補強する合理的な構造物です。その都度、天端の沈下や内空変位を測定し、取得したデータを参考にしながら支保工パターンが妥当かどうかフィードバックする情報化施工という特徴を持っています。

長坂山トンネル①

 実際工事に入ると、坑口の辺りでは多少沈下が生じましたが、後はずっと掘り進めて行っても、ほとんど変位量は出ませんでした。そのため、JVの所長さんに、もっと支保工のパターンを変えたらどうですか? と提案してみると、「トンネルは単に計測データだけに頼ってはだめで、切羽や湧水の有無など全体を見なくちゃいけないし、変位量が少ないのは安全にできているという証左ではないですか」と諭されました。まさしく土木が経験工学であると感じたことを覚えています。


長坂山トンネル②

自分たちの技術が否定された――阪神大震災

 自然の猛威は人知を遥かに超える

 ――阪神大震災の時の関りは

 立石 直接には復旧の現場にはいませんでした。しかし号令がかかり、土木屋は一回でもいいから被災現場を見るようにと言われ、大阪から船で神戸に渡りました。着いた時の印象は、倒壊した構造物や崩壊した土砂の影響で埃っぽく、上空を引っ切り無しに飛ぶヘリも相まって、ただ事ではないという雰囲気でした。大規模な橋梁の横倒しなど、ああいう光景を見ることは滅多にないでしょう。鋼製橋脚の提灯座屈というのは、実物で見たことがある人はあの時を除いていないのではないかと思います。正直言って、我々阪神高速道路公団が作った橋が無残に壊れていた状況は、自分達の技術を否定された――と思いました。設計条件は、人間が想像して作っているわけですが、自然はそれをはるかに超えて、それを粉々にしてしまうのだな、と感じました。技術者としてもっと謙虚になる必要があると感じました。

 ――私も横倒しになった橋梁を、発災後に見る機会がありましたが本当に現実感がありませんでしたね

 立石 635mに渡って横倒しになった橋梁ですね。私も最初は、高速道路橋が倒れているという情報が信じられませんでした。実物を見て呻きました。

 ――神戸市役所の損壊や、長田の大火災も印象に残っています。関西は、当時は地震が起きないという「神話」がありました

 立石 そうでした。でも根拠のない誤った「神話」でしたね。


対距離料金制の移行を担う

 アドバイザリー会議立ち上げにも関わる

 ――高速道路会社でのキャリア後半は

 立石 計画部で2006年から料金の対距離制への移行を担いました。首都高、阪高など都市高速は、平成20年度を目途に料金は対距離制に移行するということが決まっていました。その中で料金が変化した際の交通量の増減を見る社会実験を行ったり、料金案に関するパブコメ募集を行ったり、運輸事業者や地方自治体、地方議会などへの説明を行いました。なんとか2013年に料金体系の対距離制への移行を無事行うことができました。

 最後に務めた経営企画部長時代には、「阪神高速事業アドバイザリー会議」を立ち上げました。企業経営者や消費者団体の先生方など様々な人にアドバイザーとなっていただいて、事業に対してご意見をいただこうという会議です。公団時代と対距離制への移行の頃は、周りから「経営改善」ということをよく言われていました。立ち上げた時も中心テーマはコスト削減になると考えていたのですが、笹子トンネル天井版落下事故の発生もあり、先生方からは専ら、安全、安心、快適が非常に大事で、プライオリティが高いということに社会的な認識が高まっているというお話をいただきました。これは今でも肝に銘じていかなければならないと感じています。


売上は安定的に推移

 今年度は道路事業で250億円、関連事業で10億円の売上を予想

 ――さて、ここからは阪神高速技術のここ3年の売上の推移から

 立石 売上は2017年度が233億円、18年度が263億円、19年度が254億円となっています。大半が道路事業による収入で、道路事業だけの売上で申し上げますと、17年度が216億円、18年度が245億円、19年度が243億円となっています。道路事業の売上推移は災害対応が無い限り大きなブレはありませんが、高速道路の老朽化に伴う維持修繕の増加に伴い、売上はかつてよりは漸増しています。一方で関連事業については、第二阪奈道路がNEXCO西日本に移管され、管理業務が無くなった影響で減少し、関連事業の売上は当面10億円前後で推移するのかな、と思っています。

補修工事現場状況(阪神高速技術提供、以下同)

 ――関連事業売上の推移は

 立石 17年度が16億円余り、18年度が17億円余り、19年度が10億円余りとなっています。第二阪奈道路が所管から離れた影響で7億円ぐらい売り上げが減っています。

 ――関連事業の拡大についてはどのように考えていますか

 立石 阪神高速道路の仕事以外、例えば自治体が発注している点検業務等、外の仕事をするというのは大事なことです。技術者自身の勉強にもなります。しかし、実際は価格競争もあり、必ずしも当社が受注できるわけではありません。現在は、高速道路の管理事業がかなり忙しく、社員に対する過度な負担をかけてまで関連事業を拡大する必要があるのか? 考えなくてはいけません。できる範囲内で携わっていくのが当面の在り方です。

 2020年度は道路事業で250億円、関連事業で10億円程度の売り上げを予想しています。我々は阪神高速道路のグループ会社ですから、基本的には親会社からの発注で売り上げが前後します。売上高や利益も企業としては大切なことですが、お客さまへの安全、安心、快適な道路サービスの提供に主眼を置いています。