HOMEインタビュー一覧NEXCO西日本 前川新社長インタビュー

インタビュー詳細

高速道路リニューアルプロジェクト、4、6車線化を計画的に進める

NEXCO西日本 前川新社長インタビュー

西日本高速道路株式会社
代表取締役社長
前川 秀和 氏

 NEXCO西日本の新社長に前川秀和氏が就任した。前川社長は、建設省入省後、金沢河川国道事務所長、北陸地方整備局長などを歴任し、道路局長で国土交通省を退官した。西日本高速道路には2016年6月に建設事業本部長として入社、2018年には副社長に昇格し、技術本部やCSなどを管掌してきた。金沢河川国道時代は豪雪、北陸地方整備局長時代には東日本大震災や只見水害など災害対応の陣頭指揮も執った経験もある。高速道路の4・6車線化、リニューアル、耐震補強、災害への対応なども含め新社長としての考え方を聞いた。(井手迫瑞樹)


大学時代は伊藤學教授に師事
 
卒業論文は横浜ベイブリッジの風洞実験の考察

 ――大学時代の印象的な出来事から教えてください

 前川社長 東京大学に1973年に入学して77年3月に卒業しました。工学部の土木工学科で橋梁を専攻しました。指導教授は伊藤學先生です。藤野陽三先生とはちょうどニアミスでした。卒業論文は横浜ベイブリッジの風洞実験の考察です。東大には当時、風洞実験室があり、その実験に修士の方のお手伝いとして携わり、その成果を論文で出しました。

 ――橋梁工学を専攻したということは、やはり小さいころから興味があったのですか

 前川 残念ながらそんなことはなくて(笑)、高校時代に数学が好きでしたので、理一(理科一類)に入った時は、数学者か物理学者になることを志望していたのですが、東大に入ると、高校時代から数学の難しい定理を研究している人が50人のクラスに10人ぐらいいて、そのような人達と話をすると、大変優秀で東大に入ることが目的ではなくて、それは単なる通過点で、もっと高みを目指していました。そのような人達を見て、その分野での競争を諦めました(笑)。理学部希望はやめて、早々と工学部志望に変えました。工学部も電気など目に見えないものは性に合わないので、目に見えるものにしようと考え、土木か建築に絞ったのですが、どういう訳か土木に行くことになりました。

最も強烈に社会とかかわることができる建設省を志望
 北陸地方整備局では雪害や大震災、豪雨に直面

 ――その綾が国土交通省(入省当時は建設省)にご自身を導いたと思うのですが、国土交通省に入省することになったきっかけは? また入省後の経歴について

 前川 工学の中でも土木は最も人間社会と関わりの深い分野だと気づきました。それなら、最も強烈に社会とかかわることができる建設省を志望しました。

 旧建設省と国土交通省に36年と4カ月奉職しました。経歴を計算してみると、約半分が本省勤務で、残り半分が外に出ています。地方勤務では、関東整備局で3つのポスト、北陸地方整備局で3つのポストをそれぞれ務めました。勤務期間が長いのは北陸地方整備局です。それから都道府県に出向したことが2回あります。最初の勤務地は実は建設省ではなく、いきなり佐賀県の道路課でした。大分県では25年ほど前に道路課長を務めました。技術系は地方や自治体に行くことが多く、私は経歴的には比較的本省勤務が多かったように思えます。

 ――印象的な現場は

 前川 北陸地方整備局の金沢河川国道事務所の所長を3年8か月務めました。同事務所は1県1事務所と言われていて、同県内における国所管の河川、道路、ダム、砂防、海岸などの事業を全て所掌する総合デパートのような事務所でした。非常に事業分野の幅が広く、様々なことがあって面白い現場でした。

 在職中に印象に残ったのは、大型補正予算が1997~99年にかけて付いた時のことです。当初予算に近い額の補正が毎年付きました。160億の当初予算に100億円の補正が出て、その執行に四苦八苦したことを覚えています。

 最後の年の平成13年1月に豪雪が襲来しました。「山雪」といって、普通は山の方に雪が多く降ります。日本海の水蒸気をたっぷりと吸った雪雲が、脊梁山脈にぶつかって降雪するためで、人里に降るのは金沢では稀でした。ところが天気の状況から人里に降ることもあり、「里雪」と呼ばれて交通に大きな影響を及ぼします。平成13年にはこれが海岸線近くを走る国道8号に約1ⅿも積雪してしまいました。海岸沿いの町長さんと話すと、「これは里雪じゃなくて浜雪だ」と慨嘆されました。同豪雪では、国道8号だけでなく能登海浜有料道路(当時、現在は無料化)も含め除雪が間に合わず、通行止めが1週間ほども長引いてしまいました。金沢と能登の交通がマヒしてしまい、その啓開に大きな時間を要しました。

 ――災害に関して、もう一つ聞きます。3.11の時はどのような役職でしたか

 前川 北陸地方整備局長でした。東北の局長が德山日出夫さんでした。当日の15時前に新潟で大きな揺れを体感し、その後、震源地が東北であることを確認しました。「新潟でこの揺れということは東北では大変なことになっている」と直感しました。津波が発生しているという情報もあり、北陸地整が有しているヘリコプターをすぐ飛ばして状況を確認しろ、と命令しました。


 しかし途中、山越えのところで厚い雲があり、ヘリコプターは有視界飛行しかできないため、引き返さざるを得ませんでした。

 仙台に入るルートは、当時、東北道も東北新幹線も動かない状態でした。辛うじて新潟から入るルートが確保できていたので、磐越道などから食料やガソリン、リエゾンを送りました。


東日本大震災の被災状況 左上:歌津大橋、右上:陸前高田市の孤立した野球場
左下:多くの径間が落橋した新北上大橋、右下:北上川南岸の湖沼化した農地(井手迫瑞樹撮影)

 ――その後も只見川で水害が起きました(平成23年7月新潟・福島豪雨)。あれは現在の水害に通じるところがあります

 前川 線状降水帯が新潟の燕三条から福島県の只見までまる一日ぐらい留まっていました。信濃川も大きく氾濫しましたが、只見川流域の被害も大変なものがありました。JR只見線の複数の鉄橋が跡形もなく流されてしまいました。

 ――自治体が管理する橋梁も二本木橋などたくさんの橋梁が流されました(右表、道路橋のみ記述)。考えられない高さまで水位が上がりました。この時はどのように対応されたのですか

 前川 只見川は、北陸地方整備局が所管する一級水系でした。そして東北地方整備局は当時、東日本大震災への対応で手一杯の状態でした。只見川の氾濫で橋梁が流されたことにより孤立している集落もあったため、北陸地方整備局が仮設の橋をかける等の対応にあたりました。当時の福島県知事だった佐藤雄平さんから電話があり「東北地方整備局はとても会津まで手が回る状態ではない。北陸地方整備局で当たってくれませんか」と言われ、本省等と調整し承諾しました。もしも東日本大震災が生じておらず只見川の水害だけであれば、もっと全国から注目されて、今次水害や西日本豪雨などの最初のケースとして記録にも記憶にも残ったはずです。




只見川流域では、道路橋・鉄道橋の別なく、様々な橋梁が流失、損傷した(井手迫瑞樹撮影)

 ――私は、発災後1か月ぐらいの時期に訪れました。各所で道路が寸断され、非常に遠回りしたことを覚えています。只見川は複数の管理者が違うダムが存在していました

 前川 東北電力と電源開発のダムが連続してありました(例えば※1)。第六只見川橋梁が流された時の映像を見ると、直近のダムのクレストゲート(リンク先は日本ダム協会)から濁流が出ていて、放流すら間に合っていない状態でした。線状降水帯(リンク先は日本気象学会)という言葉がニュースに出るようになったのは、この新潟・福島豪雨からだと思います。


笹子トンネル事故時は道路局長として対応

 建設事業本部長として入社・着任

 ――笹子トンネルの(天井板落下事故)時はどのような役職でしたか

 前川 私が道路局長の時に笹子トンネルの天井板崩落事故がありました。2012年12月2日のことです。翌日、大臣とともに現場に入りましたが、大変痛ましい事故でした。天井板は建設当時、換気のために必要として設置されていたものです。しかしその後の自動車の排気機能の向上により、必要がなくなったことから、全国で天井板は撤去されていますが、この事故が、現在の大規模更新等にもつながっていると思います。

 ――退官時の最終役職は

 前川 道路局長です。2013年8月に退官しました。

 ――NEXCO西日本に入社したのは

 前川 2016年6月27日です。

 ――入社してからの印象的な出来事は

 前川 建設事業本部長として入社・着任しましたが、その2か月前の4月22日に有馬川橋の落橋事故が生じていました。作業員2人が亡くなり、8人が重軽傷を負いました。国道176号が数か月通行止めせざるを得ない状況となりました。その事故の後に着任したので、様々な(安全対策の)方向は出ていましたが、それでも対処することがたくさん残っており、その対応に追われました。その後に残念ですが死亡事故が続きました。最初の年はその対応を一生懸命やっていました。

 ――有馬川橋の落橋事故は架設の安全対策を一変させました

 前川 ベントを仮設備と思わずに(基礎なども含めて)対策する。桁は必ず一箇所は本設につなげるなどですね。ただ、その影響で様々な事業者に影響を出してしまったことは申し訳なく思っています。

 ――その後は

 前川 新名神の高槻~神戸、城陽~八幡の開通にこぎつけることができたのは大変良かったと思います。建設事業本部長は2年間務め、その後、副社長と広報CS推進本部長・工事安全管理担当・技術本部担当となりました。

ハーフプレキャスト部材を用いた橋脚の建設(新名神武庫川橋)
(NEXCO西日本提供、以下注釈なきは同)

完成時の新名神武庫川橋

2ページ目 社長就任の抱負 高速道路リニューアルプロジェクトを計画的に進める